西部邁 『文明の敵・民主主義―危機の政治哲学』を読んで。

いやぁ~~ これも名著です!

(この本は平成23年に発行されました)


1、本当にそうかどうかは確信できませんが、プラトンという哲学者が、言い換えると「知識を愛する者」が、デモクラシーについて「国家」や「政治家」といった書物を書き残したせいで、民衆政治の発祥の地は紀元前5世紀あたりにおける古代ギリシャのポリス(都市国家)において、とりわけアテネにおいてであった、とされております。
それは同時にポリティックス(政治学)の発生でもありました。


2、オピニオン(意見)とはその言葉の元々の使われ方においては、「根拠の定かならぬ思い込み」のことです。
そんなものの膨大な量の寄せ集めにすぎぬ世論に就き従うのは「愛知」の名に値しません。
「ソロンの改革」から「ペロポネソス戦争」へと至るほぼ100年間のアテネ民衆政治の体験に立ってプラトンは語りました。
統治はまずディモクラシー(名声政治)として始まり、それがオリガキーに転化し、次にそれへの反動としてデモクラシーが生じ、それが「民衆の愚かさ」に助けられてティラニー(専制政治)をもたらす、という経緯があったし、理屈においてもそうなるというのです。


3、世論とは「独裁者を次々と殺し、新し独裁者を次々に産む」機構のことだ、といってさしつかえありません。
ということは、世論こそが、アノニマス・パワー(匿名の権力)としての独裁者だということです。


4、簡略にいうと、「主権」は神のものでも民衆のものでもないのはむろんのこととして、君主のものでもないとマキアヴェリは考えました。
20世紀に入ってから、フリードリッヒ・マイネッケが「国家理性」と名づけたものを最初に明示した人、それがマキアヴェリだということです。
「安全と生存」を保証してやらなければならないのは「国家」だ、したがって国家の「独立」こそが至上命題だ、と言い換えるべきかもしれません。
インディペンデンスとは「他国に依存(ディペント)しない(イン)」ことで、その非依存に国民が「自尊」を覚える、というのがその君主論の大前提となっております。
なぜそのことに言及するかというと、他国に依存する形での「安全と生存」などは、マキアヴェリの眼中にないからです。


5、社会契約は人々のヴォランタリー・ウィルによって締結されるということに注目すると、ホッブスの「リヴァイアサン」は民主主義の原理を明るみに出した、ということができます。
というより、「絶対君主制という民衆政治の否定を社会契約という民主主義的な手続きで行う」、それがホッブスの国家論なのでした。
民主主義の原理を最初に宣明するに当たってすでに民衆政治が拒否されていたという逆説は実に示唆に富んでおります。
そこに民主主義という一つの政治原則の危うさが端的に表明されている、とみるべきでしょう。
さらに、その危うさはホッブスが考えたのよりももっと深刻であったと思われてなりません。
人々が互いに猜疑心をぶつけ合っている自然状態において、社会契約の締結過程が円滑に進む保証はどこにもありません。
保証があるとしたら、、それは人々のあいだにすでにコナイヴァンス(黙認)がある場合ではないでしょうか。
つまり、「他者の自分にたいする猜疑心にもとづく闘争心については互いに見て見ぬ振りをする」、という暗黙の了解が成り立っているということです。


6、「有産に起因する知識」、それが正当性の根拠とされたという意味で、ロックの社会契約論はヒューマニズム人間性の礼賛)にもとづいているということができます。
現代の民主主義はロックに出発しているといってよいでしょう。


7、18世紀半ば、フランス人(あるいはフランス系スイス人)のジャン・ジャック・ルソーは、「社会契約論」において「ヴァロンテ・ジェネラール」(一般意志)の概念を提示しました。
人々の共有する一般意志の前で、あたかも「神の前の平等」というキリスト教の教えに沿うようにして、人々は互いに平等であると宣されたわけです。
それは、同時に、「平等なければ自由なし」という政治原則の宣言でもありました。
ここであえて人々をナショナル・ピープルに限定したのは、ルソーが熱烈な愛国主義者であったことに因んでおります。


8、その思念を「国民の歴史」という何ほどか実質のあるものに繋ぎ止めようとはしなかった、というルソーの歴史にかんする思想がそのような思念の暴走を招いたのだ、と思われます。
ルソーこそは、万人平等という民主主義の大原則の意義を論証すると同時に、その大原則が政治実践の場では民主主義の完全否定に転化するということを実証してしまった人物です。
どこまで追っても、民主主義の理念には不吉な影がさしてやみません。
そのことに少しでも気づけば、民主主義への疑惑が完全に抹殺されてしまった現代は、文化が暗闇に没したという意味で、文明ならざる文暗に包まれているといえましょう。
民主主義は文明の敵であるかもしれないという仮説について、そろそろ真剣に議論してよい時期なのです。


9、フランス革命といいロシア革命といい、「民衆の熱狂」によって開始されたことを見逃すわけにはいきません。
熱狂した民衆によってタイラント、ディクデーター(独裁者)あるいはトータリテリアン(全体主義者)が生み出されるという事例は、歴史上、枚挙に遑がないといえるでしょう。


10、漢語の「民」という原義は「盲目の人」ということですが、たしかに、民衆の声は、それが熱狂に近づくにつれて、精神的な盲目者にありがちの狂声に変じていくものなのです。
それは国家なるものが成立して以来、不変の傾向だといってさしつかえありません。


11、デマゴギーという言葉が古代ギリシャのものであったことを思うと、「民の声が煽動の嘘話に乗りやすい」というのはどうやら古今東西に普遍的と思われてなりません。
(デモ)クラシーと(デマ)ゴギーが親近しているというのは、現代人の日常感覚でもよくわかるところです。


12、アドルフ・ヒットラーが全権を、つまりあらゆる政策をディクテートする権利を掌握してディクテーターとなったのは、1933年、国民投票で成立したいわゆる「授権法」によってです。
要するに国民がヒットラーというフューラーに全権を自発的に授けたのでした。


13、しかし、現代政治のとくに投票行動差配しているポピュラリズムはそれと異なるものです。
「三つのM」(モーメント束の間のモーデ流行にすぎないマイヌング世論)に動かされて上昇したり下降したりするポピュラリティが現代政治を動かしているのですから、それにはポピュラリズムという新語を宛がってよいのではないでしょうか。


14、民主主義の思想を禁圧せよとか、民衆政治の制度を廃止せよとかいっているのではありません。
民主主義への「信と疑」のあいだできわどく平衡を持たすことができるような民衆の態度、それが「よき民衆政治」をもたらしうる、といっているだけのことです。


15、民衆がマスターであるのが民主ということの意味です。
しかしマスターはデスポットであり、デスポティズムとは専制主義のことです。
問われるべきは民衆の精神的な質なのです。


16、イクオリティが過大に及んでコンフォミティに近づけば、有徳・有能者のフリーダムが阻害されるということです。
逆に平等が過小になってディファレンスがデスクリミネーションに落ちていくと、劣位にある者が抑圧されます。


17、また、日本の民主党政権をはじめとしていろいろな国々の民主主義政党が「友愛」に類した「ヒューマニズムの標語」を、フランス革命の墓場から引きずり出してもいます。
しかし、友愛の政治劇は程度の低い笑劇に終わるでしょう。
というのも、友愛という理想は、エミュレーションという現実とのあいだで相克を起こすに違いないからです。
互いに競い合う者同士のあいだの友愛、そんなものは空語も同然です。


18、自由とは何かを考える際に、大きなヒントを与えてくれるのは自由という言葉それ自体です。
フリーダムを「自由」と訳したのは「(福沢諭吉と同時代の)西周中村正直ですが、なかなかに意義深い訳語と思われます。
それは「(自)分の理(由)」を表現することだと解されます。


19、常識とはトラディッションのことにほかなりません。
ただし、常識といい伝統といい、カスタムと同一ではないのです。
慣習には良習もあれば悪習もあります。
その良と悪とを判別する歴史の英知、それが常識であり伝統なのです。


20、明治30年前後、「民権と国権」の争いが激しくなったとき、兆民より一回り年長の福沢諭吉が「政府は国民の公心の代表なり」と喝破しました。
「国」と「民」とが公心によって結び合わされて、「国民」となるということでしょう。


21、思えば、聖徳太子の『十七条の憲法』にも「嫉妬することなかれ」という文句もありました。


22、第一に「国民」というのが一般の庶民をさしていることは明らかです。
第二に、生き「方」、暮らし「方」、精神の「形」のすべてが、文化の実体的な作物としての「慣習」のことではなく、その実態に含まれているはずの「真実の探り方」、「道徳の保ち方」そして「美意識の表し方」という形式の「伝統」をさしています。


23、民衆が自分らの国家について抱懐するイメージを、イメージにすぎぬとして軽んじはなりません。
それは、「富国強兵」や「殖産興業」のイメージがどれだけ深く明治国家に刷り込まれたかを想えば、明らかでしょう。
戦後昭和期にあっても、「平和と民主」や「進歩とヒューマニズム」のイメージは戦後日本人に広く共有されてきました。
それが戦後日本における「国防力の弱さ」や「伝統の溶解」をもたらしたのでした。


24、フランスの思想家にして政治家のトックヴィルは、1830年代前半のアメリカを9ヵ月間旅行して、「アメリカにおけるデモクラシー」という書物を著し、その他に「多数者の専制」を見出しました。
その民衆政治にあって「プライマリー・パワー」であるのはパブリック・オピニオンだとも指摘しました。
1835年から1840年にかけて出版された書物ですから、炯眼といってよいでしょう。


25、ここ30年ほど、マス・メディアを「第四権力」と呼ぶやり方が散見されはします。
しかし、立法・行政・司法の三権のすべてが世論の動向に気をつかう、という傾向が強まっております。
率直にいって、その配慮は第一権力たる(世論を動かす)マス・メディアへの屈従といってよい水準に達しました。


26、政治という党派の集団感情が噴出する場において、冷静な議論が進むとは思われません。
他党派の異論にたいする「寛容」と自派への懐疑にたいする「忍耐」という両方の意味でのトレランスが、政治において十全に保たれるとも考えられません。
しかし、それにもかかわらず、「少数派の意見にも正しいものがありうる」、「多数派の意見にも誤ったものがありうる」としておかけなれば、議論が不必要となります。


27、それにたいし世論にあっては、人はメディアの提供する情報の受容者にすぎません。
その情報は、世人を刺激し世間に流通するようにあらかじめ仕組まれております。
オルテガが「世論とは世論マイナス自分の意見のことである」といったのはこのことです。
それは同時に「自分の意見はゼロである」ということ、ただし「世論に迎合するヴェクトルだけは持っている」ということを意味します。


28、なぜ政治家の話が説得力を持たなくなるのでしょうか。
ほんのモーメント(瞬間)のあいだだけの、訳のわからぬマイヌング(意見)を、モーデ(気分)にまかせて吐き散らす、つまり「三つのM」が権勢をふるう、そんな政界には、優秀な人材が集まらないという事情があります。
しかし「三つのM」は現代人の精神状態そのものでもあるのです。
そこに欠けているのはみずからの感情や理屈を歴史感覚と国家意識に深くかかわらせるという視線の長さと視界の広さです。

 

29、そんな意識は「インテグリティ」を持ちません。
インテグリティとは「総合性」にもとづく「一貫性」のことで、それがないと政治家の人格に「誠実性」としてのインテグリティが宿るはずもないのです。
人格の次元で疑われている政治家が説得力ある言葉を吐けないのは当然といわざるをえません。
また、政治家の表現を目の当たりにする聴衆や読者がインテグリティを持っていないときているのですから、説得力の出番そのものも少なくなっております。

30、そして権力はすでに多数派の手にわたったのですから、この誤診もしくは詐術の理論を社会のなかでつき崩すことは、あっさりいって不可能なのです。
そのことに絶望する者が少しでも増えること、それ以外に希望はないというのがトックヴィルのいった「多数派の専制」ということなのだと思われます。


31、「政治的正しさ」を保証する根拠は何か、それは歴史によって醸成された伝統精神にしかないと考える思想の回路が、アメリカという実験国家においてますます細く狭くなっているのです。
それに範をとるという戦後日本の政策体系を自省する思想が、この列島において一向に強まっていないのは残念の極みというしかありません。


32、大西洋で隔てられれば、自分らの政治用語の意味が西欧のそれと反対になる、ということにアメリカ人は無関心といってよいでしょう。
それにもかかわらず、アメリカン・フリーダムやアメリカン・デモクラシーを世界に宣伝するという自己への満悦(他者への無関心)、それも大衆の精神だといってかまいません。


33、福沢諭吉が徳義について「公徳と私徳」を分けたのは今でも有効です。
廉恥・公平・正中・勇強は、公共の場において観察可能なものとして表現されるという理由で、公徳に当たります。
そのことの大切を知るのが「文明」だ、というのがその『文明論之概略』の骨子だといってよいくらいです。


34、それこそが近代精神の本質だといえましょう。
単純なイメージやプランのための単純な言葉が大量に出回るのです。
自由・平等・友愛・改革・革新・革命・人権・生命・平和など、単純きわまる空疎な言葉で地球は覆い尽くされております。
それを如実に表現しているのがマスコミュニケーション(大量情報伝達)の現状であることはよく知られております。


35、過去も未来もない人間は、「昨日から今日への変化率」という数字が「今日から明日への変化率」としても成立するであろう、とみなします。
つまり、超短期の時間意識において生きるのです。


36、「カネで買えないもの」によって交換の仕組みが安定化させられていること、それを知らないし知ろうともしないのがアメリカニズムです。
アメリカニズムにおいて民主主義と並ぶ秩序とされている「自由主義」と「合理主義」もそれを知りません。
とくに博愛主義が有名無実と化すにつれ、そうなっております。
そんなものに擦り寄るのが日本列島なら、そこはそのうち劣等人の住処と呼ばれるかもしれません。


37、とはいえ、マス(大衆)は、歴史から離脱し慣習を放擲し伝統を無視します。
したがって、大衆は「共通善」や「公序良俗」を受け入れません。
そもそも議論するのを好みませんので、「衆を頼んで」多数決にできるだけ早く達しようとするのが大衆のやり方です。
その多数決の内容を決めることになる多数派の世論はどんなものかというと、つまるところ、「束の間の気分」、「行きがかりの利害」そして「たまさかの思い付き」といったものにすぎないのです。


38、そしてその砂山としての大衆は、風が吹けば一夜にして砂山の姿形がまったく変わってしまうように、時代の雰囲気に煽られます。
昨日まで市場競争の効率を唱えていた者が今日からは社会保障の必要を叫ぶというようにです。


39、「大衆の反逆」が今や最高潮に達しています。
そして「絶頂というのは実は終末なのだ。…幸運な雄の蜜蜂が新婚の旅のあとで死ぬように、満足が原因で死滅する時代もあるのだ。
いわゆる絶頂といわれる時代が、つねにその意識の根底にきわめて異様な悲哀感を湛えているという事実は、実にここに由来している」というオルテガの診断通りに、日本を含む先進文明諸国に異様な悲哀感が立ち込めております。


40、認識論において人は、好むと好まざるとにかかわらず、西欧派にならざるをえない、といった気持ちに駆られます。
つまり、「自身の文化を疑問視して、そのための根底を真剣に作り上げていかないうちは、開化していることにはならないと信じたのは、ひとりギリシャ人とヨーロッパ人だけだ」と認めるほかないようなのです。


41、大衆は、その代理人ともども、危機に直面すると「政府の傘」の下に逃げ込もうとします。
1930年代、全体主義の時代がそれでした。
反対に、危機が遠のくと、「政府の傘」を邪魔な覆いだとして破り捨てようとします。
1990年代、新自由主義がそのように進みました。


42、この平成の23年間に、首相交代が異様な回数にのぼり、政策の振幅度が異常な大きさに達しているのは確かです。
メディアがそういう活動を意図的にやっているわけですから、それは「媒体」の立場を逸脱しているといってよいでしょう。
政治に限らず文明を不安定にすることを商売にしているのがメディアです。
メディアは文明の対象でも媒体でもなく、むしろ文明の主体となっているとみるべきです。

43、アメリカ製の日本国憲法はすんなりと成立しました。
その後、この憲法はただの一か所も改変されることのない「不磨大典」になりおおせもしました。
それをみると、この敗戦民族のパクス・アメリカーナ体制への順応は、押し付けられたものではなく、「押し戴いた」ものとわかります。


44、ニッポン列島はアメリカのテリトリー(属州)である、つまり「投票権なき自治領」である、といってさして過言ではありません。
「日米同盟」なる防衛論での用語も噴食物でしかなく、自衛隊はアメリカの属軍であるにきまっているのです。
軍事を外国の差配におけば、外交において独立が保たれるわけがありません。


45、端的にいって、米ソは(今でいうと米中は)多民族の実験国家という点で類似しております。
抽象的な理念で国民を統一しようとし、あまつさえ、それを他国に押し付ける点でも似通っております。
金銭という効率計算の標準に臆することなく執着することにおいても同じです。


46、「個人の自由」を重んじるアメリカ帝国と「集団の統制」に傾くロシア帝国中華帝国とは、国際政治のヘゲモニーをめぐって、葛藤・紛争を繰り広げてきましたし、これからもそうするでしょう。
それは、人工的な価値に普遍性を装わせなければならないという実験国家に特有のやり方なのです。
普遍的な理想を抽象のレヴェルにある思想から抽出し、それを理想とみなして、直接的に具体のレヴェルにおける政策として推し進めようとするのが実験主義です。
それは、必然的に自国民の個別的な歴史を担って出来ている他の諸国家の政策と衝突するのやむなきに至り、それがグローバル・ヘゲモニー(広域的覇権)の主張をもたらすのです。


47、西欧では、一つに、共同体という名の社会的有機体をできるだけ保全しようとし、二つに、個人や集団の理性はつねに不完全で誤診を含んでいることに重大な関心を払い、三つに、社会の制度改革については漸進的な態度で臨むのです。


48、戦後日本において「保守」の勢力などは、厳密には、存在しなかったのです。
現状の「維持」が保守だといっても致し方ありません。
なぜといって、戦後の現状はまさに「革新」を旨としてきたからです。


49、国連コスモポリスへの第一歩などというのはお笑い種もいいところです。
福沢諭吉の時代と同じく、「国民の文明」が大事だとするほかありません。
したがって、国際社会は、第一層では「ルール形成」の不断の過程であり、第二層では「パワーの行使と衝突」のこれまた連続的な過程である、ということになります。
これほど単純明快なことを戦後日本人はなぜ確認できないのか。
理由も単純明快で、第一に、大東亜戦争における大敗戦のあと、「アメリカが世界である」という従属根性が骨がらみに染みついてしまったこと、第二に、それゆえ国際社会については「結構人のきれい事」を並べていればよかったことが挙げられます。


50、上辺だけの紋切型でしか物をいわぬ「結構人」の集まり、それがメディアだ、といってさしつかえありすまい。


51、いずれであっても、日本国家として、自主自尊の構えでどう国際社会に立ち向かうか、という姿勢は微弱です。
「世界の孤児」となることだけが恐い、それが戦後日本人の偽らざる心情とみえます。
とくに日本のメディアは、66年に及んで、そうしたニッポン論を繰り返してきたといってよいでしょう。
近々でいえば、北方領土をロシアに奪われた上に竹島を韓国に奪いとられるというこの半世紀の成り行き、尖閣の略奪に中国が触手を伸ばすといった顛末、すべてこうしたニッポン論の帰結なのです。


52、テクノロジー(技術)という言葉は、実は、いささか妙な由来を持っております。
「テクネー」というギリシャ語は、合理的に編成し切ることの叶わぬ「生活上」の技能や知恵を含んでおりました。
そのうちロジックで割り切れるものだけを抽出して、それを実体化したのがテクノロジーなのですから、それは人間の生活を切り刻む種類のものだといってかまいません。


53、まとめていうと、自由主義とは逆のプロテクショニズムもまた、諸国家によって動員されているということです。
おのれの国家の保護膜をすべて剥ぐような恰好で、自由主義一辺倒をもってよしとしているのは、この日本くらいのものでしょう。


54、その広い意味で、世界は国家主義の時代に入っております。
それどころか、アメリカ、中国、そしてロシアといったような人口(実験)国家はイムペリアリズム(帝国主義)をあらわにしているのです。
たとえば関税撤廃のような自由主義政策すら、かつてイギリスが植民地インドにたいしてそうしたように、アメリカの帝国主義として発動されているといわなければなりません。


55、他方、デスティニーとしての運命は「イネヴィタブル(変更不可能)な出来事」と感じることです。
マグニチュード9.0の大地震の到来は、それ自体としては、もちろんデスティニーであったといってかまいません。
さらに、東日本東沿岸部の防波堤が10メートルの高さにとどまっていたのも、福島原子力発電所の危機対応が不十分であったのも、おおよそ変更不能な成り行きだったのではないでしょうか。
M9.0の予想に応じて十全な危機対応を準備しておくことなど、人知および人為の枠を超えております。

 

56、民主党陣営の脱原発論には、今のところ電力供給の1.1%にすぎない再生可能エネルギーとやらの創造可能性について、ほとんど一言もありません。
新エネルギーの創造に伴う不確実性にかんする言及もないのです。
また、エネルギー供給の「安定」を保つのに失敗したら、日本の産業機構が、ただでさえ熾烈の度を増している国際競争のなかで、どんな混乱や衰退を呈するかについての検討も皆無ときています。
つまるところ、日本国家の全体像を描かずに「原発は人災」という当面の問題の局所のみを取り上げる、それが民主党のやり方なのです。


57、大東亜戦争において90万人を超える日本の一般市民(非戦闘員)が不法に大量虐殺されました。
そのことへの道徳的、政治的および法律的な抗議や批判を一切行わないまま、戦後日本は対米追随の軍事や外交をやってきたのです。
それどころか、200万に及ぶ(「名誉ある戦死」を遂げた「英霊」としての)戦死者を弔うことも祀ることもしてこなかった、といってさしつかえありません。


58、戦後日本人の唱え続けてきた人命尊重という最高価値は嘘話です。
正しくは「自国民の生命だけが大事である」というのがその価値観の真相だったのではないでしょうか。
いや、国内における毎年5千から1万の交通事故死のことも毎年3万の自殺者のことも深刻な話題にのぼらなかったことからして、「自分一個の生命だけが大事である」という露骨きわまるエゴイズムに我らは浸ってきたということすらできます。


59、東日本の大震災は日本国民の道義につきつけられた刃なのです。
その復旧復興を甚だしく遅延させているという民主党政治の現状は、戦後日本人の道義が地に堕ちたことを示しております。


60、しかし、エコロジカル・バランスを崩す元凶として原発のことを特別に取り上げるのは、放射能アレルギーという精神疾患に当たります。
「文明の被害」が自然の生態系への破壊という形でも進行していることは、「地球温暖化」の例を取り出すまでもなく、明らかなことです。
石器時代のことはいざ知らず、農耕文明の始まりとともに人間による生態系への破壊が始まりました。


61、問題の原子力についていうと、原爆にせよ原発にせよ、それを人類が手放すときがくると見通すのはほとんど冗談に属します。
どだい、知識はイリヴァーリブルですので、仮に原爆と原発が廃絶されるときがきたとしても、まさにそのときに、誰かが、どこかの国家が、原子力エネルギーの創造に着手し、そうすることによって軍事や経済の覇権を握ろうとするでしょう。
アニムス・ドミヌンディ(支配欲動)が人類の精神から消失することがあると考えるのは歴史への冒瀆だといってよいでしょう。


62、想定あってこその科学・技術なのですから、アウト・オブ・プリザンプションつまり想定外の出来事が生じたら、科学・技術はおおよそ無効だ、と確認しておかねばなりません。
つまり、想定外の事象は予測不能であり、それゆえにマネージすることができないのです。
アンマネジャブル(管理不能)な不確実性は、リスクではなく、デインジャーとよばれるべきでしょう。
我が国でリスク・マネジメントを危機管理とよんでいますが、それは大きな間違いです。
管理できるのは想定内の危険に限られる以上、危険管理とはいえても、危機管理などは「想定外のことを想定する」という笑止の沙汰に当たります。


63、それにもかかわらず我が国は、非常事態条項を欠いた憲法を持ちつつけております。
非常事態にはアメリカが対応してくれるはずだ、非常事態法は国家主義を強めるという意味で危険だ、と戦後日本人はみなしつづけてきたのです。
で、東日本大震災が勃発しても、それを非常事態と認定することすらできなくなっています。
しかし、それを不思議と思うほうがよほどに変なのです。
日本は66年前から、アメリカの(実質上の)植民地でありつづけています。
その屈辱感を打ち消すために戦後日本人が何をしたかというと、コスモポリタニズム(世界連邦主義)を理想として、「世界の平和」という抽象的な理念によってみずからの精神を麻痺させ、その世界平和にディペンドしていれば非常事態に遭わないですむ、非常事態がやってきてもそれを潜り抜けられる、と夢想してきたのでした。
実際にもアメリカに依存しつつ、アメリカを世界と見立てた、といってもよいでしょう。
インディペンデンスの気風を失った、それがこの列島におけるアプレゲールの基本精神なのです。


64、しかし、政治家にバッシングを加えたとて日本の政治がよくなるというものではありません。
威厳から遠いこと限りなく政治家たちの表情や物腰は、民主主義の辿り着くほかない空虚の極致を指示しているにすぎないのです。