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イジメについて。

今から書くことは、「家庭内暴力」は含んでおりません。


あくまで「学校内のイジメ」についてです。


まず、イジメられる側。


勇気をもって、イジメる側に立ち向かっていかなければ、状況は変わりません。


イジメられる子には「勇気」、「決断力」、「行動力」が欠けています。


そして同時に、「友達を作る」ことを怠った。


勇気をもって、イジメる側に向かっていけない子は、転校する他ないでしょう。


極論を言いますと、そのような「勇気」の欠片も無い子は、僕にとって、どうでもいい存在となります。

 

そして、イジメる側。


その子に、どんなバックグラウンド(原因)があったとしても、それがイジメる権限などを持ちえないです。


決定的に屈折している。


極論を言いますと、教師が体罰を行うべきです。


しかし、それを行うと、イジメは益々ひどくなってしまいます。


また極論を言いますと、そんな子は退学にしてしまえばいい。


あくまで極論ですよ。

 

イジメが原因で引きこもりになってしまった子。


自殺する前に、「転校」を考えて下さい。

 

そして、引きこもりになってしまった子に対しては、国が動く必要があります。


それが、セーフィティ・ネットです。

 

話しがそれますが、…この国では毎年、3万人の人が自殺しています。


これは福祉の力が弱いだけでなく、根本的に、何かが足りない、または何かに絶望していると考えられます。

 

現在は、超競争社会です。


それがいわゆる資本主義です。


資本主義は、勝ち負けが、はっきりと分かる。


それは表層面しか見てないからかもしれませんが…。


イジメられる子にとって、この超競争社会は、とても生きづらい社会という事になります。


「友達がいない」のだから、1人で出来る職業に向いていると思います。


だから、絶望しないで下さい。


”技術者”、”弁護士”、”検察官”などに向いていると思います。


イジメる側も決定的に何かが欠けている。


僕自身は、イジメた事も、イジメられた事もありません。


なので論説が、傾いているかもしれません。


毎年、3万人が自殺する国は、決定的に何かが欠けています。


最近では、韓国が自殺者が増えています。


共通点は分かりません。


思想学的に言えば、ある文明(や文化)は頂点に達した後、必ずと言っていいほど後退します。


そこから自殺者が増えてきたのかもしれません。


ようするに日本と韓国は豊かになりすぎたという事です。


上記と矛盾しますが、僕も自殺を考えた事があります。


僕は9歳の頃、母親を強盗に殺害されています。


その絶望感から自殺を試みました。


自傷した事もあります。


木の枝にショルダー・バッグのショルダー部分を木の枝にかけて首吊りしようと試みた事があります(近くの森林公園で)。


ですが、ショルダー部分が短く、首を吊る事は出来ませんでした。


今は、自殺したいとは、これっぽっちも考えていません。


そんな事をしても、天国にいる母は嘆くだけであろうと悟りました。


だから、今は自殺は全く考えていません。


なんか重苦しい文章になってしまって、あいすみません…。


イジメられ、引きこもりになってる子は、僕のように自殺を考えないでほしいです。


再度、記せば、「転校」という手段が残っている事を忘れないでいただきたい。

 

イジメる側には、何かしらの処罰が与えられるべきです。


再度、記しますと、どんなバックグラウンド(原因)があろうと、イジメていいという権限など無いのです。

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ロンドンでのテロ、許し難いです。

卑劣な行為。

一歩間違えば、メイ首相も危なかった!

 

いかなるテロも断固として、僕は思想的に許せません。

テロに正当性は無い。

 

『乃木坂46 2nd YEAR BIRTHDAY LIVE 2014.2.22 YOKOHAMA ARENA [DVD] 』を見て。

乃木坂46 2nd YEAR BIRTHDAY LIVE 2014.2.22 YOKOHAMA ARENA [DVD] 』、
乃木坂46 3rd YEAR BIRTHDAY LIVE 2015.2.22 SEIBU DOME ~SINGLE COLLECTION~ [DVD] 』を見ました。

 

乃木坂46 2nd YEAR BIRTHDAY LIVE 2014.2.22 YOKOHAMA ARENA [DVD] 』を見てね、めっちゃ驚いたのは、メンバーの8割がチョー可愛いです★


これは驚きですよ!!


これでは、48Gは敵わないよ。


でね、めっちゃ好きになった娘がいます。


それは、さゆりんこと松村沙友理ちゃんです💖♥♡


もうね! バリ僕のタイプ!!

 

年齢がねぇ、今年、25歳になるから、僕は冬で26歳になるのでいっこ下ですね。


なので、いつ卒業発表しても不思議では無いので、絶対に今年、個別握手会に行きます!!


さゆりんの将来の夢は声優さん。


で、さゆりんは大阪出身です。


西野七瀬ちゃんも大阪出身。


だから、さゆりんはチョー明るい☆

 


何回、このDVDを見ても、僕の目には、さゆりんしか入らない。

 

コンサートのクォリティーは48Gと、さして違いません。

 

ただ、48Gも、それぞれグループ・カラーがありましたが、乃木坂もグループ・カラーがありますね。


それは「清楚」です。

 

それにしても、2nd YEAR BIRTHDAY で横アリでしょ。


3rd YEAR BIRTHDAY で西武ドームでしょ。


『Merry Xmas Show 2016~選抜単独公演~』。


乃木坂46 5th YEAR BIRTHDAY LIVE』。


乃木坂46 5th YEAR BIRTHDAY LIVE』は、なぜかSSAで行われています。


あぁ~~ 行きたかったなぁ~~!!


これ、来年は、さゆりん、おそらく卒業しちゃうよぉ~~


3rd YEAR BIRTHDAY で西武ドームだったのにね。


SSAになったって事は、それだけファンが減ったって事???


欅坂46へファンが移行したという事かな?

 

乃木坂のTシャツは買ったので、1回でいいので、さゆりんに会いたいです。

 

そして、『乃木坂46 3rd YEAR BIRTHDAY LIVE 2015.2.22 SEIBU DOME ~SINGLE COLLECTION~ [DVD] 』。


これね、”ALL”は、なんと!


DVDで、¥ 25,661 します!


もう~~ カスタマー・レヴューでは「そんな高ぇの、誰が買えるんだ!!」というクレームが羅列します。


当たり前だよね!


だから僕は、格安の~SINGLE COLLECTION~にしました。


こちらは、¥ 4,118 ですが、いつも通り中古で買ったので、¥ 3,499 でした。


そして、この時期、SKE48の松井玲奈ちゃんが、乃木坂の生駒ちゃんと交換留学をしていたので、玲奈ちゃんも見れますが、カスタマー・レヴューで皆が言ってたように、なんと! 口パクです!


あのね、…こういう事をやってると、グンと人気が下がりますよ。


やっていい事と悪い事がある。

 

そして乃木坂46には「十二福神」なるものがあります。


最初は、「七福神」→「八福神」となり、現在の「十二福神」になります。

 

ようは、主力メンバーという事です。

 

「十二福神」は固定ではありません。


降ろされる子もいれば、新たに入る子もいる。

 

乃木坂46には、アンダー・メンバーがいます。


新しい期生ですね。


なんと! ここに、可愛い子がいない。

 

これを考えると、乃木坂46の未来は、そう明るくはない。

 

ただ、生駒ちゃんとかは、まだ22歳なので、…星野みなみちゃんは19歳、生田絵梨花ちゃんは20歳なので、それを考えると近い将来像は、まだ明るい。


ただし、遠い将来は、そう明るくはないだろう。

 

メンバーの8割が、めっちゃ可愛いというオーディションだった訳でしょ。


なぜ、オーディションの質が下がったのか、極めて遺憾だ。

 


欅坂46のTシャツを買いたくて、オンライン・ショップに行ったけど、Tシャツなどのグッズは3月14日で、全て予約終了という事で、買えなかった!


僕がそのサイトに行ったのは14日の24時近く。


だから、1時間前に(23:55 で販売終了)行ってればTシャツ、買えたんだよねぇ~~


だから、これからは、毎日、欅坂46のオンライン・ショップに行かないといけない。


乃木坂のコンサート、行きたかったなぁ~~


半年前に乃木坂のファンになってたら、『乃木坂46 5th YEAR BIRTHDAY LIVE』、申し込めたのになぁ~


でも、会場がSSAだから、めちゃ倍率高いよね!


当選するのは難しい・・・。


来年の BIRTHDAY LIVE もSSAなのかなぁ~~


来年の BIRTHDAY LIVE は申し込むぞぉ~~


おそらく、ここで、さゆりんと、白石麻衣ちゃんは卒業発表すると思う。


いや、 BIRTHDAY LIVE の前だな。


だからDVDのタイトルは「乃木坂46・白石麻衣松村沙友理卒業コンサート」になると思う。


でも、さゆりんは、来年のコンサート前に、卒業しちゃう可能性だってある。


乃木坂のコンサートって基本、2月なんだよね。


乃木坂の個別握手会やコンサート情報が載ってるサイトを見つけたけど、…半年、遅かった・・・涙(くそぉ~~)。


『Merry Xmas Show ~選抜単独公演~』は、めっちゃ狭い会場で行われるので、当選する確率が無い。


乃木坂46 5th YEAR BIRTHDAY LIVE』はSSAだから、来年、BIRTHDAY LIVE が行われても、当選する確率は、めっちゃ低い。


えぇ~~ なんで西武ドームからSSAになっちゃうんだろ。


僕は、西武ドームの次は国立競技場だと思ってた。

 

 

欅坂のコンサートは絶対行くつもりなので。


だから、どうしてもTシャツが必要不可欠。


ただ、欅坂が1st コンサートを行うには、まず1st アルバムをリリースしなければ話にならない。

 


乃木坂のコンサートDVDを見て、…48Gのコンサートと同じように観客はサイリウムを振っており、MIXもあります。


曲を知らないとMIXが出来ませんね。

 

僕は、乃木坂のメンバーは、これまで、生駒ちゃんと、白石麻衣ちゃんしか知りませんでした。

 

乃木坂46も欅坂46も、48Gと違って劇場を持っていません。


それで、ここまで人気が出たのだから、凄いよね!!


まぁ、可愛い子(娘)が8割いるからなぁ~~~


でね、…アコギを弾けるメンバーが2人。


テナーサックスを吹けるメンバーが1人います。

 

AKBのファンだった友人が、昨年、乃木坂のファンになったのも解る気がする。


でも、僕は乃木坂より欅坂46の方が好き(さゆりんは例外)。


メンバー・プロフィールを見ても、何がなんだか分からない汗


可愛い子が2人いる。


平手友梨奈ちゃんが4作連続センターを務めています☆


でもね、それよりも欅坂46の楽曲が好きなんです★


乃木坂より進化している。


それでも乃木坂にも名曲は沢山ある。

 

乃木坂46 『ガールズルール』Short Ver.
https://www.youtube.com/watch?v=U9pHbfVskRI

さゆりんはヴィデオ・カメラを撮っています。

 

 

 乃木坂46おいでシャンプー』Short Ver.
https://www.youtube.com/watch?v=o5ZyokxGIso

最初に、画面左端に座っているのが、さゆりんです。

1Sでもカメラに抜かれます。

 


乃木坂46 君の名は希望
https://www.youtube.com/watch?v=hdhhpFt1hSo

ツインテールにしてるのが、さゆりんです。

ピアノを弾けるメンバーもいるんだねぇ~~

乃木坂メンバーは多才ですねぇ~~

 


欅坂46 『二人セゾン』
https://www.youtube.com/watch?v=mNpPQXMgtmw

ねっ! 乃木坂より進化してるでしょ★


早く 1stアルバム、出ないかなぁ~~

 


欅坂46 『語るなら未来を・・・』
https://www.youtube.com/watch?v=AFg1x-xCxa4

進化してる欅坂46。

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乃木坂46の、さゆりんこと松村沙友理ちゃん💖♥♡(25歳)

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乃木坂46の、さゆりんこと松村沙友理ちゃん💖♥♡

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乃木坂46の、まいやんこと白石麻衣ちゃん♥(25歳)

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乃木坂46の星野みなみちゃん♡(19歳)

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乃木坂46の生田絵梨花ちゃん♡(20歳)

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乃木坂46の西野七瀬ちゃん♡(22歳)

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乃木坂46の高山一実ちゃん♡(23歳)

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欅坂46の平手友梨奈ちゃん♥(15歳)

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欅坂46の平手友梨奈ちゃん♥

 

 

みゆうとの大写真会&スマホ依存症候群&ニコチン中毒

昨日は、みゆうこと大森美優との大写真会でした。


またね! 「4ボタン選択」制度。


前の前に並んでた人が左から2番目のボタンを押して、「2S写真会」になってたから、僕も当てる事が出来ました。


これね、…おかしいと思いませんか?


我々ファンは、「大写真会」だから申し込んだのですし、「大写真券」を買ったのです。


これ、ハズレると、アルバム『サムネイル』にサインになります。


このシステムは、おかしいです。


なんでそうするのか考えた時、…メンバーがずっと2S写真会だったら疲れてしまう、という事でしょう。


でもね、大写真会がサイン会になっちゃったら、ほとんど行った事が馬鹿馬鹿しくなる。


4月の、ゆりあとも、6月の、かとみなとも「大写真会」です。


なので、また「4ボタン選択」制度です。


ゆりあは、昨日に続いて、また幕張メッセです。


もうね、往復5時間の上、列を並ぶんですよ、30分も前から。


これは疲れますよぉ~~


かとみなは地元、パシフィコ横浜です。


48Gのメンバーってね、Twitterの動画や写メより華奢なんですよね。


でも緊張して、みゆうの私服すら見れなかったよ汗

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でね、…電車の中で7割の人はスマホをイジってます。


音楽を聴くなら分かるけど、聴きながら、スマホを連続タップしてる人が多い。


この人達は何者なんですか???


先月、幼馴染の親友達と会った時、それが話題になりました。


「ゲームのやり方も分からねーし、やりたくもねー!」という事でした。


今、日本国民のほとんどが(特にティーンエイジャーと20代”僕は25歳です”)

 

スマホが無ければ生きてゆけない」と答えるでしょう。


本当にそうかなぁ~~???


そんな暇あったら、本の一冊でも読めば?って言いたくなります。


日本の小説はレヴェルが高いです。


なんとも美しい文体の三島由紀夫


洞察力が必要な川端康成


日常からの想像力で書いた夏目漱石(不倫もしていました=だから深い)。


太宰治の刹那的な文学。


こうあってほしいですよ。


あのねぇ~、スマホが無くたって十分生きていけますよ。

 

僕は同じキャリアなら電話番号メールを送れるので、たまに「元気か?」とか送ります。


LINEは通信料(パケット代)がかかりますが、電話番号メールなら、さしてパケット代もかかりません。


なぜか僕の友人にはキャリアが同じ人が多いんです。


普通のメールを送るよりも電話番号メールの方がいいです。


LINEのように「吹き出し」で表示されるしね。


ま、長文(長文は大袈裟かな)のメールは普通のメールで送信しますが。

 


そういう僕はニコチン中毒者です。


煙草を止めるつもりもないです。


ほとんどの店に喫煙ルームがある時代ですから、そんなに大変じゃない。


会社にも喫煙ルームがありますし。


うん。


僕は普段、アルコールを飲まないので、一服ってね、「ふぅ~~」って落ち着くんです。


本を読んでキリのいいところで、や、DVDを見ててキリのいいところに一服します。

 

最後に、…別に「スマホ依存症候群」の人が誰かに迷惑をかけてる訳ではありません。


個人の心の問題です。


逆にニコチン中毒は身体の問題です。

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AKB48・大写真会

明日は、AKB48・Team4の、みゆぽんこと大森美優ちゃんとの大写真会です。


なので、ブログの更新は出来ません。


会場が幕張メッセであり、往復5時間かかります汗


第6部なので、16:30~17:30 になります。


あぁ~~ 往復5時間かぁ~~


4月の、AKB48・大写真会(木崎ゆりあ)も会場は幕張メッセです・・・ ヽ(o_ _)oポテッ

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『マジすか学園1』、『マジすか学園2』&『マジすか学園4』&『マジすか学園5』を見て。

もうね、…前も書いたけど、「Windows Update」(更新プログラム)のインストール、めっちゃ時間がかかります。

僕のPCは元々”Windows7”でした(Windows10にアップグレードしたけど)。

なので、CPUやメモリー、二次キャッシュが時代遅れのものとなっており、インストールに、めちゃ時間がかかるんです。

途中で眠くなるくらいに。

CPUが「intel CORE i5」です。

これではインストールに時間がかかるのも無理ない。

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マジすか学園1』を。


「1」、「2」にはメイキング映像があります。

ちょい役の、まゆゆが15歳です笑


あっちゃん、ともちん、たかみな、玲奈ちゃん(SKE48)、くーみん(SKE48)等は、ティーンエイジャーですよね。


優子、麻里子様、こじはるは、もうとっくに20代ですね。


メイキングでは、皆、めちゃ明るいです。


でもね、AKB48としては、初めてのドラマですよ。


それもヤンキー役。


だから、まず台本読み(声に出す)から始まります。


慣れてないヤンキー言葉に苦戦します。


だって、アイドルですからね!


ただ、「4」の、ソルト(ぱるる)対さくら(宮脇咲良)のタイマン・シーンを見た後に「1」の、あっちゃんと麻里子様のタイマン・シーンは、あまりに間があって、きつく言うとお遊びにしか見えません。


ただ、あっちゃんの場合、全12話のうち11話でタイマン・シーンおよび喧嘩シーンがあります。


なので、サド(麻里子様)とのタイマン・シーンで動けなくなり、そのままマットに乗せられ、スタッフが抱えていきます。


なので、サドとのタイマン・シーンは延期。


そして新たに撮ったサドとのタイマン・シーンでも、あっちゃんはダウン。


動けなくなります。


またマットに乗せられ運ばれてゆく、あっちゃんを見て、可哀想だなぁって思いました。


11話でタイマン・シーン、喧嘩シーンがあったら男性でも倒れるよ。

 

しかも! 撮影時期が12月~2月!


雪が舞う中での撮影。


これは皆、こたえたでしょうねぇ~~


メイキングを見て知ったのだけど、ドラマって第1話から順番に撮ってゆくわけじゃないんだね。


だから、演技する側は大変だよね。

 

では、ストーリーを。


第1話で、ラッパッパの部室に勝ち込みに行った、ダルマ(なちゅという女優?)はラッパッパの店番クラスの生徒(それも高1)フルボッコされ、階段から突き落とされます。


それをチーム・ホルモンが、更にダルマを殴る蹴る。


チーム・ホルモンは指原、萌乃、きたりえ、あきちゃ、小森の研究生です。


指原や、きたりえって、この頃AKBの研究生だったんだね!


それにキレた転校生の前田(あっちゃん)が、チーム・ホルモンをフルボッコします。


それを見た、ダルマは、前田の舎弟に(前田は認めていないが、徐々に認めてゆく)。


そして、マジ女で、めちゃ強い転校生がいると話題になる。


なので、色んな喧嘩自慢の生徒が前田を襲う。


まず、歌舞伎シスターズ(河西と、もっちぃ)、学ラン(宮澤佐江)、山椒姉妹(みゃお、らぶたん、奥ちゃん=も、多分、まゆゆと同じで15歳ぐらいですね)、チョウコク(さやか)に前田は勝つ。


そこで登場してくるのがラッパッパ四天王No.4のシブヤ。


前田はチョーパン一発でシブヤを倒す。


ラッパッパ四天王No.3のブラック(ゆきりん)は、ダルマと、前田の仲間になった学ラン、歌舞伎シスターズが倒す。


そしてラッパッパ四天王No.2のゲキカラ(松井玲奈ちゃん)とのタイマン・シーンは見応えがありました。


それでも前田はゲキカラを倒す(ダウンはしなかったが、あのまま戦い続けていたらダウンしたであろう)。


そして、前田は矢場久根女子商業高校(ヤバクネ)30人(全員、鉄パイプや角材を持っている)との喧嘩シーン。


前田は一旦ダウンするが、そこにラッパッパ副部長のサドが現れ、前田とサドの方が有利になり、ヤバクネは退散してゆく。


そこに現れた舎弟のダルマが「サド! 見直したで。 あつ姐(前田)を助けてくれたんやろ」と。


サドは「勘違いするな。 私はヤバクネからマジ女を救っただけだ。 前田! 次の相手は私だ。 四天王を倒したお前を倒さないと病気と必死に戦ってる優子さんを裏切ることになるんだよ! 必ず来い!」と言う。


前田とサドとのタイマンでは、引き分けのようなものだったがサドはもう立てなかったので、前田の勝利。


一方、ラッパッパ部長の優子(大島優子)は第1話から、すでに入院していた。


何の病なのかは明らかにされていないが、日毎に消耗してゆく。


卒業式。 ラッパッパ副部長のサドと四天王が優子の車椅子を押して入ってくる。


最後の力を振りしぼって、前田の胸にストレートを(弱々しいストレート)入れ前田に「マジ女のテッペンは今日からお前だ」と言い放ち、前田に自分のスカーフを渡す。


サドが前田に、「最後はお前が押してくれ」と。


前田が優子の車椅子を押すが、体育館を出る前に、優子は死亡。

THE END,

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マジすか学園2』、前田(あっちゃん)は自分をラッパッパ副部長にし、おたべ(ゆいはん)を新部長に置く。


前田と、おたべは中学生の時にタイマンを張っている。


もちろん、勝ったのは前田だ。


しかし、前田は言う。


「私は負かしてしまった事を後悔している・・・自分が恐いんだ・・・」と、おたべに告げる。


前田は自分の本能を止められない。

 

前田は、生前の優子さん(大島優子)に「お前に頼みがある。 自分が生まれた意味を考えてくれないか。 そして強くなれ。 マジを無駄にするな」そう言われる。


前田はその答えを見つけに、”マジになるのって辛いなぁ~”と言いながらも、マジを探しに、街中のヤクザやチンピラをフルボッコにし病院送りにする。


それを繰り返す、前田…。


答えは見つからない…。 頼みがあると言った優子さんのスカートに落ちた(優子さんの車椅子を前田が押している)桜の花びらを小瓶に入れ、前田は、”この桜が無くなるのが先か、自分がいなくなるのが先か、どうでもいい”という気持ちでヤクザやチンピラをフルボッコにし病院送りにする。


そんな時、ライヴァル校(マジ女と比べたら格下だが)の矢場久根女子商業高校(ヤバクネ)のトップに「1」で前田にチョーパン一発で倒されたシブヤ(ともちん)が君臨する。


「1」では、シブヤはラッパッパ四天王No.4だった。


シブヤがヤバクネのトップの座についたのは、もう一度、前田とタイマンを張る為。


そんな折、ラッパッパ四天王No.1のゲキカラ(松井玲奈)がヤバクネの、はねっ返りに刺される。


しかし、ゲキカラは一命を取りとめる。


そしてヤバクネのシブヤがマジ女に宣戦布告。


シブヤの舎弟たちが、周りのヤンキー校に援助を頼み、その数300人を超える。


マジ女は、たったの30人。


しかし、マジ女は志願兵のみ。


ヤバクネ連合は所詮、寄せ集め。


そして、戦闘が始まる。


中盤、ヤバクネの方が有利であったが、徐々にマジ女が盛り返してゆく。


元・ラッパッパ副部長のサド(麻里子様)、元・ラッパッパ四天王No.1のトリゴヤ(こじはる)、元ラッパッパ四天王No.2のブラックも参戦する。


刺されたゲキカラは点滴を付けたまま参戦。

 

そして、マッポが張り込む中、前田が登場する。

 

前田「来いよ、シブヤ」

シブヤ「お前は馬鹿か、…マッポに捕まる覚悟をして来たんだな。 どうしてそこまでマジになれる?」

前田「罪は償なわなければいけないさ。 私は自分がなぜ生まれてきたのかの答えを見つけた」

シブヤ「教えてくれないか?」

前田「断る。…答えは人それぞれ違うからな…。 なぜ生まれてきたのかは生きるって事だ」

シブヤ「私の答えは、お前とタイマンする事だと思ってた」そしてシブヤは涙を流す。

前田はシブヤの背中をさすり、マジ女の校章を渡す。

 

前田は、出口に向かう。


そこで、マジ女で台頭してきたセンター(じゅりな)が

「前田。 まだ私とのタイマンはしてねーぞ」


「テッペンは、お前達だ」と、センターとネズミ(まゆゆ)に告げる。

 

前田は、マッポが待つ出口へ。


そこで手錠を掛けられる。


そして、パトカーに乗せられる。

 

パトカーは、あっという間に去り行く。


マジ女のヤンキー達が泣きながら、それぞれ前田の名前を叫ぶ。


”敦子”、”前田さん”等。


THE END.

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マジすか学園4』。


マジ女に九州からテッペンを取りに、さくら(宮脇咲良)が転校してくる。


という設定から、マジ女は日本一強いヤンキー校という事になる。


さくらは、チーム火鍋、カミソリ(こじまこ)&ゾンビ(なーにゃ)を倒し、やっとラッパッパ四天王No.4のヨガが登場する。


さくらは、ヨガ(あんにん)、ラッパッパ四天王No.3のバカモノ(りっちゃん)、ラッパッパ四天王No.2のマジック(木崎ゆりあ)、ラッパッパ四天王No.1のおたべ(ゆいはん)<この”おたべ”が「2」の”おたべ”と同一人物なのかどうかはこの物語では示されない>を倒してゆく。


しかし、ラッパッパ部長のソルト(ぱるる)には手も足も出ず敗北。


ソルト「まだまだテッペンは遠い。 自分の弱さを知れ。 そして強くなれ」そう言って去ってゆく。


ドアを開けたのは、ラッパッパ四天王No.4のヨガ。


外に出て行くソルトの後姿は実にカッコイイ。


また、ソルトの殺陣は物凄い!!


激尾古高校(ゲキオコ)の副総長の、こびー(みるきー)とのタイマンでも、アッパー→ストレート→アッパー→ストレート→回し蹴りの連続攻撃を見せる。


THE END.

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マジすか学園5』。


ゲキオコの総長アントニオ(さや姉)がゲキオコの一人が竜頭組に風俗に沈められそうになっているのを知り、竜頭組の事務所へ行き監禁されてしまう。


留年した、ラッパッパ部長のソルト(ぱるる)が単身、アントニオを救出する。


ソルトは竜頭組の若い衆をボコり、竜頭組の若頭、陣山は長ドスを抜く。


ソルトは少し腕を切られるが、陣山にアッパーを放ち、蹴り飛ばす。


そして「ヤンキーを甘くみるんじゃねーよ。 うちらだってな、マジになれば命も張るぜ」と言い、長ドスを陣山の顔スレスレの所に投げる。


陣山が「うちは代紋しょってんねん。 必ず探し出すで」と。


ソルト「馬路須加女学園の島崎遥香だ。 いつでも来い」と言い放つ。


その第1話のラストで、ソルトは何者かによって銃撃され死亡する。


ソルトを撃ったのが誰か分かるのは第11話。


ソルトが留年したので、ラッパッパ四天王も全員、留年する。


バカモノだけは計算を間違い卒業してしまう。


ソルトの葬儀には、前田、優子の三つ子の大島優香、元ラッパッパ四天王No.1のトリゴヤ、元ラッパッパ四天王No.2のブラック、「2」で前田から”テッペンはお前達だ”と言われた、ネズミなども参列する。


順列を整理すると、ラッパッパ部長がソルト。

副部長が、さくら。

ラッパッパ四天王No.1のおたべ。

ラッパッパ四天王No.3のマジック。

ラッパッパ四天王No.4のヨガ。

 

ソルトを撃ったのは、竜頭組だと思い込むマジ女のラッパッパ達。


さくらが単身、乗り込みに行き、竜頭組の組員二人をヤるが、もう一人の鉄パイプを持った組員に腕を打たれる。


それを助けたのが、計算間違いで卒業してしまったバカモノ。


バカモノは、さくらにビンタをし

「ヤクザ殴って、敵取れんのか?」と。


バカモノは、明智総業(銀獅子会のフロント企業)にヘッドハンティングされ、ソルトを守る為にと、明智総業の浦沢に拳銃を渡されていた。


竜頭組と明智総業はテリトリーをめぐって敵対している。


明智総業の専務、義宗は、実は、ラッパッパ四天王No.1のおたべの実父。

 

第2話で、竜頭組とラッパッパの「手打ち式」が料亭で行われるが、もちろんラッパッパは”手打ち”などする気は毛頭ない。


しかし、そこで、ソルトをヤったのは明智総業じゃないかと竜頭組の陣山に言われる。


そんな中(手打ち式)、料亭の灯りが消え、バカモノは竜頭組の若頭の陣山を撃とうとするが、灯りを消した明智総業の浦沢に銃撃され死亡。


竜頭組の陣山は重症。


ゲキオコのこびーがアントニオが敵をうとうとしてる事を知り、重症の陣山を刺殺。


こびーは竜頭組の組員によって射殺される。

 

そして、ゲキオコのアントニオが竜頭組の組長の川守を殺害しようとダイナマイトを身体に巻いて、川守が乗っている車に突進してゆくが運転手の組員に銃殺される。


その車に乗っていた実はチャイニーズ・マフィアの弁護士がダイナマイトを車の下に投げ爆発。


よって、竜頭組の組長の川守は死亡(竜頭組・解散)。


元・竜頭組でありマジ女OGの、みなみ(現在は定食屋のおばちゃん=たかみな”「4」でも登場”)が敵をうつ為に、明智総業の義宗を襲うが、明智総業の会長の明智博臣(リリー・フランキー)の命令で、どちらも銃殺されてしまう。


義宗は死ぬ直前、実子の、おたべにスナック「閻魔様」の住所をショート・メールで送る。


おたべがそのスナックに向かう。


そこで、スナックのママから「義宗が、自分が死んだら、1番先に来た人に渡せ」と言っていたコイン・ロッカーの鍵を貰う。


コイン・ロッカーには、10丁の拳銃が入っていた。


その拳銃の中敷きの下に、色々な人の名前が書いてあるリスト(外に出ては困るもの)と、コイン・ロッカーの鍵、二つを、さくらが見つける。


それにより、ラッパッパは30丁の拳銃を手に入れる。


そんな中、さくらがチャイニーズ・マフィアに拳銃で撃たれ、スナック「閻魔様」に、おたべが連れて行き、獣医に弾を取ってもらい一命を取りとめる。


さくらがチャイニーズ・マフィアに狙われたのは、ラッパッパが拳銃を手に入れる前に、チャイニーズ・マフィアの三下をボコって拳銃を奪った為。


そして、ラッパッパ四天王No.4のヨガがチャイニーズ・マフィアに殺される。


ラッパッパは、副部長のさくら、ラッパッパ四天王No.1のおたべ、ラッパッパ四天王No.2のマジックのみになる。


「2」で前田から”お前達がテッペンだ”と言われたセンターが、このままではラッパッパ全員が殺されてしまう事に危惧を持ち、チーム火鍋と、カミソリ&ゾンビを新ラッパッパにする。


センターはソルトを撃った犯人を捜す為、ラッパッパ部長の席にカツゼツ(はるっぴ)を置く。


カツゼツは、さくらの旧友であり、さくらの後を追って上京してきた。


さくらはカツゼツがラッパッパ部長である事を認めず、タイマンを張る。


さくらが優勢のまま(ダウンまでさせず)、さくらは去って行く。


おたべはヤクザとの戦闘に集中したいが為にカツゼツに「マジ女を頼む」と言う。


そんな折、おたべ宛てに「日中親睦会の招待券」が送られてくる。


さくら「罠ですね」

おたべ「しゃーないやんけ、うちが指名されたんや」

さくら「一人で来いとは言われてませんよね」

おたべ「…もう、ここへは戻ってこられへんで」

さくら「この階段(ラッパッパの部室へ続く階段)を上った時から戻る気なんてありませんから」と。


拳銃を、さくらと、おたべがバッグから取る。


そこにカツゼツを先頭に新ラッパッパが部室に入って来て

カツゼツが「うちらもラッパッパやけん」と言い、拳銃を順番に手にしてゆく。

 

おたべ「あんたらまでいなくなったら誰がマジ女を守るんや」


チーム火鍋のリーダーのウオノメ(じゅり)が

「いつの時代でも、次の世代がひかえていますよ」と答える。


ラッパッパ、そして新ラッパッパは、それぞれ拳銃をスカートの後に入れる。

 


ラッパッパと新ラッパッパが「日中親睦会」会場に向かう為、マジ女の階段を下り外に出ると、そこにはゲキオコのヤンキー達が。


「敵は一緒や。 お伴させてもらうで」と。


拳銃の入ったバッグの一つをゲキオコのヤンキー達に投げる。


ゲキオコは看護科なので拳銃をポケットに入れる。


そして、外に出ると、そこにはヤバクネのヤンキー達がいた。


ヤバクネの頭が「これはヤンキー全体に売られた戦争だ」と言う。


ヤバクネのヤンキー達の前に、最後の拳銃が入ったバッグを投げ、ヤバクネのヤンキー達は拳銃を手に取る。

 

こうしてマジ女、ゲキオコ、ヤバクネで「日中親睦会」の会場に向かう。


入口でチャイニーズ・マフィアが片言の日本語で「一人。 中は一人」と言うが、さくらと、おたべが入口にいる数人のチャイニーズ・マフィアをボコり会場入りする。


そこで、おたべが

「会食中、堪忍な。 あんたらが浚ったマジックを返してもらおうか」と。


チャイニーズ・マフィアのボスが「リストを返せば解放する」


おたべ「リストってコレか?」と拳銃を手に持つ。


ラッパッパも新ラッパッパも、ゲキオコもヤバクネも拳銃を手に持つ。


そこにバカモノが射殺された時にラッパッパに事情聴取した刑事が居た。


さくらが「世の中って、こういう仕組みで出来ているんですか。 てめぇーら、汚過ぎんだよ!」と、その刑事の前にあった食器を拳銃で撃つ。


その刑事はSATの出動要請を。


マジックは解放されるが、後ろから、おたべを撃とうとしてたチャイニーズ・マフィアに身を投げ出し、自分が銃殺される。


そのチャイニーズ・マフィアは、さくらが銃殺。


こうして始まったヤンキー達とチャイニーズ・マフィアの銃撃戦。


一方、センターがソルトを銃殺したのはマジ女の校長、毛利だと知り、射殺する。


「1」、「2」ではマジ女の校長は初代ラッパッパ部長の女性校長だった。


「4」では校長の出番は無し。

 


そして、さくらはチャイニーズ・マフィアの新ボスを射殺。


おたべは明智総業の会長、明智博臣を射殺。


カツゼツは、その刑事に撃たれながらも、2発を刑事に撃ち込み、どちらも死亡。

 

銃撃戦のうえ、生き残ったのは、さくらと、おたべのみ。


おたべ「終わったな・・・」

さくら頷く。

おたべ「マジ女へ帰ろう」

と言った矢先、隠れていたチャイニーズ・マフィアのボス代理により銃殺される。

そのボス代理を、さくらが銃殺。

 

外に出た、さくら。


待ち構えていたのはSAT。

「銃を捨てなさい」とSAT。


SATに拳銃を向ける、さくら。


そして、SATに何十発もの銃撃を受け、さくらが腰を落としたところで


THE END.

 


<ヤンキー達と言っても、チャラチャラしたヤンキー達では無い。

どこまでも真っ直ぐなヤンキー達だ。


この『マジすか学園5』で、『マジすか学園』は終了。


のちに『キャバすか学園』の放送となるが、全く面白味も無く、放送時間も1話=30分と短かった。 『マジすか学園』の放送は1話=1時間でした。


これで『マジすか学園』は本当に終わりなのか???


もし『マジすか学園6』があるとしたら、さくら(18歳)のように若くして、選抜入り(昨年は6位)するメンバーが出てこないと無理。


みーおんが13位だが、みーおんが準主役というのはキャラクターに合っていない上、みーおんはチーム火鍋のメンバーだった。

 

例えば、35位だった、SKEの、えごちゃん。

36位だった、HKTの、あおいたん。

43位だったHKTのメルちゃんあたりが選抜入りすれば、『マジすか学園6』も夢じゃない。


しかし、それには何年もかかってしまうし、その何年かのうちに、そのメンバーも歳をとってしまう。


僕は『マジすか学園6』を見たい。>

 


「1」での、優子、あっちゃん、玲奈ちゃんの演技力。


「2」での、あっちゃん、ともちん、玲奈ちゃん、ゆいはんの演技力。


「4」での、ぱるる、さくらの演技力。


「5」での、さくら、ゆいはん、谷口めぐ、永尾まりやの演技力は、たいしたものです。


元々、アイドルなわけですからね。


それを考えると、秋元氏の原作、役どころ(メンバーの)は、さすがですね!

オルテガ 『大衆の反逆』(1929年)を読んで。

オルテガはスペインの哲学者です。

これは名著です! 1929年に書かれたとは思えないほど哲学的ですし刺激的です。

驚いたのが、この著書で、すでに「EU構想」を打ち出しています。


もっと驚いたのが、この文章です。「たとえば議会などについて、四六時中愚劣な話を聞かされるのはもうご免こうむりたい」というものです。


我が、日本国民が、それに気付いたのは昭和中期である。


したがって我が日本は、西欧より40年、遅れているという事を肝に銘じた方が良い。


また、…個人の精神的自立性、教育の水準、政治の水準(=国民の水準)は、西欧よりも100年遅れていると言っても過言では無い。

 

そして、思想家の西部さんが様々な著書の中で「西欧は尊敬するに値する」という意味が解った気がします。

また、西部さんの思想が、かなりオルテガに影響されていたと知りました。

 


1、人間は根源的な孤独を宣告されているので、人間にとっては相互理解は不可能であり、人は他人に到達しようとする努力で憔悴しているということである。
隣人に到達するための努力のなかで言葉のなしうることは、我々の心のなかに起こる諸々のことの幾つかを、ときとして、比較的正確に表現できるということであり、それ以上ではない。
これが幻想なのだ。
言葉というものはそれほど役立つものではない。


2、言葉というものはすべて偶発的なものである。


3、人類に向けて話すという習慣は、最も崇高なものであり、それゆえ、デマゴギーの最も唾棄すべき形式なのであるが、それは1750年頃に道を踏み外した知識人たちによって採用された。


4、つまり、西欧全体が現在そのなかに落ち込みつつある、諸々の状況の驚くべき均質性の兆候と考えている。


5、ヨーロッパ人と呼ばれるこれらの民族にとって、生きるということは(明らかに11世紀以来、オットー三世以来)、ある共通の空間もしくは範囲内を動きまわり、行動することであった。
つまり、各民族にとって生きるということは、他の民族と共存することだったのである。
この共存はつねに平和的な面と好戦的な面を持っていた。


6、西欧の人間が今日の激しい社会的抗争に直面したとき、彼らが、社会、集団、個人、慣習、法律、正義、革命等に関する陳腐でばかげた概念で防備してきたことが、現代の最大の不幸の一つだからである。


7、私はそれぞれの国民国家で機能を果たしている決定的な社会的権力が、純粋に国内的な社会的権力のみから成っているという考えを、はっきりと否定する。
ヨーロッパのすべての民族は、何世紀も前から(このことを意識し始めたのは4世紀前からであるが)その動的性質ゆえに力学から得た名称である「ヨーロッパの均衡」、もしくは「力の均衡」と呼ばれる社会的権力に従って生活していることを、はっきり承知しておく必要がある。


8、鈍重の頭の持ち主とは、東洋の、つまり変わることなき専制政治の下で生きるために生まれた者である。
今日、ヨーロッパ大陸の全域において、均質性の一形式が勝利を収め、それが西欧のこの宝を完全に食い尽くそうとしている。
つまりそれは、いたるところに出現した大衆人のことである。


9、大衆人はただ欲求のみを持っており、自分には権利だけがあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない。
つまり、彼らは自らに義務を課す高貴さを欠いた人間であり、俗物なのである。


10、自由主義は、それを誹謗する集産主義者たちが考えているよりも、はるかに深遠かつ明快な社会に関する一つの理論であると考えている。


11、自由主義の理論家たちは、歴史的なものこそ真に絶対的なものであることを発見したのである。


12、真の権利とは、絶対的にそこにあるものである。
なぜならそれは、歴史上のなかに現れ、そのなかで強化されてきたからである。
そして、このようなものが「自由」であり、合法性であり、権威であり、「能力」なのである。


13、おそらく、アルクイヌス(735年-804年、英、神学者)の時代以来、我々は少なくとも50年、イギリス人よりも遅れている。


14、ところで、「状況の多様性」の斬次的衰退とともに、我々は後期ローマ帝国への道をまっしぐらに辿ることになる。
あの時代もまた、大衆と驚くべき均質化の時代であった。


15、政治は人を孤独と親密さから解放する。


16、ギリシア文明もローマの文明も、この唾棄すべき連中の手によって瓦解したのであり、彼らはマコーレーをしてこのように叫ばしたのである。
「いつの時代においても、人間性の最も卑劣な例は、デマゴーグの間に見られた」
しかしながら、人が単に群衆の前で叫んだからといって、彼をデマゴーグと言うわけにはいかない。
これは、ときとしては、神聖きわまりない判事の職務でもあるのだ。
デマゴーグデマゴギーの本質は彼の精神のなかにある。
つまり、自分があやつる思想に対するその無責任な態度にあるのだが、その思想とて彼自身の創造になるものではなく、真の創造者からの受け売りなのである。
デマゴギーは知的退廃の一つの型であり、ヨーロッパ史上の広汎な例としては、1750年頃のフランスに現れた。
なぜその頃に?
なぜフランスに現れたのか?
これはヨーロッパの運命が、そして特にフランスの運命が持っている泣きどころである。


17、しかし、私の心を何よりもひきつけたのが、ヨーロッパが最も多くのものを負っている我々の最高の師、つまりデカルトの言葉に今一度耳を傾けることであったのは当然のことである。
「合理主義」は3世紀を経てきたわけであるが、我々は今、デカルト哲学の驚嘆すべき理性の栄光と限界にについて深思すべきである。
その理由は、単に数学的、物理学的、生物学的なものである。
自然を対象としたときに見せるその想像だにできないほどの驚くべき成功は、それだけいっそう人間固有の問題に対したときの挫折を浮き彫りにする。
そしてその結果、自然と人間を等しくとらえるより根源的な理性、つまり「歴史的理性」を招き寄せるのである。


18、革命の方法に対抗できる唯一の方法は、今日のヨーロッパ人がその背後に持っている長い経験だけである。
革命は、偽善めいた寛大さでもって、きわめて性急に権利を公言するが、それはつねに基本的人権、すなわち、まったく基本的であるので人間の本質の定義そのものである生き続ける権利を犯し、破壊し、蹂躙してきた。
人間の歴史と「自然の歴史」の根本的な唯一の相違は、人間の歴史が、けっしてやり直しのきかないものだということである。


19、ところが人間は、記憶力のおかげで自分自身の過去を蓄積し、それを利用する。
人間の場合は、過去の人間とまったく同じということはありえない。
つまり新しく生まれてきた人間は、最初から過去の推積というある程度の高みに立っているのである。
これが、人間の持つ唯一の宝であり、特権であり、人間である印である。
そして、唯一の宝のもっとも小さな長所は、それが我々に、つねに同じ誤りを繰り返すのを避けるために、失敗を記憶することがいかに重要であるかを教えてくれることである。
人間の真の宝とは、その失敗の蓄積、すなわち、何千年にもわたって一滴一滴とたまってきた生にかかわる長い経験である。
だからニーチェは、超人を定義して「もっとも記憶力の良い」人間と呼んだのである。
過去との連続を絶つこと、つまり新たにことを始めようと願うことは、人間がオランウータンにまでおちぶれ、それを真似しようとすることだ。


20、イギリスの君主制度はきわめて限定された、非常に効果的な機能を持っている。
つまり、象徴化という機能である。
ヨーロッパは才知にあふれてはいるが落ち着きがなく、けっして成熟することのない子供であったのに対し、その背後に控えるイギリスは、つねにヨーロッパの保母の役をしてきたからである。
イギリスは、ほとんどすべての部門において他国に先んじ、より早く未来に到達した国家である。
実際上は、ほとんどという語も取り去ってしかるべきだろう。
イギリス人は我々に、彼らの過去は、それがまさしく過ぎ去ったがゆえに、彼らにとっては今でも存在し続けているのだということを一生懸命教えようとしているのだ。
我々がまだ到達していない未来の一点から、彼らの過去が依然として有効性を持っていることを教えているのである。
つまり、こういうものが真の人間からなる国家の在り方である。
すなわち、未来のために生きながらも、引き続き過去をも生きうること、つまり真の現在に生きうることである。
というのは、現在とは、過去と未来が実際的な作用を及ぼしながら存在している場所だからである。


21、このと善し悪しはともかく、今日のヨーロッパの社会生活において最も重要な一つの事実がある。
それは、大衆が完全な社会的権力の座に上がったことである。
大衆はその本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、いわんや社会を支配するなどおよびもつかないことである。
したがってこの事実は、ヨーロッパが今や民族、国家、文化の直面しうる最大の危機に見舞われていることを意味している。
こうした危機は、歴史上すでに一度ならず襲来しており、その様相や、それがひきおこす結果は周知のところで、その名称も知られている。
つまりそれは、大衆の反逆と呼ばれている。


22、物事に驚くこと、不審に思うことは、理解しはじめることである。
それは、知的な人間に特有のスポーツであり、ぜいたくである。


23、しかしながらここにおいて、我々はまず第一の重要な問題点につき当たるのである。
つまりそれは、こうした群衆を構成する個人個人は前から存在していたが、しかし群衆としては存在していなかったということである。
群衆は突如として姿を現し、社会の中で最も好ましい場所にいついてしまった。
以前はたとえ存在していても、人に気づかれず、社会という舞台の背景にひそんでいたのだが、今では舞台の前面にでてきてライトを浴び、主要人物になっているのだ。


24、大衆とは善きにつけ悪しきにつけ、特別な理由から自分に価値を見出すことなく、自分を「すべての人」と同じだと感じ、しかもそのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに喜びを感じるすべての人々のことである。


25、つまる選ばれた人間とは、他人よりも自分がすぐれていると考える厚顔な人間ではなく、自分では達成できなくとも、他人よりも多くの、しかも高度の要求を自分に課す人間であるということを、知っていながら知らないふりをしているのである。


26、あとで考察することを先回りして言えば、私は近年の政治的変革は、大衆による政治の支配以外のなにものでもないと信じている。


27、私は、我々の時代におけるほど群衆が直接的に支配権をふるうようになった時代は、歴史上かつてなかったのではないかと思う。
それだからこそ、私は超デモクラシーについて語るのである。


28、ローマ帝国の歴史もまた、大衆が指導的少数者を吸収してその力を失わしめ、それにとって代わった大衆の反逆と支配の歴史である。


29、あの寛大な民主主義的理想から生まれた万人平等化の権利は、目標や理想であることをやめ、単なる要求や無意識的な前提に変わってしまったのである。


30、自分が自分自身の主人であり、他のいかなる人間とも平等であると感じる心理状態は、ヨーロッパでは傑出した人々の集団だけが獲得しえたものであったが、アメリカでは18世紀以来、つまり、実際的には建国以来つねに存在していたのだ。


31、ヨーロッパにおける大衆の勝利とそれに由来する生活水準のすばらしい上昇は、2世紀にわたる斬新的な大衆教育と、それと平行して進んだ社会の経済的繁栄の後で、内的な諸要因から起きたのである。
ところがその結果が、アメリカ的な生活様式の最も特徴的な様相と一致したというわけで、それによって、ヨーロッパの平均人の精神状態がアメリカ人のそれと一致し、そのおかげでヨーロッパ人は初めて、以前には謎であり神秘であったアメリカの生活が理解できるようになったのだ。


32、我々は、現在、平均化の時代に生きている。
財産は平均化され、異なった社会階級間の文化も均等化され、男女両性も平等になりつつある。
それどころか、諸大陸も均等化されつつある。

 

33、たいていの時代は、自分の時代が過去の他の時代よりもすぐれているなどとは考えなかった。
その反対に、漠然とした過去にもっと充実したより良い時代があったと考えるのが最も普遍的な感じ方であった。


34、今日、我々は、明日この世で何が起きるのかをもはや知らない。
そして、そのことにひそかな喜びを感じているのである。
というのは、予測しがたいということ、地平線がつねにあらゆる可能性に向かって開かれていること、そういうものこそが紛れもない生であり、生の真の充実だからである。


35、我々が過去をふり返ると、あの有名なルネサンスもきわめて狭苦しく、地方的で、無意味なゼスチャー、遠慮なくいえば気障に見えるのだ。


36、生とはすべて「環境」、すなわち世界のなかに自己を見出すことである。
なぜなら、環境、つまり周囲にあるもの、というのが世界なる概念の元々の意味だからである。
世界とは我々の生の可能性の総体である。


37、この10年あまりの間に、科学はその宇宙的領域を本当だとは思えないほど拡大した。
アインシュタインの物理学はあまりにも広大な空間のなかで展開されるので、ニュートンの旧物理学は、今ではそのなかで、いわば一つの屋根裏部屋を占めているにすぎない。
この外への成長は、科学的精確性という内への成長があったおかげである。
アインシュタインの物理学は、以前には重要性がないと思われて軽視され、考慮に入れられなかった極微差に注意を払って組み立てられている。


38、つまり我々の時代は、信じがたいほどの実現能力があるのを自分に感じながら、何を実現すべきかが分からないのである。
つまりあらゆる事象を征服しながらも、自分自身の主人にはなれず、自分自身の豊かさのなかで自己を見失ってるのだ。
我々の時代はかつてないほど多くの手段、より多くの知識、より多くの技術を持ちながら、結果的には歴史上もっとも不幸な時代として波間に漂っているのである。


39、生きるとは、自由を行使すること、この世で我々がなろうとするものを決断することが宿命的に強制されているのを自覚することなのだ。
ただ一瞬たりとも、我々の決断行為を休ませることは認められていない。
絶望してことの成り行きにまかせるときでさえ、我々は決断しないことを決断したのである。
したがって、人生においては「環境が決定する」というのは誤りである。
その逆である。
環境とはつねに更新するジレンマであり、我々はその前に立って決断しなければならないのだ。
しかし、決断するものは我々の性格である。


40、政治は明白な未来の姿を示さず、明白な未来を予告するわけでもなく、その後の発展の結果が想像できるようなある事柄の初めの姿とも見えないのだ。
要するに、生のプログラムもなければ計画もないままに暮らしているのである。
それは自分がどこかへ行くのかも知らない、というのは厳密に言うと、進んでいないからであり、前もって定められた道や軌道を持っていないからである。


41、大衆人とは生の計画を持たずに波のまにまに漂う人間である。
したがって、大衆人の持つ可能性や能力がいかに大きいにしろ、彼は何も建設しないのである。
そして、我々の時代においてはこういうタイプの人間が決断を下しているのである。
だから我々は、その性格を分析することが大切である。


42、つまり、6世紀にヨーロッパの歴史が始まって以来1800年までに(したがって12世紀の長期間にわたって)ヨーロッパの人口は1億8千万を越えることができなかった。
ところが1800年から1914年までに(したがって1世紀と少しの間に)ヨーロッパ人の人口は1億8千万から4億6千万へと増大したのだ!
この二つの数字を対照すれば、私は最近1世紀間の増殖能力に関してはなんら疑問をさしはさむ余地がないと思う。
わずか三世代の間に莫大な人的資源が産みだされ、それが急流のように歴史の平野に流れ込み、溢れだしたのだ。
繰り返して言うが、この事実は大衆の勝利とそのうちに反映され予告されている一切のことを理解するために十分だろう。
しかしそれと同時にこの事実は、アメリカ合衆国のような新興国家の増大に対して我々の抱いている感嘆の念が、実は根拠のないものであることを教えてくれる。
我々は、1世紀の間に人口が1億に達したアメリカの成長に目をみはっているが、真に瞠目すべきはヨーロッパの増殖である。
ここにも、ヨーロッパのアメリカ化を想定する妄想を正すべき、もう一つの理由があるのだ。
アメリカを特徴づける上で最も明白だと思えたかもしれない面でさえ(人口増加の速度)アメリカに特有のものではないのだ。
ヨーロッパは前世紀に、アメリカよりもずっと成長した。
アメリカはヨーロッパの余りもので作られているのである。
そのため、先に引用した数字で私に興味があるのは、人口の増加ではなく、二つの数字の対照が明らかにしている人口増加の目もくらむばかりの速さである。
我々にとっていま重要なのはこの事実である。
なぜならば、この目もくらみばかりの速さというのは、人々に伝統的な文化を滲みこませるのが容易でないほどの急ピッチで、大量の人間を次から次へと歴史の上に吐き出したことを意味しているからである。

 

43、前世紀があれほど誇りとしていた学校では、大衆に教えることのできたのはただ近代生活の技術だけで、彼らを教育することはついに出来なかったのである。
大衆には強烈に生きるための道具は与えられたが、偉大な歴史的使命に対する感受性は与えられなかった。
そのため大衆は、こと精神に関しては何も望まず、新しい世代の人々はまるでこの世界を、過去の痕跡もなければ、昔から続いている複雑な問題もない楽園ででもあるかのようにみなして、自分の手に世界の支配権を取ろうとしたのである。


44、1820年、1850年、1880年当時の明敏な頭脳の持ち主なら誰でも、少し頭を働かせただけで、今日の歴史的状況の重大さを先験的に予見できた。
事実また、100年前に予見されなかったような新しいことは何も起きていない。
「大衆は前進する!」とヘーゲルは黙示録めいた口調で言った。
またオーギュスト・コントは「新しい精神力を持たなければ、革命的な時代である我々の時代はいずれ破局をもたらすことになろう」と告げた。
そしてニーチェが絶叫した、「私には、ニヒリズムの潮が水嵩を増しているのが見える!」と。
歴史は予見できないと言うのは偽りである。


45、それ以前の庶民にとっては、生とは経済的にも肉体的にも窮屈な運命であった。
彼らは生まれながらにして、生きるとは無理にでも耐え忍ばねばならない障害の推積であると思い、それを解決する方法は、ただ様々な障害に適応し、自分達に残された狭い場所に住みつくよりほかはないと感じていたのだ。
19世紀の後半以降、平均人は自分の前になんらの社会的障壁を見出していない。
つまり彼らは生まれたときから、社会生活の形式の面においても、なんらの拘束や制約に出会っていないのである。
彼らの生を抑制するものは何もないのだ。


46、過去の相続人である新しい民衆は、周囲の世界に甘やかされてきた。
甘やかすとは欲望を制限しないこと、ある人間に対して、彼には一切のことが許されていて、何に対しても義務を負っていないという印象を与えることである。
こういう教育法で育てられた者は、自分自身の限界を経験したことがない。


47、とりわけ、いかなる人間も自分よりすぐれているとは考えない習慣を身につけてしまう。
もし過去においてそういう目に遭っていれば、彼らは次のような基本的な規律を学んでいたことだろう。
「自分の領域はここで終わり、ここからは自分よりももっと有能な他人の領域が始まる。
世の中には見たところ、自分と、自分よりすぐれた他人という2人の人間がいる」。


48、このように、高貴な生は凡俗な生、すなわち無気力な生と対置されるが、これらの生は自分自身のなかに閉じこもったまま、外部の力で自分の外へ出ることを強制されないかぎり、永遠の逼塞を宣告されている生である。
私がこのような生き方をする人間を大衆と呼ぶ理由はここにあるのだ。
つまり、かような生き方をする人間がたくさんいるから大衆だというよりは、その生き方が無気力だから大衆と呼ぶのである。


49、ここで、愚者と賢者の間に永遠に存在している相違そのものにつき当たる。
賢者は、自分がもう少しで愚者になり下がろうとしている危険をたえず感じている。
そのため彼は、身近に迫っている愚劣さから逃れようと努力するのであり、その努力のうちにこそ英知があるのだ。
ところが愚者は自分を疑うことをしない。
彼は自分がきわめて分別に富む人間だと考えている。
愚鈍な人間が自分自身の愚かさのなかに腰をおろして安住するときの、あの羨むべき平静さはそこから生まれている。


50、大衆人が馬鹿だと言っているのではない。
それどころか、今日の大衆人は以前のいかなる時代の大衆人よりも利口であり、より多くの知的能力を備えている。
だがその能力も、彼らのためになんの役にもたっていない。


51、つまり、我々の隣人たちが訴えていける規則がないところに文化はない。
訴えるべき市民法の原理がないところに文化はない。
議論の際に考慮すべき幾つかの究極的な知的態度に敬意を払わないところに文化はない。
人がその庇護の下で守れるような交通制度が経済的関係を支配してないところに文化はない。
美学論争が芸術作品を正当化する必要を認めないところに文化はない。


52、平均人は自分のなかに「思想」を見出すが、思想を形成する力には欠けている。
思想が住む微妙きわまりない場所がどこであるかを考えもしない。
意見を述べたがるが、およそ意見を述べる際の条件や前提を認めようとはしない。
そのため彼らの「思想」なるものは実際には思想ではなく、音楽つき恋愛詩のように、言葉をまとった欲望に他ならないのである。


53、政治において、共存への最も高度な意志を表明した形態は、自由主義的デモクラシーである。
自由主義的デモクラシーは、隣人を考慮しようとする決意を極端に示しており、「間接行動」の典型である。


54、大衆の反逆は確かに人類の新しい、しかも比類のない組織への移行過程でありうる。
しかしそれはまた、人類の運命における一つの破局ともなりうるのである。
あらゆる進歩、あらゆる発展は、必ず退化と後退の危険に脅かされていると考えるほうがいっそう事実に則しているからである。


55、今日、技術の途方もない進歩がたえず話題になっているが、技術の持つまことにドラマチックな未来を意識して語られることは、第一級の人達の間でもないようだ。
私は、あれほど俊敏で、あれほど洞察力に富む、あのシュペングラーでさえ、この点においては楽天的すぎると思う。
というのは、彼は「文化」の後に「文明」の時代が続くと考えていたのだが、その文明という言葉でとくに技術を考えていたからである。


56、物理化学というカクテルを作るには、色々と異なった要素を集めて振り混ぜればよいといったものではない。
このテーマを最も表面的に軽く扱おうとしても、物理化学が形成されて十分に定着することのできたのが、地球上のあらゆる場所、あらゆる時代を通して、わずかにロンドン、ベルリン、ウィーン、パリの四つの点が描く小さな四辺形の地域内だけだった、とうい明瞭きわまりない事実が目につく。
しかもその四辺形内においても、19世紀においてのみだったのだ。
このことは、実験科学が歴史の産物のなかで最も作られがたいものの一つであることを証明している。


57、哲学は大衆の庇護も好意も同情も必要としない。


58、諸問題の微妙な複雑さとの間にあるこの不均衡は、なんらかの方法を講じないと益々おおきくなり、文明にとっての最も根本的な悲劇になるだろう。
文明を成した諸原理があまりにも豊沃で的確であることから、収穫物が量においても精度においても増加し、ついに常人の理解力を越えてしまうからである。
私はこのような現象が過去に起きたことがあるとは思わない。
過去のあらゆる文明は、その原理の不十分さ故に滅びたのである。
ところが今日のヨーロッパ文明は、その反対の理由から倒壊の危険にさらされているのだ。
ギリシアやローマの場合には、失敗したのは人間ではなくて原理であった。
ただ技術のみが見出しうる、ある種の物質的緊急問題の解決を迫られた時、古代世界の退化、後退、衰退が始まったのである。
しかし今日では、自分自身の文明の進歩に追いつけずに失敗しているのは人間のほうである。


59、今日の最も「教養のある」人々には、信じられないくらい歴史的知識が欠けているのだ。
今日のヨーロッパを指導している人々は、18世紀や17世紀の人々よりも歴史を知らないと断言してもよい。


60、したがって、現在ヨーロッパとその隣接地帯で行われつつある二つの「新しい」政治的試み、つまりポルシェヴィズムとファシズムも、この本質的後退を示す二つの明白な例である。
問題は共産主義者であるかいなか、ポルシェヴィキであるかいなかではない。
私は進行個条を議論しているのではない。
時代錯誤的であって理解できないのは、1917年の共産主義者が、それ以前に起きたあらゆる革命とまったく同じ形の革命に突き進んだこと、その革命において過去の革命にあった欠陥や誤りが少しも修正されていないことである。
だからロシアで起きたことは、歴史的にみて興味あることではない。
それは、人間生活の新しい門出とは正反対のものである。


61、ポルシェヴィズムの場合に使った記号を逆にすれば、ファシズムについても同じことが言えるだろう。
いずれの試みも「時代の高さ」に達しておらず、その内部には、過去を越えるための不可避的な条件である過去全体の縮図が蔵されていない。


62、彼はあらゆることに介入し、なんら配慮も内省も手続きも遠慮もなしに、つまり「直接行動」の方式に従って、自分の低俗な意見を押しつける事になる。
こうした一切の様相から、我々は、「甘やかされた子供」や反逆的未開人のように、人間の在り方としてある種の欠陥を持っているもの、つまり野蛮人のことを思い起こした。
今日あらゆる所を歩きまわり、どこであろうと自分の野蛮性を強制しているこの登場人物は、明らかに人類史の生んだ甘やかされた子供である。
これは、贅沢が人間の中に生み出す幾多の奇形の一つである。


63、生とは全て、自己実現のための戦いであり、努力である。


64、事実はその反対である。
有り余る可能性に満ちた世界は自動的にひどい変形をもたらし、人間存在の欠陥多いタイプを産みだす。
それらは、「相続人」という普遍的な種類にまとめることができるが、「貴族」はその個別例にすぎない。
そして「甘やかされた子供」もその一例であれば、我々の時代の大衆人も、はるかに広範囲にわたるより根本的な例にほかならない。


65、しかし平均人は、その世界のなかにあり余るほど豊かな手段だけを見て、そこにひそむ苦悩を見ないのである。
平均人は、自分がすばらしい道具、卓効ある薬、未来ある国家、快適な権利にとり囲まれているのを見出す。
しかしながら彼らは、、それらの薬や道具を発明したり、その生産を将来も保証することがいかに困難であるかを知らない。
また、国家という組織がいかに不安定なものであるかに気づかず、自分のうちに責任を感じることもほとんどない。


66、大衆人は、自分の運命という確固不動の大地の上に足をふまえていない。
どちらかといえば宙に浮いた虚構の生を営んでいる。
重みもなければ根もないこうした生が、最も軽薄な風潮にもかつてないほど易々と引きずられてしまうのはこのせいである。

 

67、現代の技術は資本主義と実験科学との統合から生まれている。
しかし、あらゆる技術が科学的だというわけではない。
シェルレアン期に石の斧を作った人は科学を知らなかったが、それでも技術を創り出した。
中国は高度の技術水準に達したが、物理学の存在については少しも知らなかった。
ただヨーロッパの近代技術だけが科学的基盤を持っており、その基盤から、無限の進歩の可能性というヨーロッパの近代技術に特有な性格が生じている。
ヨーロッパ以外の技術は、メソポタミアにしろ、エジプト、ギリシア、ローマ、東洋にしろ、ある発展段階まで達するとそれ以上には出られず、その段階に達するやいなや後退を始め、みじめな退化を示し始める。

 

68、実験科学は16世紀の末に始まり(ガリレイ)、17世紀末に体系化され(ニュートン)、18世紀中葉から発展を始めた。

 

69、したがって、大衆人が自分だけで行動しようとすることは、自分自身の運命にさからう事である。
そして、今日の大衆が行っている事はまさにこれに他ならないので、私はここで大衆の反逆について論じているのである。
というのは、結局のところ、実質的に真に反逆と呼びうる唯一のものは、各人が自分の運命を受けいれないこと、自分自身に対して反逆することだからである。


70、死刑法がアメリカで生まれたのは全くの偶然ではない。
なぜなら、アメリカはある意味で大衆の天国だからだ。


71、国家という船は市民階級とは非常に違った人々、感嘆すべき勇気と支配力と責任感を持った人々、つまり貴族の手によって中世は建造された。
彼らがいなかったら、今日のヨーロッパ諸国家は存在していないだろう。
しかし、こうした諸々の精神的美徳を備えていたにもかかわらず、貴族には、その後も常にそうであるように知力が欠けていた。
彼らは頭脳ではなく心臓で生きていたのだ。
彼らは極めて貧弱な知性しか持たず、感傷的で、本能的で、直観的で、要するに「非合理的」であった。
だから、どうしても合理化を必要とする技術を何一つ発展させることができなかった。
彼らは、戦争の永遠の秘密が防御手段よりも攻撃手段にあることを思いつかなかったのである(この秘密はナポレオンが再発見する)。


72、国家とは一つの技術、社会的次元に属する統治の技術だから「旧体制」は18世紀末には極めて弱体な国家となり、広々とした革命的な社会によってあらゆる面から鞭うたれるに至った。
その当時の国家の力と社会の力との不均衡はあまりにも大きく、シャルマーニュの時代の状況と比べた場合、18世紀の国家は退化物のように見えるほどである。
もちろん、カロリンガ王朝時代の国家はルイ16世時代の国家よりもはるかに弱体だったが、その代わり、それを取り巻く社会にはなんらの力もなかったのである。
社会の力と社会的権力との間の非常に大きな差が、フランス革命や(1848年までの)度重なる革命を可能にしたのである。
しかし、フランス革命によって市民階級は社会的権力を掌握し、彼らの持っている否定しえない美徳の幾つかを国家に応用した。
そして、わずか1世代たらずで強力な国家をつくりあげ、一連の革命を根絶したのである。
1848年以来、つまり市民階級による支配の二世代目が始まって以来、ヨーロッパにおいては真の意味の革命は起きていない。
それは革命を起こす動機がなかったからではなく、その手段がなかったからだ。
社会的権力と社会の力が均衝したのである。
「革命よ永遠にさらばだ!」
もはやヨーロッパにおいては革命と反対のもの、つまりクーデターしか起こり得ないのである。


73、大衆人は国家を見て、国家に讃嘆する。
そして国家がそこにあり、自分の生活を保証してくれているのを知っている。
しかし彼は、国家が人間の創造物である、何人かの人々によって考えだされ、昨日までは人間のなかにあったある種の美徳や前提条件によって維持されており、明日には雲散霧消してしまうかもしれないという自覚は持っていない。


74、ユリウスやクラウディウス一族によって創られた帝国的国家が素晴らしい機械であり、装置としては、貴族によって構成されていた以前の国家よりも比較にならないほどすぐれていたことは確かである。
しかし、その帝国的国家が完全な発展段階に達するや、社会という組織体を衰退をもたらしたのだ。
富が減少し、女性の出産率が低下した。
そこで国家は、自己の窮状を救うために人間存在の官僚化を更に強化した。
この第二段階の官僚化が社会の軍隊化である。
国家が最も緊急に必要としたのはその戦闘用具、つまり軍隊であった。
国家とは、何よりもまず軍隊である。


75、社会はより良く生きるために一つの道具として国家を創った。
しかしすぐに国家が優位にたち、社会は国家のために生き始めなければならなくなった。
しかしそれでも、国家は依然としてその社会の人々によって構成されていた。
だが間もなく、国家を維持する為にそれらの人々では十分ではなくなり、初めにダルマチア人、後にはゲルマン人をというふうに外国人を呼ばねばならなくなった。
そして外国人が国家の支配者となり、社会の残りの人達、つまり本来の民族の人達は、彼らとはなんの関係もない人達である外国人の奴隷として生きなければならなかった。
国家の干渉がこうした結果に導いたのである。
以上のことを知っていると、ムッソリーニが典型的な気取りを見せて、「すべては国家のため。国家以外に何物もなく、国家に逆らう何物もなし」という公式を、たった今イタリアで行われた驚異的な発見であるかのように宣伝するのを聞くと、いささか困惑する。
ファシズムが典型的な大衆人の運動であることを見破るには、この事実だけで十分だろう。


76、この問題にふれたので、一つの社会的必要性に対して社会がどのように違った反応を示しうるかを指摘する必要がある。
1800年頃に、新しい産業が往来の人間よりも犯罪を犯しやすい一つの人間タイプ(産業労働者)を生み出し始めたとき、フランスは急いで強大な警察を作った。
1810年頃、イギリスでも同じ理由から犯罪が増加したが、イギリスはその時に自分達が警察を持たないのに気付いた。
当時は保守党が政権を握っていた。
彼らは何をしたろうか?
警察を作ったろうか?
そういうことは何もしなかった。
彼らは出来るかぎり犯罪を耐え忍ぶことを選んだのだ。

 

77、外面的変化のうちで最も重要なのは疑いもなく権力の位置転換であるが、これは、必然的に精神の位置転換をもたらす。
したがって、理解しようという気持ちを持ってある時代を眺める際に、我々が発する最初の質問の一つは「現に世界を支配しているのは誰か?」でなければならない。
しかしその時代に、人類がお互いに連絡のない幾つかの部分に分かれていて、それらが内部世界や独立した世界を形成していることもありうるだろう。
たとえばミルディアデスの時代には、地中海世界は極東世界の存在を知らなかった。
しかし16世紀以来、全人類は巨大な統一化の過程を歩み始め、その過程は我々の時代に至って終着点に達した。
もはや人類には他から離れて暮らしている部分はない。
人類の離れ小島はないのだ。
したがって16世紀以降、世界を支配している者は、実際に、その権威ある影響を世界全体に及ぼしていると言える。
過去300年間、ヨーロッパ人種によって形成されている同質的な集団が果たしてきた役割は、まさにそういうものであった。
ヨーロッパが支配し、世界はその統一的な支配のもとに単一の様式、あるいは少なくとも斬新的に単一化された様式によって生きていたのである。
この生の儀式は一般に「近代」と呼ばれている。

 

78、ナポレオンはスペインを侵略し、その侵略状態をしばらく維持したが、本当にスペインを支配した事はただの1日もなかった。
彼は権力を持っていたが、ほかでもなく権力しか持っていなかったが故に支配できなかったのだ。
我々は侵略という事実もしくは過程と、支配という状態を区別しなければならない。
支配とは権威の正常な行使である。
それは常に世論に基づくものであり、この事実は今日においても1万年前においても、またイギリス人の場合でもブッシュマンの場合でも変わりない。

 

79、世論が人間社会において支配という現象を生み出す根源的な力であることは、人間そのものと同じくらい古くから存在する不変の事実である。


80、世論がなければ歴史学すら成立しない。


81、そして支配とは、他の力を奪い取ろうとする態度ではなく、力を静かに行使することである。
要するに、支配とは坐ることである。
王座に、大官の椅子に、議会の大臣席に、大臣の安楽椅子に、そして司教座に坐ることだ。


82、ヨーロッパにおいて形成された最初の国家もしくは社会的権力は教会であり、それは独得な性格を持ち、すでに「精神的権力」の主体であった。
政治的権力はこの教会から、自分もまた本来は精神的権力にほかならず、ある種の理念が実効化されたものであることを学んだのであり、そうして神聖ローマ帝国が創りあげられた。


83、人類は意見によって生きるのであり、だからこそ、そこに秩序があるのだ。
我々は中世の向こう側にも、世界の一部しか支配しなかったとはいえ、とにかく近代と同じように支配する者のいた世界を見出す。
偉大なる支配者、ローマがそれである。
ローマは地中海とその隣接地域に秩序を打ち立てたのだ。
第一次世界大戦の今日この頃、ヨーロッパはもはや世界を支配していないと言われ始めている。
人々は、そうした判断の重要性に気がついているのだろうか?


84、「私は、厳密に言うと、これがAではなく、あれがBでないことを知っている。
しかし、それらがAでありBであると認めることによって、私が両者に対してとる現実の態度に関して、自分自身と折り合いをつけているのである」
このような理性の認識論を聞いたら、ギリシア人は不快な気分になっただろう。
というのは、ギリシア人は、理性つまり概念は、人間が日常的に使う一つの道具であり、生という無限にして極めて問題の多い現実のまっただなかで、人が自分自身の位置を明確に知るために必要とし、使用するものだと信じている。


85、私はたんに、今日の世界に起きていることは、要するに過去3世紀間、ヨーロッパは世界を支配してきたが、今やヨーロッパは支配することにも、また支配を続けることにも自信を持っていないということを言おうとしていたのである。


86、今日の世界が呈している光景は典型的に子供じみている。
学校では、誰かが先生が行ってしまったと言うと、子供達は踊り上がり、秩序を失ってしまう。
ひとりひとりの子供が、先生がいることからくる圧迫感を逃れ、規則という桎梏を投げ捨て、勝手に振る舞い、自分が自分の運命の主人になったと感じる喜びに浸れるのだ。


87、ヨーロッパは支配することを止めたと噂されている。
だが、その代わりをつとめるのが誰なのか分からないのである。
ここで言うヨーロッパとはとりわけ、そして正しくは、フランス、イギリス、ドイツの三位一体を意味している。
これらの三国が占める地球上の一画において人間存在の一つの尺度が成熟し、それに従って世界が組織されてきたのだ。
もし人々が噂しているように、これら三つの民族が没落しつつあり、その生のプログラムが効力を失ってしまったとしたら、世界が道徳的退廃に陥っているとしても不思議ではない。
そして、これは紛れもない真実なのである。
あらゆる人々が退廃しているのである。
しばらくの間はこの退廃も人々を楽しませ、なんとなく幻想さえ抱かせる。
下位の者は、自分達にかかっていた重みが取り除かれたように感じる。
そして命ずる人は、まさしく、うるさい存在なのだ。
世界中の下位の人達は、もはや負わされたり、任務を与えられたりすることに飽き飽きしており、うるさい掟から解放されたこの一時をお祭り気分で過ごしているのだ。
しかし、お祭りは長く続くものではない。


88、ヨーロッパが支配することを止めたとしても、それに代わりうる者がいれば問題ないだろう。
だが、そういう者の影さえないのだ。
ニューヨークもモスクワも、ヨーロッパと比べてなんら新しいものではない。
両者はヨーロッパ的掟の二つの小片であり、全体から離れたことで、その意義を失ってしまったのだ。
分かっているのは、ニューヨークについてもモスクワについても、決定的なことはまだ何も言われていないということだけである。


89、ロシアは、神聖ローマ帝国のドイツがローマ的であった程度に、近似的にマルクス主義的なのである。
新しい民族は理念を持っていない。
新しい民族は、古い文化が現に存在するか今まで存在していたような地域で成長するとき、古い文化が提供してくれる理念で身を包むのである。
ここにカムフラージュとその根拠がある。
私がしばしば指摘してきたように、人々は民族には二つの大きな発展の型があることを忘れている。
一方には、まったく文明のない「世界」に生まれる民族がある。
たとえばエジプト人や中国人の場合である。
こういう民族においては、全てが土着のものであり、彼らの動作は明確直截な意味を持っている。
しかし他方には、すでに古い歴史を持った文化に占領されている地域で生まれ、成長する民族がある。
たとえばローマの場合は、ギリシア・オリエント的な文化をいっぱいに吸い込んだ地中海の真ん中で成長している。
だからローマ人の動作の半分は彼ら自身のものではなく、他から学んだものである。


90、私は、スターリンマルキシズムがロシア史風に訳されているような本が現れるのを期待している。
というのは、スターリンマルキシズムの強味は、それが持つロシア的なものであって、コミュニスト的なものではないからである。
今後のことは分からない。
ただはっきり言えるのは、ロシアが支配権の獲得を志すにはまだ数世紀が必要だということだけである。
ロシアはまだ自己本来の掟を持たないが故に、マルクスのヨーロッパ的原理を支持する振りをしてきたのである。
若さがあり余っているので、そうした虚構で満足できたのだ。
青年は、生きるために理由を必要としない。
必要なのは口実だけである。
ニューヨークの場合もこれと非常に似ている。
アメリカが現在持っている力をアメリカが奉ずる掟に帰することは、やはり誤りである。
アメリカの力は、結局のところ技術に帰せられる。
これもまたヨーロッパの発明であり、アメリカの発明ではないのだ。
技術は18世紀および19世紀にヨーロッパで発明された。
それは丁度アメリカが誕生した時代である。
本来ならこう言うべきなのだ。
アメリカは他の全ての植民地と同じように、古い民族、特にヨーロッパ民族の継承者もしくは若返りであると。
アメリカの歴史は始まったばかりである。
アメリカの苦悩、難問、葛藤はこれから始まるのである。
アメリカはまだ苦しんだ経験がない。
したがって、支配者としての能力を持ちうるなどと考えることは夢にも等しいのである。

 

91、一般に言われているように、ヨーロッパは没落しつつあり、支配権を放棄し、退位するというのは確かなのだろうか?
この表面的な没落は、ヨーロッパが文字どおりヨーロッパになるのを可能にする幸いなる危機ではないのだろうか?
ヨーロッパ諸国民の歴然たる没落は、もしいつの日か、ヨーロッパ合衆国が可能となり、ヨーロッパの複数性その正式な統一にとって代わられる日がくれば、どうしても必要なのではないだろうか?


92、しかし、スペイン人が行ったのはこの逆のことである。
スペイン人は自己の内面意識が拒絶している者による支配に反抗する代わりに、その第一の不正に適応するため、自己の全存在を偽造する道を選んだのだ。
わが国にこうした状態が続くかぎり、スペイン民族に何かを期待するのは無駄である。


93、エゴイズムとは迷路である。
それは自らを閉ざすのだ。
生きるとは何かに向かって放たれていること、一つの目標に向かって歩むことである。


94、第一次世界大戦後、ヨーロッパ人は自己の内部に閉じこもってしまい、自分の為にも他人の為にもする仕事を持たなくなってしまった。
だから、我々は歴史的には10年前と同じ状態を続けているのである。


95、もしヨーロッパによる支配に変わって、地球の進むべき道を示しうる他の民族集団が今日存在していれば、ヨーロッパの支配が終わりを告げることなどなんら問題ではない。


96、今日のドイツ、イギリス、フランスの経済にとっての致命的な障壁とは、それぞれの国家の政治的国境のことである。
したがって真の難関は、この問題とあの問題といった特定の経済問題にあるのではなく、経済能力がそのなかで活動しなければならない社会生活の形態が、その能力の大きさにそぐわないところにある。


97、たとえば議会などについて、四六時中愚劣な話を聞かされるのはもうご免こうむりたい。


98、したがって、議会を「よりいっそう」効果的にするための、根本的な改革の可能性とそれが急務であるということと、議会そのものを無用だと宣言することとを混同してはならない。


99、確かに我々は、発掘や考古学的研究のおかげで、アテネやローマが存在する以前にアテネやローマの地にあったことの幾らかを知っている。
しかし、完全に農耕的であって特別な性格を持たない歴史以前の状態から、両半島の大地がもたらした新種の実である都市の萌芽への移行過程は神秘に包まれたままである。
そればかりでなく、そうした前史的民族とこれらの不思議な共同体との人種的関連さえ明らかになっていないのだ。
しかもこの共同体こそ、公共広場を作り、その周囲に原野に対して閉ざされた都市を建設することで、人間の生のレパートリーに一大革新をもたらしたのだ。


100、アジアやアフリカの偉大なる文明は、人間の形をした植物だと言えるだろう。
しかしギリシア・ローマの人間は原野から、「自然」から、地質・植物的な宇宙から分離する決心をしたのだ。
だからソクラテスは、都市から滲み出る液を吸いつくしたあの偉大な都会人は、「私は原野の樹木とは何の関係もない。
私と関係があるのは年の人間だけだ」というようになる。
インド人、ペルシア人、中国人、エジプト人は、こういうことを全く知らなかったのではなかろうか?


101、アレクサンダー大王とシーザーに至るまでのギリシアとローマの歴史は、そうした二つの空間、つまり合理的な都市と植物的な原野、法律家と農夫、法と農の絶えざる争闘であった。
古代ギリシア・ローマの住民たちは、稀にみる根強さで、彼らの記憶の最も深い基底層にシノイキスモスの記憶をとどめているのだ。
我々は原典を求める必要はない。
この言葉を翻訳するだけで十分である。
シノイキスモスとは、一緒に住むことについての合意、したがって、物理的および法的の二重の意味で集会である。
原野に植物のようにばらまかれていた状態の後に、都市における市民の集中が起こったのだ。
このようにして、都市はやがて国家として生まれてくる。
ある意味で、地中海沿岸の全地域は、こうした国家形態への自発的な傾向を常に示してきた。
程度の差はあれ、アフリカ北部(カルタゴは都市の意味である)も全く同じ現象を繰り返した。
イタリアは19世紀まで都市国家形態からは抜け出せなかったし、わがスペインの地中海沿岸地方も機会があれば分離主義に走るが、これもまたあの千年にわたる傾向が残した癖である。


102、たとえば言語をとってもよい。
もともと国家は、様々な血と言語の混合の上に成り立つ。
つまり、国家はあらゆる自然社会の超克であり、混血的で多言語的なものである。


103、国家の創造は、いくつかの民族の知性が、共存の一形式である伝統的な共同形態を捨てさるだけでなく、いまだかつて存在しなかった新しい共存形態を想像することができなければ達成しえない。
したがってそれは、真の意味での創造行為である。
国家はまず、完全に想像力の産物として存在を始めるのである。


104、いわゆる明晰な頭脳と呼べる人物は、多分、古代世界全体を通じても2人しかいなかった。
それはテミストクレスとシーザーで、ともに政治家である。
もちろん、ギリシアとローマには、多くの事柄について明晰な思想を持った人々(哲学者、数学者、自然科学者)がいた。
しかし彼らの明晰さは学問的次元における明晰さ、つまり抽象的な事柄に対する明晰さであった。


105、つまり、生きるということは自分を迷える者と自覚することだ。


106、デモクラシーの健全さは、その形態や段階がどのようなものであれ、選挙手続きという技術的瑣事にかかっている。
それ以外は全て二次的なものである。
ローマは紀元1世紀の初頭には全能で、豊かで、無敵であった。
しかしながら、愚劣な選挙制度固執していたため、まさに死滅寸前だったのだ。


107、だから、我々がシーザーの政治を知ろうと望むなら、彼の諸々の行為を取り上げ、それに名称を与える他に方法はない。
シーザーの秘密は、彼の最大の偉業であるガリア地方の征服にある。
彼はその偉業を成し遂げる為に既成の権力に反逆しなければならなかった。
それはなぜか?
当時の権力を構成していたのは共和主義者、つまり都市国家に忠実な人々、保守主義者であった。
彼らの政策は二点に要約できる。
第一は、ローマの社会生活の混乱はそれが過度に膨張したことに由来している。
都市が、かくも多くの国民を支配することは出来ない。
したがって、今後行われる征服は全て共和国に対する罪とする。
第二は、制度の崩壊を避けるためには「元首」が必要である、ということであった。


108、シーザーの解決策は保守主義者のそれとは反対であった。
特に、新しい民族を征服することが急務だと考えていた。
そうした民族が近い将来、堕落した近東諸国よりもより危険になる事を見抜いていたからだ。
彼らは、しっかりと過去に根をおろしていた。
シーザーが目論んでいたのは、彼はローマによってではなく、その周辺の諸州によって生きるローマ帝国の建設を目指していたのだ。
つまりそれは、この上なく多種多様な民族が協力し、全ての要素が国家の受動的主体であると同時に能動的主体でもあるような巨大な社会構成体である。


109、国家とは、何よりもまず一つの行為の計画であり、協同作業のプログラムである。
それはダイナミズムそのものである。


110、国境の「自然性」は、実はその時代の経済的、軍事的手段によって決められるのである。


111、我々には、自分達の国家がそのなかで生き続けられるような未来が望ましいと思えるのだ。
だからこそ、我々は国家を防衛しようと立ち上がるのであり、血を守る為でも、言語を守る為でも、共通の法を守る為でもない。
我々が国家を防衛することによって守るのは、我々の明日であって我々の昨日ではない。


112、スペインは中南米と共通の過去、共通の種族、共通の言語を持っているが、それにもかかわらず、彼らと一つの国民国家を形成してはいない。
なぜだろうか?
それはたった一つのこと、しかも基本的だと思われる事が一つ欠けているからだ。
つまり共通の未来である。


113、我々はヨーロッパに、ペルシア帝国やアレクサンダー大王アウグストゥス皇帝の帝国のような大規模な帝国が存在しえなかった事実をもっと不思議に思うべきである。
ヨーロッパにおける国民国家の形成は、常に次のようなリズムに従って行われてきた。
第一段階。
国家とは諸民族を一つの政治的・精神的共同体に融合することだと考える西欧人特有の本能が、地理的、人種的、言語的に最も近い集団の上に作用し始める。
第二段階。
内部強化の時代であり、新国家の外にいる他民族は異邦人で、多かれ少なかれ敵であるとみなす。
要するに今日我々がナショナリズムと呼んでいるものである。
しかし、政治的には他民族を異邦人、競争相手と感じながらも、現実には経済的、知的、精神的に彼らと共存している。
第三段階。
国家は完全な国内統合を達成する。
そこで、昨日までは彼らの敵であった民族と一緒になるという新しい事業が現れる。
ここにおいて、新しい国民的理念が成熟するのである。


114、11世紀に存在していたその概念にいかに多くの実体を与えようとしても、ギリシアという概念が紀元前4世紀のギリシア人に対して持っていた、あの力強さと明確さにさえ及ばないのを認める事になるだろう。


115、そしてヨーロッパとは、それらの国々がルネサンス以来活動を続けてきた場所の統一風景のことである。
このヨーロッパ的な風景を構成しているのは西欧諸国民国家そのものであり、彼らはそれと気付かないながらも、すでにその戦闘的な複数性を取り去ろうとし始めている。
フランス、イギリス、スペイン、イタリア、ドイツは、互いに戦ったり、同盟を結んで対立したり、同盟を解消したり、また再び結び直したりしている。
しかしそのすべては、戦争も平和も、同等な立場の共存であり、それはローマが平和な時でも戦争の時でも、セルティベロ人とも、ガリア人、ブリテン人ゲルマン人とも成し得なかった事である。


116、今日もし我々が、我々の精神内容(意見、規範、願望、想像)の決算書を作ったとすれば、それらの大部分がフランス人の場合はフランスから、スペイン人の場合はスペインからもたらされたのではなく、ヨーロッパという共通の背景から来ている事に気づくだろう。


117、すなわち世界は今日、重大なる道徳的退廃に陥っている。
そしてこの退廃は様々な兆候の中でも特に、途方もない大衆の反逆によって明らかに示されており、その起源はヨーロッパの道徳的退廃のなかにある。
ヨーロッパの退廃には多くの原因があるが、その主要な原因の一つは、かつてヨーロッパ大陸が自己およびその他の世界の上に及ぼしていた権力が移動したことである。
つまり、ヨーロッパは自分が支配しているかどうかに確信が持てず、その他の世界は自分が支配されているかどうかに確信が持てないのである。
要するに、歴史的至上権が崩壊したのである。
もはや「絶頂の時代」はない。
というのは、そうした時代は19世紀がそうであったように、明確で、前もって定められた、疑う余地のない未来が前提とされていなければならないからである。
19世紀においては、人々は明日何が起こるかを知っていると信じこんでいた。
しかし今日では、地平線は再び新しい未知の世界に向かって開かれているのだ。
というのは、誰が支配するのか、その権力は世界にどういう影響を及ぼすのかが分からないからである。
誰がというのは、つまりいかなる民族もしくは民族集団、したがって人種が、つまりいかなるイデオロギー、いかなる傾向、いかなる規範、いかなる生命衝動の体系が支配するかということである。


118、ヨーロッパ人は、自分が一つの大きな統一的事業のなかに投げこまれているときでないと、どう生きていいのか分からない。
そうした事業がない場合は卑俗化し、無気力となり、魂が抜けてしまう。
今日我々の目前に見られるのは、まさにこの状態なのだ。
今まで諸国民と呼ばれてきたサークルは、1世紀ほど前に増大の限度に達してしまった。
もはやその区画を乗り越える他ない。


119、ある人々はすでに老衰した原理を極端に、しかも人為的に強化することで現状を救おうとしている。
これが現今の「ナショナリズム」的爆発の意味である。
繰り返しておくが、いつの時代でも常にこうであった。
最後の炎は最も長く、最後のため息は最も深い。

 

120、私はヨーロッパを大国民国家として建設することだけが、ソビエト政府の「五か年計画」の勝利に対抗できる唯一の事業だと考えている。
政治経済の専門家は、「五か年計画」が成功する可能性は極めて少ないと保証している。
しかし反共産主義陣営が、全てを敵側の物質的困難に待つとしたら、それはあまりにも卑劣ではなかろうか。
これでは、共産主義の失敗は世界の敗北、つまりあらゆる人間のそしてあらゆるものの、すなわち今日の人間の敗北を意味することになるだろう。
共産主義は一つの常軌を逸した「モラル」らしきものである。
そうしたスラヴ的モラルに対して、新しい生の計画の高揚という西欧の新しいモラルを対置したほうが、より立派であり、より実り多いことだと考えられないだろうか?
問題は、今やヨーロッパにモラルが存在しなくなったということである。
それは大衆人の生の中心がほかでもなく、いかなるモラルにも束縛されずに生きたいという願望にあるからである。
人々が「新しい」モラルを口にする時、それは単に一つの不道徳行為を犯しているのであり、密輸入の為の最も快適な方法を捜しているにすぎないのである。


121、このあらゆる義務からの逃避という事実は、我々の時代に一種の「青年」主義が形成されるに至ったという、ばかげてもいれば恥ずかしくもある現象を部分的に説明している。

 

『大島優子卒業コンサート in 味の素スタジアム~6月8日の降水確率56%、てるてる坊主は本当に効果があるのか?~ [DVD] (2014) 』

を、何年か振りに見ました。


あのね、…ウィキペディアを見ると、多くの48Gの後輩達が、”尊敬してる人”で、あっちゃん、優子、麻里子様と答えるメンバーが多いです。


実に優子らしい卒コンでした。


2期生の卒業生も全員、来てくれて、2期生が全員揃いました。


僕なんて、それだけで感動ですよ!


もちろん、親友の、さやかも来てくれました。


本来なら国立競技場で卒コンが行われる予定でしたが、荒天の為、中止に。


その2ヵ月後、味の素スタジアムで7万人のファンがいる中、行われました。

 

48G参加の卒コンです。


僕は、出来ればAKB単独でやってほしかったです。


その卒コン、実は、その前日は「第6回AKB48選抜総選挙」でした。

 

1位:渡辺麻友AKB48 Team B) 159,854票
2位:指原莉乃HKT48 Team H)141,954票
3位:柏木由紀AKB48 Team B / NMB48 Team N兼任)104,364票
4位:松井珠理奈SKE48 Team S / AKB48 Team K兼任)90,910票
5位:松井玲奈SKE48 Team E)69,790票
6位:山本彩NMB48 Team N)67,916票
7位:島崎遥香AKB48 Team A)67,591票
8位:小嶋陽菜AKB48 Team A)62,899票
9位:高橋みなみAKB48 Team A)57,388票
10位:須田亜香里SKE48 Team E)48,182票
11位:宮脇咲良HKT48 Team KIV / AKB48 Team A兼任)45,538票
12位:宮澤佐江SNH48 Team SII / SKE48 Team S兼任) 44,749票
13位:横山由依AKB48 Team K) 40,232票
14位:生駒里奈AKB48 Team B / 乃木坂46兼任)40,089票
15位:柴田阿弥SKE48 Team E)39,264票
16位:川栄李奈AKB48 Team A)39,120票


これが結果です。


まゆゆが1位になって、優子が花束を抱え、まゆゆに「AKBは、まゆに託します」と言ったのを覚えています。


これで、まゆが貰ったシングルが「ラブラドルレトリバー」です。

 

AKBでは、ぱるるまゆゆ、ゆりあ(SKEから完全移籍中)、じゅり、こじまこ、みーおんが可愛かったです。


SKEは、玲奈ちゃん(卒)、花音、あいりん(卒)が可愛かったです。


NMBは、なぎっしゅーが可愛かったです。


HKTは、さくらが可愛かったです。

 

優子は、今、28歳なんだねぇ~~~

時が経つのは早いなぁ~~~

 

 


AKB48 大島優子センターメドレー ヘビーローテーションギンガムチェック~前しか向かねえ
https://www.youtube.com/watch?v=03cTUEWLQmk

優子といえば、この3曲です。

特に「ヘビーローテーション」ですね!

この曲で、AKB48は大ブレイクしました。


僕も、これでAKB48のファンになったんです。


ヘビーローテーション」は2010年の大ヒット曲です。


だから、僕は、AKBファン歴、7年になります。

 

現在、AKB48は、総体力で力量が落ちていると感じます。


この2014年がAKBにとってピークだったのかもしれません。


それは、まゆゆや、ゆきりんのせいでは無いと思う。


これからのAKBは、次世代の、みーおん、じゅり、こじまこで、とりあえず引っ張ってゆくしかない。

 

あっちゃんや、ともちん、ぱるるまゆゆを超す可愛い子がいないと、やはり総体力で徐々に落ちてゆく。


現在は、Team4が引っ張ってゆくしかない。


Team4には、第2の、たかみなと言われる、じゅりがいて、こじまこがいて、なぁちゃんがいて、そして、伸びざかりのみゆう、さややがいる。


兼任で、NMBのなぎさ。 HKTのみおがいる。


こうなると、もうTeam4に期待するしかない。


もう一度、ピークを期待するしかない。

 

 

【MV】今日までのメロディー ダイジェスト映像 / AKB48[公式]
https://www.youtube.com/watch?v=Sr74lmdHMQM

優子の卒業ソングです。

 


【MV】君は気まぐれ ダイジェスト映像 / AKB48[公式]
https://www.youtube.com/watch?v=eeMEZnkN7Ds

ぱるるのセンター曲です。

優子のコンサートで歌われました。

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