西部邁 『歴史の復権 「文明」と「成熟」の構図(日本を考える)』を読んで。

(印象に残った文章を羅列します)


1、(まず、この著書は1994年に発行されたものです)


2、この世紀末にたてつづいている様々な政治的および文化的な混乱は、伝統を手許にもたない国民の、いや国民とよぶことすら叶わぬ人民の、避けえざる漂流時代を現わしている。
全世界がこの種の漂流に誘い込まれているとはいうものの、日本の場合は、そのことを自覚さえしえていないという意味で真の漂流なのである。


3、たとえば、旧ソ連および東欧における社会主義の崩壊につれ、誰もが冷戦構造の解体ということを口にしはじめた。
また、冷戦構造の解体につれ、世界の構造が一変したとも指摘されはじめている。
だが、この冷戦構造の解体の後に出現しつつあるのは明らかに無秩序への傾きなのである。
のみならず、この無秩序から脱出するための有効な方途を見つけることができないでいる、それがこの世紀末の現状だといっていいだろう。


4、ではどうして貯蓄と勤勉がモットーのピューリタニズムを建国の精神とするアメリカにおいて、貯蓄や勤勉の衰退、空洞化が起こったのだろうか。
想像するに、これはアメリカが、政治的かつ文化的なリバティーニズムの結果として、家庭、学校、地域、企業の内部などあらゆる場において、秩序というものを喪失する過程をほぼ30年にわたって続けてきたからである。


5、このような無秩序はアメリカのみに見られることではない。
高度の秩序を誇ってきたわが国においても、いよいよもって無秩序の気配が広がっていると察しられる。
典型的な事例としては、高度成長を支えてきた世代の勤労態度は今や弱まり、若き世代はというと、働きがいや生きがいについて充実したものを持てず、むしろ目標喪失や価値喪失が折角の若き精神を彩るといった始末である。


6、つまり、ネガティブ・フリーダムからは秩序の過小がもたされ、ポジティブ・フリーダムからは秩序の過多がもたらされている。
秩序において平衡感覚をなくしたこと、これこそが今世紀の最大の特徴だといって構わない。
問題は、自由と両立しうるような秩序とはいかなるものか、に尽きる。
もし秩序というものが知識人によって構築されるのならば、それはむしろ自由の抑圧となろう。
ここでの知識人とは広い意味でのことであり、公的に発言する者ならば、科学者、技術者、政治家、官僚、そして経営者もまた、その限りにおいて知識人に属することになる。
いずれにしても、知識人が秩序というものを作るならば、それは自由民主主義ではなく社会民主主義ということになる。


7、振り返れば、近代というものを創始した最初の国であるイギリスにおいても、19世紀の半ばからは革命にたいする反動というものが始まっていた。
近代保守主義がイギリスにおいて発生したことをみれば明らかであろう。
イギリス的な経験論の立場、つまり合理論的に社会を設計するというのではなく、経験の蓄積にもとづきながら社会を漸新的にのみ変えようとする保守の立場は、イギリスにおいて発生したのである。


8、しばしば、社会主義的独裁を批判するにあたって、独裁か民主かという対語のスローガンが用いられるが、これは大きな過ちである。
独裁主義に対置させられるべきは、自由主義であって民主主義ではない。
民主主義に対置させられるのは、権威主義であって独裁主義(全体主義)ではない。


9、デモクラシーが尊ばれる政体であるのは、そこに権威が宿りうるからである。


10、秩序における平衡感覚の喪失が世紀末の実態であることを認めるほかない。
そうした平衡喪失の原因が、歴史感覚の欠如にあったとみるのが自然な推論であろう。


11、そして、悲しいかな、わが日本の戦後半世紀というものもまた、少なくとも理念の次元においてはアメリカナイゼーション洗礼を徹底的に受けたという意味で、米ソの近親憎悪の付属物なのであった。


12、構造論的にいうと、言うまでもなく国際警察が第一義的に重要であり、次に集団的自衛、そして個別的自衛の順となる。
しかし国際ルールも地域ルールも常におぼろであり、また、常に破壊と創造のプロセスにあることを思えば、リアルな存在感としては、その重要度は、個別的自衛、集団的自衛、国際的自衛という順になるに違いない。
この構造論かつ実態論的な互いに逆行する両方向での考察というものを組み合わせていかなければ、防衛問題の深層をつかむことはできないのである。


13、このような戦後日本のあり方を政治に移したのがいわゆる55年体制といわれるものである。
昭和30年、まず社会党の右派と左派が合同して反体制派の大団結が行われ、それに呼応して体制派が自由党民主党の合同を果たし、ここにいわば自由主義社会主義の対決の構図がもたされたのである。
しかし、自民党陣営の自由主義社会党陣営の社会主義もさほどに極端なものではなく、実に微温的なものであった。
その意味で、55年体制というものは左右の対立構造ではあるが、そのぬるま湯的な姿のゆえに近代主義の発達を率先する政党となりえてきたのである。


14、保守とは保ち守ることであり、それゆえ何を保ち守るのかを明らかにしなければ保守とは無意味な概念である。
政治思想の歴史的流れを踏まえるかぎり、保守とは、歴史の秩序、歴史にかんする感覚を保守すること以外にはありえない。
それは、社会民主主義の立場と180度対立するものなのである。


15、この90年代に見通される日本の政治および社会全般の動きは、状況適応主義の錯乱を日々露呈しならが、それによって代わる歴史感覚豊かな原理原則を見い出しえない、かつ見い出そうとする努力すらない、という状況のなかで右往左往するという展望しかないのである。
今はまさに過渡期ではあるが、その過渡期とは、戦後的なるものの空しさが極点に辿りつき、その果てには時代精神の不毛の荒野が広がっているという意味での過渡期にほかならない。
しかし、歴史、伝統、慣習が何であるかを実態論として定式化することは難しい。


16、そういえば、日本国民があの大戦争を引き受けるにあたっても、平均的日本人はアメリカ文明について無関心、無知識であった。
しかし、当時のマスコミが朝夕となく対米決戦を唱えるにつれ、国民世論はおのれの内発的な意見としてではなく、世間に色合いを合わせるという形で好戦主義が推し進められたのである。
それと同じことが未だにつづいているのである。


17、恐らく、対岸のアメリカにおけるクリントン政権が叫んだ、チェンジ・ナウというのは、ある評論家がいうように、変化ではなく交代であったのだ。
この国においても、政治の変化を真に目指したのではなく、政治における交代劇を国民はみたかったにすぎなかったのだ。
自民党という善かれ悪しかれ旧式のものが退場し、新党という善かれ悪しかれ新式のものへと交代するという政治演劇を、国民は観覧したかったのである。
それゆえ、自分たちが無関心かつ無知識である選挙制度すらをも、さも騒ぐに値する一大事であるかのようにもてはやしたのである。


18、一例として、基本的人権とは一体何であるかを考えてみたい。
基本的人権とは、天賊の権利として国民に授けられるものなのであろうか。
それとも、その国の長い歴史のなかから生み出された、国民のルールの体系において認められる自由、それが権利の本体なのであろうか。
私は保守主義者として、いうまでもなく後者の権利観を採用する。
だとすれば、わが国の歴史の総体が振り返られなければならない。
その歴史のなかで生み落とされた慣習的なルールが何であるかが確認されなければならない。
そして、ルールの問題が根底にあるとなれば、ルールは一方において権利、自由の観念を生み落とすと同時に、他方ではそのルールを守る義務、責任の体系をも生み出すのだということを理解せねばならない。


19、貿易にかぎらず経済活動一般が、横軸を自由交換そして縦軸を組織保護とする平面のなかの一点として位置する。

 

20、さて、政治改革をはじめとするこうした空語の乱舞は、一体どこで演じられているのだろうか。
それはいうまでもなくマスメディアにおいてである。
政治改革の顱末が如実に示したように、マスメディアの巨大な発達がわがデモクラシーをほとんどオクロクラシーの状態にまで落とし込んでいるのだ。


21、人間の欲望や意見や行動の総体をまずもって肯定せんとするヒューマニズムの人間観が、近代200年を支えてきた。


22、ヒューマニズムの人間観を最も端的に表す標語が、ほかでもない、自由・平等・博愛というフランス革命以来のトリアーデの価値観であった。


23、自由・平等・博愛は、たかだか、人間性および社会構造の半面を表すものにすぎない。
なぜなら、自由は秩序と張り合わされてはじめて意味を持ち、平等は格差を前提としてはじめて意義をもち、そして博愛は競合に裏打ちされてはじめて存在しうるものだからである。


24、かくして、自由・平等・博愛と秩序・格差・競合とのあいだにおいて平衡を達成した状態を、活力・公正・規則という新たな価値のトリアーデとしてとらえることができる。


25、より通欲的にいえば、人間の性善・性悪という二律背反のなかでバランスをとること、それが人間の根本的な課題だということである。


26、この意味で、保守主義は人間の不完全性を正面から見据えようとする。
人間の不完全性を知るというのは、人間が性悪なるものを隠し持っていることに注目するだけのことではない。
人間の理性や判断そのものが不合理なものの承認によって成り立っていると理解することだ。
つまり、人間の理性そのものが不完全なのだという認識にもとづく立場が保守主義である。


27、こう考えると、日本は、きわめて目立った形で活力・公正・規制の平衡感覚を失っているとみていいだろう。
この平衡感覚の喪失の下に、しばしば、いわゆる感情論といわれるものがマスコミ世論を席巻しているのである。


28、日本の文化パターンは、すでにみたように、伸縮的な集団主義と相互的な個人主義の組合せである。


29、だが、こうした文化パターンンのデメリットがいよいよもって顕在化しつつもある。
つまり、集団性と個人性の葛藤が少ないために、そのあいだの調整にかんする社会的工夫が未熟なままにとどまったということである。


30、さて、法律というものの本質は、人間がこの人格的表現と集団的規律意識のあいだでバランスをとるためのものである。


31、その端的な証拠を、まだ日本にはプライバシー権というものがきちんとした形では法制化されていないという点にみることができる。


32、同じように、習律とは個人的感情と集団的帰属心のあいだのバランスをとるためのものである。
だが、集団的帰属心が発達していない日本人にあっては、習律もまた発達しえない。
もちろん、日本に道徳にまつわる言辞が少ないとういうのではない。


33、文明の没落期に流行するのはテクノロジズムとオカルティズムであるという。
今、この日本にみられるのはまさにテクノロジズムとオカルティズムである。

 

34、人間性の礼讃に立たないかぎり、この世は何ほどか危険に満ちたものとなる。
社会とは、他者を傷つけ、他者によって傷つけられる関係そのものなのである。


35、欧米の場合には、衰えたとはいえ、宗教感覚にもとづく絶対的観念への志向が残存している。
それらがあればこそ、絶対的観念の抑圧から逃れんために、価値相対主義が打ち出されもしたのである。


36、だが戦後日本は技術主義にあまりにも拘泥してきた。
戦後日本は、社会を合理的に設計することにのみ関心を寄せてきた。
成長の時代、情報の時代、国際化の時代ということが標榜され、そのための新しいシステムの設計というふうに未来が語られてきたのである。


37、技術主義が可能なのは、たかだか技術の産物としての豊かさと等しさが、我々にとって貴重であるあいだにかぎられる。


38、今問われているのは、近代が2世紀にわたって産み落とした様々な文明の力とその影響をすべて引き受けつつ、それらを平衡させ総合化させることができるかどうかということである。


39、日本人がなすべき文明の総合化作業は過去をリトロスペクトし未来をプロスペクトするという精神の往復運動のことである。


40、1980年代の半ばに起こったこのポスト・モダニズムの風潮は、狭い意味でインテレクチュアルな世界にあってのみ蔓延したのではなく、ビジネス体制をも包み込んだ。


41、つまり情報社会もまた、情報を技術化することによってのみ可能であるという意味では、技術社会の延長にほかならない。
それはむしろ、モダニズムの純粋化、極端化に向かうものである。


42、つまり人々は、一刻も早く情報に飛びつこうと奔走しはするが、そう努力をすればするほど、情報によって提供される平板な意味的世界のなかで、虚無感を膨らませることになるのである。


43、はっきりしているのは、日本の近代化における欧米知識の摂取、理解、応用の方法がきわめて表面的なものであったということである。


44、近代を創始した西欧は、同時に近代を疑うことにおける先達でもあった。
視野をこの近代200年余にかぎってみても、西欧がおのれの作り出した近代を疑うことにおいて、どれだけ一貫して努力してきたかということは歴然としている。


45、そして、ホセ・オルテガ・イ・ガセットがいる。
オルテガの『大衆の反逆』は、一時期、18世紀のヨーロッパがルソーの『社会契約論』によって代表され、19世紀ヨーロッパがマルクスの『資本論』によって代表されるとするならば、今世紀ヨーロッパは、オルデガの『大衆の反逆』によって代表される、とまでいわれたほどの名著である。


46、ヨーロッパにおいては、近代主義に与しそれを蠁導した知識人にあってすら、近代的精神の根底は何かということを問いただす作業が継続されていた。
それが、デカルトにはじまる近代主義者の一貫した営為であったといえるだろう。
それを一言で形容すると、合理主義の基礎としての言語哲学を構築する努力であった。
デカルトにおける「我思う、故に我あり」といった場合の「我」とは一体何なのか。
デカルトにあっては、確かなものをセンスに求め、それにたいする確かな論理を数学に求めるというふうに思想が組み立てられていた。
だが、感覚を自覚する我そして数学を組み立てる我とはそも何者であるのか。
デカルトの場合は、その肝心の我が何であるかにたいする回答は与えられなかった。

47、カントにあって「我」は明確に概念の問題としてとらえられていた。
そして概念を超えたものとしてのいわゆる「物それ自体」については沈黙を守らなければならないという形で、概念の限界に画されたのである。
この限界を突破すべく、ヘーゲルは、概念、観念そして言葉の運動を哲学的に把握しようとしたといえる。
つまり、個人の欲望から国家の体系に至るまでを、言葉の運動として構築しようとしたのがヘーゲルの思弁なのであった。
その思弁に耐え切れなかったショーペンハウアーは、言葉のはいごに近代的な概念によってはとらえられない生命もしくは魂の運動があるのだ、この世を動かしているのは言葉に先行するものの運動なのだ、というふうにいわば問題をずらそうとした。


48、ヨーロッパにはすでに昔日の面影はないといってさしつかえない。
それにもかかわらずヨーロッパ的なるものが残存している。
それは何かといえば、個人と集団のあいだの緊張に耐えんとする努力である。


49、日本にあっては、その個人と集団のあいだの葛藤がきわめて少ないといわざるをえない。
集団は産業制や民主制の進展を可能にするような伸縮的なものであり、そこでは個人の自発性が大きく許容されている。
個人もまた集団主義を取り込むことによって、いわば相互的個人主義となり、人間関係の安定に当初から考慮するように振舞っている。
こうした文明は、内的には安定していても、外的にはむしろ不安定である。
というのも、外部から強い圧力がかかったとき、それに耐えるための強い個人としての生き方も強い集団としてのあり方も準備されていないからである。
日本文明が外圧に弱く、外圧がなければ何事も変わりえない根本的な理由はここにある。


50、未来を展望するためにも過去を回帰しなければならない。
この展望と回帰の両方向の活動を総合していく瞬間が現在ということにほかならない。


51、世代間交流がなくなったとき、社会的コミュニケーションの場そのものが衰弱する。
その結果が戦後日本だと考えるならば、戦後という時代は自然時間における時代ではあっても、歴史時間における時代ではなかったとわかる。


52、一つの事例でいえば、ヨーロッパ文化をヨーロッパ的たらしめているのは、家庭、サロン、レストラン、街頭、議会などにおけるたくましい言論活動の集積である。
それが、ヨーロッパの風土や商品といった物的なものにも、ヨーロッパ的精神の色彩と匂いを与えている。
日本にはそうした意味での日本的なるものはない。
つまり、日本的な風土、日本的な天皇制、日本的な因習はあっても、そうした物的な産物をして日本的たらしめる言語感動がますます乏しくなっているのである。
これをピュエリリズムといわずして何とよぶのか、私には見当もつかない。


53、今、世界の至るところで、様々な民族対立が暴力を伴う形で激発している。
これは、近・現代が長きにわたってコスモポリタニズムを唱えてきたにもかかわらず、そうした平板な奇麗事によって取り仕切られるほど世界は単純ではないし、人間の意見や行動も決して平面的なものではないということを示している。


54、我々は、歴史についてのニヒリズムに陥らざるをえないのであろうか。
そうではない。
歴史といい伝統といい、それは基本的には実体ではなく、形式としてとらえられるべきものであろう。

 

55、社会主義あるいは福祉主義の失敗として我々の眼前に展開されているのである。
だとすれば、いかなる正義(より広くいえば、いかなる価値が)社会の安定と人間の生の充実のために貢献しうるのかということを、歴史にたいする総括のなかから組み立てていかねばならない。
それは、いわば謙虚の美徳とでもいうべきものを身につけるということではないのか。


56、このように、互いに矛盾しながら併存し合っている仮設や理論を、より高い次元において総合していくこと、それこそが人間・社会にかんする学問の今後の課題である。


57、近・現代は、集団もしくは社会の意思決定において、まったくの社会的多数主義に陥っている。
しかもそれは、せいぜいが正当性の基準であるにすぎない。
たとえばデモクラシーにあっては、現在生きている人々の間で多数の支持を得ることが政治的正当性だとみなされている。
だが、それは歴史的正統性を何ら保障するものではない。
現在世代の意見が長時間にわたる過去の世代の知見よりも優れているという保証はないし、現在世代の知見が未来世代が磨くであろうそれと比べて優れているという保証もない。


58、そしてまた、歴史的秩序を保守するという意味においては保守主義でもある。
この真理を明るみに出すことが、世紀末に最も問われている理念的な課題なのだといってよい。


59、日本の技術開発路線は、ある段階においては他国との摩擦を劇化させ、次の段階においては他国から追いつき追い越される運命にある。
そのことを確認し、この際、あえて技術開発におけるグラデュアリズムあるいはスタティックスを採用しなければならないのではないだろうか。


60、かつては、軍事力をメディアとする軍事ゲームが世界で展開されていた。
そして今世紀後半は、ウエルス・ゲームつまり富をめぐるゲームが世界の構造を決めるといわれてきた。
だがウエルス・ゲームは、しょせん、テクノロジーの増殖によって支えられるものである。
そして現代人は、歴史感覚の喪失とそれによって引き起こされる価値観の蒸発のために、こうしたウエルス・ゲームにすらもはや耐え切れなくなっている。
それどころか、ウエルスの増大に退屈し、あるいはウエルスの分配(平等)に苛立っているというのが、日本を含む先進諸国の精神的風景なのである。


61、国際ルールがまた確立されていない状況にあっては、国際間の力関係は今なお決定的に軍事力によって左右されるということを認めるほかない。


62、日本人も言語ゲームに上達することもできるのではないか。
言語ゲームによる外交をはじめとする国際的な文化活動が、日本人にたいする何がしかの関心と敬意を世界にもたらすことも不可能ではない。
こうした言語ゲームを国民運動として様々な次元において展開すること、それがリベラル・デモクラシーの精神的土壌になるのである。

 

63、ハイテク化や情報化を唱導するのは、近代文明にかんする根拠なきオプティミズムである。
情報が価値をおおよそ喪失した技術に還元されているだけでなく、その技術が自然環境の破壊にまで突き進もうとしているのだ。
それに並行して、「精神における自然」が破壊されてもいる。
そう考えると、ハイテク化や技術化や情報化を退けるわけではないが、それをどの程度に進めるかについては、近代そのものを疑ってかかる態度が必要となってくる。
近代を引き受けつつも近代を疑ってかかることによって、近代化の進展の速度をよりモデレートなものにする、それが文明の成熟ということにほかならない。
西欧はそうした実験を多少とも繰り返してきた。
その経験に学ばないという手はない。
その経験を学ぼうとしなかったのがアメリカニズムでありロシアニズムである。


64、人間各人の生涯を引き受ける場所が、基本的には家族なのだということを確認し、その視角から老人問題や青少年問題を引き受ける、そういう社会的課題があることを思い起こさなければならない。


65、昔も今も、いわゆる知識人の言論は庶民の生活のはるか頭上を越え、空疎な観念のなかで空回りしがちである。
かつて福沢諭吉がいったように、庶民の生活と密着しうるような実学を手掛けてこなかったことが知識人の衰退の原因であったといってよいであろう。
しかし、人間の実生活とは何であろうか。
このことについて福沢諭吉は、経済的取引も政治的交渉も、その他実業といわれるものすべては「人間交際」つまり社会的場における人々の言語活動のためにあるのだという把握をしていた。