オルテガ 『大衆の反逆』(1929年)を読んで。

オルテガはスペインの哲学者です。

これは名著です! 1929年に書かれたとは思えないほど哲学的ですし刺激的です。

驚いたのが、この著書で、すでに「EU構想」を打ち出しています。


もっと驚いたのが、この文章です。「たとえば議会などについて、四六時中愚劣な話を聞かされるのはもうご免こうむりたい」というものです。


我が、日本国民が、それに気付いたのは昭和中期である。


したがって我が日本は、西欧より40年、遅れているという事を肝に銘じた方が良い。


また、…個人の精神的自立性、教育の水準、政治の水準(=国民の水準)は、西欧よりも100年遅れていると言っても過言では無い。

 

そして、思想家の西部さんが様々な著書の中で「西欧は尊敬するに値する」という意味が解った気がします。

また、西部さんの思想が、かなりオルテガに影響されていたと知りました。

 


1、人間は根源的な孤独を宣告されているので、人間にとっては相互理解は不可能であり、人は他人に到達しようとする努力で憔悴しているということである。
隣人に到達するための努力のなかで言葉のなしうることは、我々の心のなかに起こる諸々のことの幾つかを、ときとして、比較的正確に表現できるということであり、それ以上ではない。
これが幻想なのだ。
言葉というものはそれほど役立つものではない。


2、言葉というものはすべて偶発的なものである。


3、人類に向けて話すという習慣は、最も崇高なものであり、それゆえ、デマゴギーの最も唾棄すべき形式なのであるが、それは1750年頃に道を踏み外した知識人たちによって採用された。


4、つまり、西欧全体が現在そのなかに落ち込みつつある、諸々の状況の驚くべき均質性の兆候と考えている。


5、ヨーロッパ人と呼ばれるこれらの民族にとって、生きるということは(明らかに11世紀以来、オットー三世以来)、ある共通の空間もしくは範囲内を動きまわり、行動することであった。
つまり、各民族にとって生きるということは、他の民族と共存することだったのである。
この共存はつねに平和的な面と好戦的な面を持っていた。


6、西欧の人間が今日の激しい社会的抗争に直面したとき、彼らが、社会、集団、個人、慣習、法律、正義、革命等に関する陳腐でばかげた概念で防備してきたことが、現代の最大の不幸の一つだからである。


7、私はそれぞれの国民国家で機能を果たしている決定的な社会的権力が、純粋に国内的な社会的権力のみから成っているという考えを、はっきりと否定する。
ヨーロッパのすべての民族は、何世紀も前から(このことを意識し始めたのは4世紀前からであるが)その動的性質ゆえに力学から得た名称である「ヨーロッパの均衡」、もしくは「力の均衡」と呼ばれる社会的権力に従って生活していることを、はっきり承知しておく必要がある。


8、鈍重の頭の持ち主とは、東洋の、つまり変わることなき専制政治の下で生きるために生まれた者である。
今日、ヨーロッパ大陸の全域において、均質性の一形式が勝利を収め、それが西欧のこの宝を完全に食い尽くそうとしている。
つまりそれは、いたるところに出現した大衆人のことである。


9、大衆人はただ欲求のみを持っており、自分には権利だけがあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない。
つまり、彼らは自らに義務を課す高貴さを欠いた人間であり、俗物なのである。


10、自由主義は、それを誹謗する集産主義者たちが考えているよりも、はるかに深遠かつ明快な社会に関する一つの理論であると考えている。


11、自由主義の理論家たちは、歴史的なものこそ真に絶対的なものであることを発見したのである。


12、真の権利とは、絶対的にそこにあるものである。
なぜならそれは、歴史上のなかに現れ、そのなかで強化されてきたからである。
そして、このようなものが「自由」であり、合法性であり、権威であり、「能力」なのである。


13、おそらく、アルクイヌス(735年-804年、英、神学者)の時代以来、我々は少なくとも50年、イギリス人よりも遅れている。


14、ところで、「状況の多様性」の斬次的衰退とともに、我々は後期ローマ帝国への道をまっしぐらに辿ることになる。
あの時代もまた、大衆と驚くべき均質化の時代であった。


15、政治は人を孤独と親密さから解放する。


16、ギリシア文明もローマの文明も、この唾棄すべき連中の手によって瓦解したのであり、彼らはマコーレーをしてこのように叫ばしたのである。
「いつの時代においても、人間性の最も卑劣な例は、デマゴーグの間に見られた」
しかしながら、人が単に群衆の前で叫んだからといって、彼をデマゴーグと言うわけにはいかない。
これは、ときとしては、神聖きわまりない判事の職務でもあるのだ。
デマゴーグデマゴギーの本質は彼の精神のなかにある。
つまり、自分があやつる思想に対するその無責任な態度にあるのだが、その思想とて彼自身の創造になるものではなく、真の創造者からの受け売りなのである。
デマゴギーは知的退廃の一つの型であり、ヨーロッパ史上の広汎な例としては、1750年頃のフランスに現れた。
なぜその頃に?
なぜフランスに現れたのか?
これはヨーロッパの運命が、そして特にフランスの運命が持っている泣きどころである。


17、しかし、私の心を何よりもひきつけたのが、ヨーロッパが最も多くのものを負っている我々の最高の師、つまりデカルトの言葉に今一度耳を傾けることであったのは当然のことである。
「合理主義」は3世紀を経てきたわけであるが、我々は今、デカルト哲学の驚嘆すべき理性の栄光と限界にについて深思すべきである。
その理由は、単に数学的、物理学的、生物学的なものである。
自然を対象としたときに見せるその想像だにできないほどの驚くべき成功は、それだけいっそう人間固有の問題に対したときの挫折を浮き彫りにする。
そしてその結果、自然と人間を等しくとらえるより根源的な理性、つまり「歴史的理性」を招き寄せるのである。


18、革命の方法に対抗できる唯一の方法は、今日のヨーロッパ人がその背後に持っている長い経験だけである。
革命は、偽善めいた寛大さでもって、きわめて性急に権利を公言するが、それはつねに基本的人権、すなわち、まったく基本的であるので人間の本質の定義そのものである生き続ける権利を犯し、破壊し、蹂躙してきた。
人間の歴史と「自然の歴史」の根本的な唯一の相違は、人間の歴史が、けっしてやり直しのきかないものだということである。


19、ところが人間は、記憶力のおかげで自分自身の過去を蓄積し、それを利用する。
人間の場合は、過去の人間とまったく同じということはありえない。
つまり新しく生まれてきた人間は、最初から過去の推積というある程度の高みに立っているのである。
これが、人間の持つ唯一の宝であり、特権であり、人間である印である。
そして、唯一の宝のもっとも小さな長所は、それが我々に、つねに同じ誤りを繰り返すのを避けるために、失敗を記憶することがいかに重要であるかを教えてくれることである。
人間の真の宝とは、その失敗の蓄積、すなわち、何千年にもわたって一滴一滴とたまってきた生にかかわる長い経験である。
だからニーチェは、超人を定義して「もっとも記憶力の良い」人間と呼んだのである。
過去との連続を絶つこと、つまり新たにことを始めようと願うことは、人間がオランウータンにまでおちぶれ、それを真似しようとすることだ。


20、イギリスの君主制度はきわめて限定された、非常に効果的な機能を持っている。
つまり、象徴化という機能である。
ヨーロッパは才知にあふれてはいるが落ち着きがなく、けっして成熟することのない子供であったのに対し、その背後に控えるイギリスは、つねにヨーロッパの保母の役をしてきたからである。
イギリスは、ほとんどすべての部門において他国に先んじ、より早く未来に到達した国家である。
実際上は、ほとんどという語も取り去ってしかるべきだろう。
イギリス人は我々に、彼らの過去は、それがまさしく過ぎ去ったがゆえに、彼らにとっては今でも存在し続けているのだということを一生懸命教えようとしているのだ。
我々がまだ到達していない未来の一点から、彼らの過去が依然として有効性を持っていることを教えているのである。
つまり、こういうものが真の人間からなる国家の在り方である。
すなわち、未来のために生きながらも、引き続き過去をも生きうること、つまり真の現在に生きうることである。
というのは、現在とは、過去と未来が実際的な作用を及ぼしながら存在している場所だからである。


21、このと善し悪しはともかく、今日のヨーロッパの社会生活において最も重要な一つの事実がある。
それは、大衆が完全な社会的権力の座に上がったことである。
大衆はその本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、いわんや社会を支配するなどおよびもつかないことである。
したがってこの事実は、ヨーロッパが今や民族、国家、文化の直面しうる最大の危機に見舞われていることを意味している。
こうした危機は、歴史上すでに一度ならず襲来しており、その様相や、それがひきおこす結果は周知のところで、その名称も知られている。
つまりそれは、大衆の反逆と呼ばれている。


22、物事に驚くこと、不審に思うことは、理解しはじめることである。
それは、知的な人間に特有のスポーツであり、ぜいたくである。


23、しかしながらここにおいて、我々はまず第一の重要な問題点につき当たるのである。
つまりそれは、こうした群衆を構成する個人個人は前から存在していたが、しかし群衆としては存在していなかったということである。
群衆は突如として姿を現し、社会の中で最も好ましい場所にいついてしまった。
以前はたとえ存在していても、人に気づかれず、社会という舞台の背景にひそんでいたのだが、今では舞台の前面にでてきてライトを浴び、主要人物になっているのだ。


24、大衆とは善きにつけ悪しきにつけ、特別な理由から自分に価値を見出すことなく、自分を「すべての人」と同じだと感じ、しかもそのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに喜びを感じるすべての人々のことである。


25、つまる選ばれた人間とは、他人よりも自分がすぐれていると考える厚顔な人間ではなく、自分では達成できなくとも、他人よりも多くの、しかも高度の要求を自分に課す人間であるということを、知っていながら知らないふりをしているのである。


26、あとで考察することを先回りして言えば、私は近年の政治的変革は、大衆による政治の支配以外のなにものでもないと信じている。


27、私は、我々の時代におけるほど群衆が直接的に支配権をふるうようになった時代は、歴史上かつてなかったのではないかと思う。
それだからこそ、私は超デモクラシーについて語るのである。


28、ローマ帝国の歴史もまた、大衆が指導的少数者を吸収してその力を失わしめ、それにとって代わった大衆の反逆と支配の歴史である。


29、あの寛大な民主主義的理想から生まれた万人平等化の権利は、目標や理想であることをやめ、単なる要求や無意識的な前提に変わってしまったのである。


30、自分が自分自身の主人であり、他のいかなる人間とも平等であると感じる心理状態は、ヨーロッパでは傑出した人々の集団だけが獲得しえたものであったが、アメリカでは18世紀以来、つまり、実際的には建国以来つねに存在していたのだ。


31、ヨーロッパにおける大衆の勝利とそれに由来する生活水準のすばらしい上昇は、2世紀にわたる斬新的な大衆教育と、それと平行して進んだ社会の経済的繁栄の後で、内的な諸要因から起きたのである。
ところがその結果が、アメリカ的な生活様式の最も特徴的な様相と一致したというわけで、それによって、ヨーロッパの平均人の精神状態がアメリカ人のそれと一致し、そのおかげでヨーロッパ人は初めて、以前には謎であり神秘であったアメリカの生活が理解できるようになったのだ。


32、我々は、現在、平均化の時代に生きている。
財産は平均化され、異なった社会階級間の文化も均等化され、男女両性も平等になりつつある。
それどころか、諸大陸も均等化されつつある。

 

33、たいていの時代は、自分の時代が過去の他の時代よりもすぐれているなどとは考えなかった。
その反対に、漠然とした過去にもっと充実したより良い時代があったと考えるのが最も普遍的な感じ方であった。


34、今日、我々は、明日この世で何が起きるのかをもはや知らない。
そして、そのことにひそかな喜びを感じているのである。
というのは、予測しがたいということ、地平線がつねにあらゆる可能性に向かって開かれていること、そういうものこそが紛れもない生であり、生の真の充実だからである。


35、我々が過去をふり返ると、あの有名なルネサンスもきわめて狭苦しく、地方的で、無意味なゼスチャー、遠慮なくいえば気障に見えるのだ。


36、生とはすべて「環境」、すなわち世界のなかに自己を見出すことである。
なぜなら、環境、つまり周囲にあるもの、というのが世界なる概念の元々の意味だからである。
世界とは我々の生の可能性の総体である。


37、この10年あまりの間に、科学はその宇宙的領域を本当だとは思えないほど拡大した。
アインシュタインの物理学はあまりにも広大な空間のなかで展開されるので、ニュートンの旧物理学は、今ではそのなかで、いわば一つの屋根裏部屋を占めているにすぎない。
この外への成長は、科学的精確性という内への成長があったおかげである。
アインシュタインの物理学は、以前には重要性がないと思われて軽視され、考慮に入れられなかった極微差に注意を払って組み立てられている。


38、つまり我々の時代は、信じがたいほどの実現能力があるのを自分に感じながら、何を実現すべきかが分からないのである。
つまりあらゆる事象を征服しながらも、自分自身の主人にはなれず、自分自身の豊かさのなかで自己を見失ってるのだ。
我々の時代はかつてないほど多くの手段、より多くの知識、より多くの技術を持ちながら、結果的には歴史上もっとも不幸な時代として波間に漂っているのである。


39、生きるとは、自由を行使すること、この世で我々がなろうとするものを決断することが宿命的に強制されているのを自覚することなのだ。
ただ一瞬たりとも、我々の決断行為を休ませることは認められていない。
絶望してことの成り行きにまかせるときでさえ、我々は決断しないことを決断したのである。
したがって、人生においては「環境が決定する」というのは誤りである。
その逆である。
環境とはつねに更新するジレンマであり、我々はその前に立って決断しなければならないのだ。
しかし、決断するものは我々の性格である。


40、政治は明白な未来の姿を示さず、明白な未来を予告するわけでもなく、その後の発展の結果が想像できるようなある事柄の初めの姿とも見えないのだ。
要するに、生のプログラムもなければ計画もないままに暮らしているのである。
それは自分がどこかへ行くのかも知らない、というのは厳密に言うと、進んでいないからであり、前もって定められた道や軌道を持っていないからである。


41、大衆人とは生の計画を持たずに波のまにまに漂う人間である。
したがって、大衆人の持つ可能性や能力がいかに大きいにしろ、彼は何も建設しないのである。
そして、我々の時代においてはこういうタイプの人間が決断を下しているのである。
だから我々は、その性格を分析することが大切である。


42、つまり、6世紀にヨーロッパの歴史が始まって以来1800年までに(したがって12世紀の長期間にわたって)ヨーロッパの人口は1億8千万を越えることができなかった。
ところが1800年から1914年までに(したがって1世紀と少しの間に)ヨーロッパ人の人口は1億8千万から4億6千万へと増大したのだ!
この二つの数字を対照すれば、私は最近1世紀間の増殖能力に関してはなんら疑問をさしはさむ余地がないと思う。
わずか三世代の間に莫大な人的資源が産みだされ、それが急流のように歴史の平野に流れ込み、溢れだしたのだ。
繰り返して言うが、この事実は大衆の勝利とそのうちに反映され予告されている一切のことを理解するために十分だろう。
しかしそれと同時にこの事実は、アメリカ合衆国のような新興国家の増大に対して我々の抱いている感嘆の念が、実は根拠のないものであることを教えてくれる。
我々は、1世紀の間に人口が1億に達したアメリカの成長に目をみはっているが、真に瞠目すべきはヨーロッパの増殖である。
ここにも、ヨーロッパのアメリカ化を想定する妄想を正すべき、もう一つの理由があるのだ。
アメリカを特徴づける上で最も明白だと思えたかもしれない面でさえ(人口増加の速度)アメリカに特有のものではないのだ。
ヨーロッパは前世紀に、アメリカよりもずっと成長した。
アメリカはヨーロッパの余りもので作られているのである。
そのため、先に引用した数字で私に興味があるのは、人口の増加ではなく、二つの数字の対照が明らかにしている人口増加の目もくらむばかりの速さである。
我々にとっていま重要なのはこの事実である。
なぜならば、この目もくらみばかりの速さというのは、人々に伝統的な文化を滲みこませるのが容易でないほどの急ピッチで、大量の人間を次から次へと歴史の上に吐き出したことを意味しているからである。

 

43、前世紀があれほど誇りとしていた学校では、大衆に教えることのできたのはただ近代生活の技術だけで、彼らを教育することはついに出来なかったのである。
大衆には強烈に生きるための道具は与えられたが、偉大な歴史的使命に対する感受性は与えられなかった。
そのため大衆は、こと精神に関しては何も望まず、新しい世代の人々はまるでこの世界を、過去の痕跡もなければ、昔から続いている複雑な問題もない楽園ででもあるかのようにみなして、自分の手に世界の支配権を取ろうとしたのである。


44、1820年、1850年、1880年当時の明敏な頭脳の持ち主なら誰でも、少し頭を働かせただけで、今日の歴史的状況の重大さを先験的に予見できた。
事実また、100年前に予見されなかったような新しいことは何も起きていない。
「大衆は前進する!」とヘーゲルは黙示録めいた口調で言った。
またオーギュスト・コントは「新しい精神力を持たなければ、革命的な時代である我々の時代はいずれ破局をもたらすことになろう」と告げた。
そしてニーチェが絶叫した、「私には、ニヒリズムの潮が水嵩を増しているのが見える!」と。
歴史は予見できないと言うのは偽りである。


45、それ以前の庶民にとっては、生とは経済的にも肉体的にも窮屈な運命であった。
彼らは生まれながらにして、生きるとは無理にでも耐え忍ばねばならない障害の推積であると思い、それを解決する方法は、ただ様々な障害に適応し、自分達に残された狭い場所に住みつくよりほかはないと感じていたのだ。
19世紀の後半以降、平均人は自分の前になんらの社会的障壁を見出していない。
つまり彼らは生まれたときから、社会生活の形式の面においても、なんらの拘束や制約に出会っていないのである。
彼らの生を抑制するものは何もないのだ。


46、過去の相続人である新しい民衆は、周囲の世界に甘やかされてきた。
甘やかすとは欲望を制限しないこと、ある人間に対して、彼には一切のことが許されていて、何に対しても義務を負っていないという印象を与えることである。
こういう教育法で育てられた者は、自分自身の限界を経験したことがない。


47、とりわけ、いかなる人間も自分よりすぐれているとは考えない習慣を身につけてしまう。
もし過去においてそういう目に遭っていれば、彼らは次のような基本的な規律を学んでいたことだろう。
「自分の領域はここで終わり、ここからは自分よりももっと有能な他人の領域が始まる。
世の中には見たところ、自分と、自分よりすぐれた他人という2人の人間がいる」。


48、このように、高貴な生は凡俗な生、すなわち無気力な生と対置されるが、これらの生は自分自身のなかに閉じこもったまま、外部の力で自分の外へ出ることを強制されないかぎり、永遠の逼塞を宣告されている生である。
私がこのような生き方をする人間を大衆と呼ぶ理由はここにあるのだ。
つまり、かような生き方をする人間がたくさんいるから大衆だというよりは、その生き方が無気力だから大衆と呼ぶのである。


49、ここで、愚者と賢者の間に永遠に存在している相違そのものにつき当たる。
賢者は、自分がもう少しで愚者になり下がろうとしている危険をたえず感じている。
そのため彼は、身近に迫っている愚劣さから逃れようと努力するのであり、その努力のうちにこそ英知があるのだ。
ところが愚者は自分を疑うことをしない。
彼は自分がきわめて分別に富む人間だと考えている。
愚鈍な人間が自分自身の愚かさのなかに腰をおろして安住するときの、あの羨むべき平静さはそこから生まれている。


50、大衆人が馬鹿だと言っているのではない。
それどころか、今日の大衆人は以前のいかなる時代の大衆人よりも利口であり、より多くの知的能力を備えている。
だがその能力も、彼らのためになんの役にもたっていない。


51、つまり、我々の隣人たちが訴えていける規則がないところに文化はない。
訴えるべき市民法の原理がないところに文化はない。
議論の際に考慮すべき幾つかの究極的な知的態度に敬意を払わないところに文化はない。
人がその庇護の下で守れるような交通制度が経済的関係を支配してないところに文化はない。
美学論争が芸術作品を正当化する必要を認めないところに文化はない。


52、平均人は自分のなかに「思想」を見出すが、思想を形成する力には欠けている。
思想が住む微妙きわまりない場所がどこであるかを考えもしない。
意見を述べたがるが、およそ意見を述べる際の条件や前提を認めようとはしない。
そのため彼らの「思想」なるものは実際には思想ではなく、音楽つき恋愛詩のように、言葉をまとった欲望に他ならないのである。


53、政治において、共存への最も高度な意志を表明した形態は、自由主義的デモクラシーである。
自由主義的デモクラシーは、隣人を考慮しようとする決意を極端に示しており、「間接行動」の典型である。


54、大衆の反逆は確かに人類の新しい、しかも比類のない組織への移行過程でありうる。
しかしそれはまた、人類の運命における一つの破局ともなりうるのである。
あらゆる進歩、あらゆる発展は、必ず退化と後退の危険に脅かされていると考えるほうがいっそう事実に則しているからである。


55、今日、技術の途方もない進歩がたえず話題になっているが、技術の持つまことにドラマチックな未来を意識して語られることは、第一級の人達の間でもないようだ。
私は、あれほど俊敏で、あれほど洞察力に富む、あのシュペングラーでさえ、この点においては楽天的すぎると思う。
というのは、彼は「文化」の後に「文明」の時代が続くと考えていたのだが、その文明という言葉でとくに技術を考えていたからである。


56、物理化学というカクテルを作るには、色々と異なった要素を集めて振り混ぜればよいといったものではない。
このテーマを最も表面的に軽く扱おうとしても、物理化学が形成されて十分に定着することのできたのが、地球上のあらゆる場所、あらゆる時代を通して、わずかにロンドン、ベルリン、ウィーン、パリの四つの点が描く小さな四辺形の地域内だけだった、とうい明瞭きわまりない事実が目につく。
しかもその四辺形内においても、19世紀においてのみだったのだ。
このことは、実験科学が歴史の産物のなかで最も作られがたいものの一つであることを証明している。


57、哲学は大衆の庇護も好意も同情も必要としない。


58、諸問題の微妙な複雑さとの間にあるこの不均衡は、なんらかの方法を講じないと益々おおきくなり、文明にとっての最も根本的な悲劇になるだろう。
文明を成した諸原理があまりにも豊沃で的確であることから、収穫物が量においても精度においても増加し、ついに常人の理解力を越えてしまうからである。
私はこのような現象が過去に起きたことがあるとは思わない。
過去のあらゆる文明は、その原理の不十分さ故に滅びたのである。
ところが今日のヨーロッパ文明は、その反対の理由から倒壊の危険にさらされているのだ。
ギリシアやローマの場合には、失敗したのは人間ではなくて原理であった。
ただ技術のみが見出しうる、ある種の物質的緊急問題の解決を迫られた時、古代世界の退化、後退、衰退が始まったのである。
しかし今日では、自分自身の文明の進歩に追いつけずに失敗しているのは人間のほうである。


59、今日の最も「教養のある」人々には、信じられないくらい歴史的知識が欠けているのだ。
今日のヨーロッパを指導している人々は、18世紀や17世紀の人々よりも歴史を知らないと断言してもよい。


60、したがって、現在ヨーロッパとその隣接地帯で行われつつある二つの「新しい」政治的試み、つまりポルシェヴィズムとファシズムも、この本質的後退を示す二つの明白な例である。
問題は共産主義者であるかいなか、ポルシェヴィキであるかいなかではない。
私は進行個条を議論しているのではない。
時代錯誤的であって理解できないのは、1917年の共産主義者が、それ以前に起きたあらゆる革命とまったく同じ形の革命に突き進んだこと、その革命において過去の革命にあった欠陥や誤りが少しも修正されていないことである。
だからロシアで起きたことは、歴史的にみて興味あることではない。
それは、人間生活の新しい門出とは正反対のものである。


61、ポルシェヴィズムの場合に使った記号を逆にすれば、ファシズムについても同じことが言えるだろう。
いずれの試みも「時代の高さ」に達しておらず、その内部には、過去を越えるための不可避的な条件である過去全体の縮図が蔵されていない。


62、彼はあらゆることに介入し、なんら配慮も内省も手続きも遠慮もなしに、つまり「直接行動」の方式に従って、自分の低俗な意見を押しつける事になる。
こうした一切の様相から、我々は、「甘やかされた子供」や反逆的未開人のように、人間の在り方としてある種の欠陥を持っているもの、つまり野蛮人のことを思い起こした。
今日あらゆる所を歩きまわり、どこであろうと自分の野蛮性を強制しているこの登場人物は、明らかに人類史の生んだ甘やかされた子供である。
これは、贅沢が人間の中に生み出す幾多の奇形の一つである。


63、生とは全て、自己実現のための戦いであり、努力である。


64、事実はその反対である。
有り余る可能性に満ちた世界は自動的にひどい変形をもたらし、人間存在の欠陥多いタイプを産みだす。
それらは、「相続人」という普遍的な種類にまとめることができるが、「貴族」はその個別例にすぎない。
そして「甘やかされた子供」もその一例であれば、我々の時代の大衆人も、はるかに広範囲にわたるより根本的な例にほかならない。


65、しかし平均人は、その世界のなかにあり余るほど豊かな手段だけを見て、そこにひそむ苦悩を見ないのである。
平均人は、自分がすばらしい道具、卓効ある薬、未来ある国家、快適な権利にとり囲まれているのを見出す。
しかしながら彼らは、、それらの薬や道具を発明したり、その生産を将来も保証することがいかに困難であるかを知らない。
また、国家という組織がいかに不安定なものであるかに気づかず、自分のうちに責任を感じることもほとんどない。


66、大衆人は、自分の運命という確固不動の大地の上に足をふまえていない。
どちらかといえば宙に浮いた虚構の生を営んでいる。
重みもなければ根もないこうした生が、最も軽薄な風潮にもかつてないほど易々と引きずられてしまうのはこのせいである。

 

67、現代の技術は資本主義と実験科学との統合から生まれている。
しかし、あらゆる技術が科学的だというわけではない。
シェルレアン期に石の斧を作った人は科学を知らなかったが、それでも技術を創り出した。
中国は高度の技術水準に達したが、物理学の存在については少しも知らなかった。
ただヨーロッパの近代技術だけが科学的基盤を持っており、その基盤から、無限の進歩の可能性というヨーロッパの近代技術に特有な性格が生じている。
ヨーロッパ以外の技術は、メソポタミアにしろ、エジプト、ギリシア、ローマ、東洋にしろ、ある発展段階まで達するとそれ以上には出られず、その段階に達するやいなや後退を始め、みじめな退化を示し始める。

 

68、実験科学は16世紀の末に始まり(ガリレイ)、17世紀末に体系化され(ニュートン)、18世紀中葉から発展を始めた。

 

69、したがって、大衆人が自分だけで行動しようとすることは、自分自身の運命にさからう事である。
そして、今日の大衆が行っている事はまさにこれに他ならないので、私はここで大衆の反逆について論じているのである。
というのは、結局のところ、実質的に真に反逆と呼びうる唯一のものは、各人が自分の運命を受けいれないこと、自分自身に対して反逆することだからである。


70、死刑法がアメリカで生まれたのは全くの偶然ではない。
なぜなら、アメリカはある意味で大衆の天国だからだ。


71、国家という船は市民階級とは非常に違った人々、感嘆すべき勇気と支配力と責任感を持った人々、つまり貴族の手によって中世は建造された。
彼らがいなかったら、今日のヨーロッパ諸国家は存在していないだろう。
しかし、こうした諸々の精神的美徳を備えていたにもかかわらず、貴族には、その後も常にそうであるように知力が欠けていた。
彼らは頭脳ではなく心臓で生きていたのだ。
彼らは極めて貧弱な知性しか持たず、感傷的で、本能的で、直観的で、要するに「非合理的」であった。
だから、どうしても合理化を必要とする技術を何一つ発展させることができなかった。
彼らは、戦争の永遠の秘密が防御手段よりも攻撃手段にあることを思いつかなかったのである(この秘密はナポレオンが再発見する)。


72、国家とは一つの技術、社会的次元に属する統治の技術だから「旧体制」は18世紀末には極めて弱体な国家となり、広々とした革命的な社会によってあらゆる面から鞭うたれるに至った。
その当時の国家の力と社会の力との不均衡はあまりにも大きく、シャルマーニュの時代の状況と比べた場合、18世紀の国家は退化物のように見えるほどである。
もちろん、カロリンガ王朝時代の国家はルイ16世時代の国家よりもはるかに弱体だったが、その代わり、それを取り巻く社会にはなんらの力もなかったのである。
社会の力と社会的権力との間の非常に大きな差が、フランス革命や(1848年までの)度重なる革命を可能にしたのである。
しかし、フランス革命によって市民階級は社会的権力を掌握し、彼らの持っている否定しえない美徳の幾つかを国家に応用した。
そして、わずか1世代たらずで強力な国家をつくりあげ、一連の革命を根絶したのである。
1848年以来、つまり市民階級による支配の二世代目が始まって以来、ヨーロッパにおいては真の意味の革命は起きていない。
それは革命を起こす動機がなかったからではなく、その手段がなかったからだ。
社会的権力と社会の力が均衝したのである。
「革命よ永遠にさらばだ!」
もはやヨーロッパにおいては革命と反対のもの、つまりクーデターしか起こり得ないのである。


73、大衆人は国家を見て、国家に讃嘆する。
そして国家がそこにあり、自分の生活を保証してくれているのを知っている。
しかし彼は、国家が人間の創造物である、何人かの人々によって考えだされ、昨日までは人間のなかにあったある種の美徳や前提条件によって維持されており、明日には雲散霧消してしまうかもしれないという自覚は持っていない。


74、ユリウスやクラウディウス一族によって創られた帝国的国家が素晴らしい機械であり、装置としては、貴族によって構成されていた以前の国家よりも比較にならないほどすぐれていたことは確かである。
しかし、その帝国的国家が完全な発展段階に達するや、社会という組織体を衰退をもたらしたのだ。
富が減少し、女性の出産率が低下した。
そこで国家は、自己の窮状を救うために人間存在の官僚化を更に強化した。
この第二段階の官僚化が社会の軍隊化である。
国家が最も緊急に必要としたのはその戦闘用具、つまり軍隊であった。
国家とは、何よりもまず軍隊である。


75、社会はより良く生きるために一つの道具として国家を創った。
しかしすぐに国家が優位にたち、社会は国家のために生き始めなければならなくなった。
しかしそれでも、国家は依然としてその社会の人々によって構成されていた。
だが間もなく、国家を維持する為にそれらの人々では十分ではなくなり、初めにダルマチア人、後にはゲルマン人をというふうに外国人を呼ばねばならなくなった。
そして外国人が国家の支配者となり、社会の残りの人達、つまり本来の民族の人達は、彼らとはなんの関係もない人達である外国人の奴隷として生きなければならなかった。
国家の干渉がこうした結果に導いたのである。
以上のことを知っていると、ムッソリーニが典型的な気取りを見せて、「すべては国家のため。国家以外に何物もなく、国家に逆らう何物もなし」という公式を、たった今イタリアで行われた驚異的な発見であるかのように宣伝するのを聞くと、いささか困惑する。
ファシズムが典型的な大衆人の運動であることを見破るには、この事実だけで十分だろう。


76、この問題にふれたので、一つの社会的必要性に対して社会がどのように違った反応を示しうるかを指摘する必要がある。
1800年頃に、新しい産業が往来の人間よりも犯罪を犯しやすい一つの人間タイプ(産業労働者)を生み出し始めたとき、フランスは急いで強大な警察を作った。
1810年頃、イギリスでも同じ理由から犯罪が増加したが、イギリスはその時に自分達が警察を持たないのに気付いた。
当時は保守党が政権を握っていた。
彼らは何をしたろうか?
警察を作ったろうか?
そういうことは何もしなかった。
彼らは出来るかぎり犯罪を耐え忍ぶことを選んだのだ。

 

77、外面的変化のうちで最も重要なのは疑いもなく権力の位置転換であるが、これは、必然的に精神の位置転換をもたらす。
したがって、理解しようという気持ちを持ってある時代を眺める際に、我々が発する最初の質問の一つは「現に世界を支配しているのは誰か?」でなければならない。
しかしその時代に、人類がお互いに連絡のない幾つかの部分に分かれていて、それらが内部世界や独立した世界を形成していることもありうるだろう。
たとえばミルディアデスの時代には、地中海世界は極東世界の存在を知らなかった。
しかし16世紀以来、全人類は巨大な統一化の過程を歩み始め、その過程は我々の時代に至って終着点に達した。
もはや人類には他から離れて暮らしている部分はない。
人類の離れ小島はないのだ。
したがって16世紀以降、世界を支配している者は、実際に、その権威ある影響を世界全体に及ぼしていると言える。
過去300年間、ヨーロッパ人種によって形成されている同質的な集団が果たしてきた役割は、まさにそういうものであった。
ヨーロッパが支配し、世界はその統一的な支配のもとに単一の様式、あるいは少なくとも斬新的に単一化された様式によって生きていたのである。
この生の儀式は一般に「近代」と呼ばれている。

 

78、ナポレオンはスペインを侵略し、その侵略状態をしばらく維持したが、本当にスペインを支配した事はただの1日もなかった。
彼は権力を持っていたが、ほかでもなく権力しか持っていなかったが故に支配できなかったのだ。
我々は侵略という事実もしくは過程と、支配という状態を区別しなければならない。
支配とは権威の正常な行使である。
それは常に世論に基づくものであり、この事実は今日においても1万年前においても、またイギリス人の場合でもブッシュマンの場合でも変わりない。

 

79、世論が人間社会において支配という現象を生み出す根源的な力であることは、人間そのものと同じくらい古くから存在する不変の事実である。


80、世論がなければ歴史学すら成立しない。


81、そして支配とは、他の力を奪い取ろうとする態度ではなく、力を静かに行使することである。
要するに、支配とは坐ることである。
王座に、大官の椅子に、議会の大臣席に、大臣の安楽椅子に、そして司教座に坐ることだ。


82、ヨーロッパにおいて形成された最初の国家もしくは社会的権力は教会であり、それは独得な性格を持ち、すでに「精神的権力」の主体であった。
政治的権力はこの教会から、自分もまた本来は精神的権力にほかならず、ある種の理念が実効化されたものであることを学んだのであり、そうして神聖ローマ帝国が創りあげられた。


83、人類は意見によって生きるのであり、だからこそ、そこに秩序があるのだ。
我々は中世の向こう側にも、世界の一部しか支配しなかったとはいえ、とにかく近代と同じように支配する者のいた世界を見出す。
偉大なる支配者、ローマがそれである。
ローマは地中海とその隣接地域に秩序を打ち立てたのだ。
第一次世界大戦の今日この頃、ヨーロッパはもはや世界を支配していないと言われ始めている。
人々は、そうした判断の重要性に気がついているのだろうか?


84、「私は、厳密に言うと、これがAではなく、あれがBでないことを知っている。
しかし、それらがAでありBであると認めることによって、私が両者に対してとる現実の態度に関して、自分自身と折り合いをつけているのである」
このような理性の認識論を聞いたら、ギリシア人は不快な気分になっただろう。
というのは、ギリシア人は、理性つまり概念は、人間が日常的に使う一つの道具であり、生という無限にして極めて問題の多い現実のまっただなかで、人が自分自身の位置を明確に知るために必要とし、使用するものだと信じている。


85、私はたんに、今日の世界に起きていることは、要するに過去3世紀間、ヨーロッパは世界を支配してきたが、今やヨーロッパは支配することにも、また支配を続けることにも自信を持っていないということを言おうとしていたのである。


86、今日の世界が呈している光景は典型的に子供じみている。
学校では、誰かが先生が行ってしまったと言うと、子供達は踊り上がり、秩序を失ってしまう。
ひとりひとりの子供が、先生がいることからくる圧迫感を逃れ、規則という桎梏を投げ捨て、勝手に振る舞い、自分が自分の運命の主人になったと感じる喜びに浸れるのだ。


87、ヨーロッパは支配することを止めたと噂されている。
だが、その代わりをつとめるのが誰なのか分からないのである。
ここで言うヨーロッパとはとりわけ、そして正しくは、フランス、イギリス、ドイツの三位一体を意味している。
これらの三国が占める地球上の一画において人間存在の一つの尺度が成熟し、それに従って世界が組織されてきたのだ。
もし人々が噂しているように、これら三つの民族が没落しつつあり、その生のプログラムが効力を失ってしまったとしたら、世界が道徳的退廃に陥っているとしても不思議ではない。
そして、これは紛れもない真実なのである。
あらゆる人々が退廃しているのである。
しばらくの間はこの退廃も人々を楽しませ、なんとなく幻想さえ抱かせる。
下位の者は、自分達にかかっていた重みが取り除かれたように感じる。
そして命ずる人は、まさしく、うるさい存在なのだ。
世界中の下位の人達は、もはや負わされたり、任務を与えられたりすることに飽き飽きしており、うるさい掟から解放されたこの一時をお祭り気分で過ごしているのだ。
しかし、お祭りは長く続くものではない。


88、ヨーロッパが支配することを止めたとしても、それに代わりうる者がいれば問題ないだろう。
だが、そういう者の影さえないのだ。
ニューヨークもモスクワも、ヨーロッパと比べてなんら新しいものではない。
両者はヨーロッパ的掟の二つの小片であり、全体から離れたことで、その意義を失ってしまったのだ。
分かっているのは、ニューヨークについてもモスクワについても、決定的なことはまだ何も言われていないということだけである。


89、ロシアは、神聖ローマ帝国のドイツがローマ的であった程度に、近似的にマルクス主義的なのである。
新しい民族は理念を持っていない。
新しい民族は、古い文化が現に存在するか今まで存在していたような地域で成長するとき、古い文化が提供してくれる理念で身を包むのである。
ここにカムフラージュとその根拠がある。
私がしばしば指摘してきたように、人々は民族には二つの大きな発展の型があることを忘れている。
一方には、まったく文明のない「世界」に生まれる民族がある。
たとえばエジプト人や中国人の場合である。
こういう民族においては、全てが土着のものであり、彼らの動作は明確直截な意味を持っている。
しかし他方には、すでに古い歴史を持った文化に占領されている地域で生まれ、成長する民族がある。
たとえばローマの場合は、ギリシア・オリエント的な文化をいっぱいに吸い込んだ地中海の真ん中で成長している。
だからローマ人の動作の半分は彼ら自身のものではなく、他から学んだものである。


90、私は、スターリンマルキシズムがロシア史風に訳されているような本が現れるのを期待している。
というのは、スターリンマルキシズムの強味は、それが持つロシア的なものであって、コミュニスト的なものではないからである。
今後のことは分からない。
ただはっきり言えるのは、ロシアが支配権の獲得を志すにはまだ数世紀が必要だということだけである。
ロシアはまだ自己本来の掟を持たないが故に、マルクスのヨーロッパ的原理を支持する振りをしてきたのである。
若さがあり余っているので、そうした虚構で満足できたのだ。
青年は、生きるために理由を必要としない。
必要なのは口実だけである。
ニューヨークの場合もこれと非常に似ている。
アメリカが現在持っている力をアメリカが奉ずる掟に帰することは、やはり誤りである。
アメリカの力は、結局のところ技術に帰せられる。
これもまたヨーロッパの発明であり、アメリカの発明ではないのだ。
技術は18世紀および19世紀にヨーロッパで発明された。
それは丁度アメリカが誕生した時代である。
本来ならこう言うべきなのだ。
アメリカは他の全ての植民地と同じように、古い民族、特にヨーロッパ民族の継承者もしくは若返りであると。
アメリカの歴史は始まったばかりである。
アメリカの苦悩、難問、葛藤はこれから始まるのである。
アメリカはまだ苦しんだ経験がない。
したがって、支配者としての能力を持ちうるなどと考えることは夢にも等しいのである。

 

91、一般に言われているように、ヨーロッパは没落しつつあり、支配権を放棄し、退位するというのは確かなのだろうか?
この表面的な没落は、ヨーロッパが文字どおりヨーロッパになるのを可能にする幸いなる危機ではないのだろうか?
ヨーロッパ諸国民の歴然たる没落は、もしいつの日か、ヨーロッパ合衆国が可能となり、ヨーロッパの複数性その正式な統一にとって代わられる日がくれば、どうしても必要なのではないだろうか?


92、しかし、スペイン人が行ったのはこの逆のことである。
スペイン人は自己の内面意識が拒絶している者による支配に反抗する代わりに、その第一の不正に適応するため、自己の全存在を偽造する道を選んだのだ。
わが国にこうした状態が続くかぎり、スペイン民族に何かを期待するのは無駄である。


93、エゴイズムとは迷路である。
それは自らを閉ざすのだ。
生きるとは何かに向かって放たれていること、一つの目標に向かって歩むことである。


94、第一次世界大戦後、ヨーロッパ人は自己の内部に閉じこもってしまい、自分の為にも他人の為にもする仕事を持たなくなってしまった。
だから、我々は歴史的には10年前と同じ状態を続けているのである。


95、もしヨーロッパによる支配に変わって、地球の進むべき道を示しうる他の民族集団が今日存在していれば、ヨーロッパの支配が終わりを告げることなどなんら問題ではない。


96、今日のドイツ、イギリス、フランスの経済にとっての致命的な障壁とは、それぞれの国家の政治的国境のことである。
したがって真の難関は、この問題とあの問題といった特定の経済問題にあるのではなく、経済能力がそのなかで活動しなければならない社会生活の形態が、その能力の大きさにそぐわないところにある。


97、たとえば議会などについて、四六時中愚劣な話を聞かされるのはもうご免こうむりたい。


98、したがって、議会を「よりいっそう」効果的にするための、根本的な改革の可能性とそれが急務であるということと、議会そのものを無用だと宣言することとを混同してはならない。


99、確かに我々は、発掘や考古学的研究のおかげで、アテネやローマが存在する以前にアテネやローマの地にあったことの幾らかを知っている。
しかし、完全に農耕的であって特別な性格を持たない歴史以前の状態から、両半島の大地がもたらした新種の実である都市の萌芽への移行過程は神秘に包まれたままである。
そればかりでなく、そうした前史的民族とこれらの不思議な共同体との人種的関連さえ明らかになっていないのだ。
しかもこの共同体こそ、公共広場を作り、その周囲に原野に対して閉ざされた都市を建設することで、人間の生のレパートリーに一大革新をもたらしたのだ。


100、アジアやアフリカの偉大なる文明は、人間の形をした植物だと言えるだろう。
しかしギリシア・ローマの人間は原野から、「自然」から、地質・植物的な宇宙から分離する決心をしたのだ。
だからソクラテスは、都市から滲み出る液を吸いつくしたあの偉大な都会人は、「私は原野の樹木とは何の関係もない。
私と関係があるのは年の人間だけだ」というようになる。
インド人、ペルシア人、中国人、エジプト人は、こういうことを全く知らなかったのではなかろうか?


101、アレクサンダー大王とシーザーに至るまでのギリシアとローマの歴史は、そうした二つの空間、つまり合理的な都市と植物的な原野、法律家と農夫、法と農の絶えざる争闘であった。
古代ギリシア・ローマの住民たちは、稀にみる根強さで、彼らの記憶の最も深い基底層にシノイキスモスの記憶をとどめているのだ。
我々は原典を求める必要はない。
この言葉を翻訳するだけで十分である。
シノイキスモスとは、一緒に住むことについての合意、したがって、物理的および法的の二重の意味で集会である。
原野に植物のようにばらまかれていた状態の後に、都市における市民の集中が起こったのだ。
このようにして、都市はやがて国家として生まれてくる。
ある意味で、地中海沿岸の全地域は、こうした国家形態への自発的な傾向を常に示してきた。
程度の差はあれ、アフリカ北部(カルタゴは都市の意味である)も全く同じ現象を繰り返した。
イタリアは19世紀まで都市国家形態からは抜け出せなかったし、わがスペインの地中海沿岸地方も機会があれば分離主義に走るが、これもまたあの千年にわたる傾向が残した癖である。


102、たとえば言語をとってもよい。
もともと国家は、様々な血と言語の混合の上に成り立つ。
つまり、国家はあらゆる自然社会の超克であり、混血的で多言語的なものである。


103、国家の創造は、いくつかの民族の知性が、共存の一形式である伝統的な共同形態を捨てさるだけでなく、いまだかつて存在しなかった新しい共存形態を想像することができなければ達成しえない。
したがってそれは、真の意味での創造行為である。
国家はまず、完全に想像力の産物として存在を始めるのである。


104、いわゆる明晰な頭脳と呼べる人物は、多分、古代世界全体を通じても2人しかいなかった。
それはテミストクレスとシーザーで、ともに政治家である。
もちろん、ギリシアとローマには、多くの事柄について明晰な思想を持った人々(哲学者、数学者、自然科学者)がいた。
しかし彼らの明晰さは学問的次元における明晰さ、つまり抽象的な事柄に対する明晰さであった。


105、つまり、生きるということは自分を迷える者と自覚することだ。


106、デモクラシーの健全さは、その形態や段階がどのようなものであれ、選挙手続きという技術的瑣事にかかっている。
それ以外は全て二次的なものである。
ローマは紀元1世紀の初頭には全能で、豊かで、無敵であった。
しかしながら、愚劣な選挙制度固執していたため、まさに死滅寸前だったのだ。


107、だから、我々がシーザーの政治を知ろうと望むなら、彼の諸々の行為を取り上げ、それに名称を与える他に方法はない。
シーザーの秘密は、彼の最大の偉業であるガリア地方の征服にある。
彼はその偉業を成し遂げる為に既成の権力に反逆しなければならなかった。
それはなぜか?
当時の権力を構成していたのは共和主義者、つまり都市国家に忠実な人々、保守主義者であった。
彼らの政策は二点に要約できる。
第一は、ローマの社会生活の混乱はそれが過度に膨張したことに由来している。
都市が、かくも多くの国民を支配することは出来ない。
したがって、今後行われる征服は全て共和国に対する罪とする。
第二は、制度の崩壊を避けるためには「元首」が必要である、ということであった。


108、シーザーの解決策は保守主義者のそれとは反対であった。
特に、新しい民族を征服することが急務だと考えていた。
そうした民族が近い将来、堕落した近東諸国よりもより危険になる事を見抜いていたからだ。
彼らは、しっかりと過去に根をおろしていた。
シーザーが目論んでいたのは、彼はローマによってではなく、その周辺の諸州によって生きるローマ帝国の建設を目指していたのだ。
つまりそれは、この上なく多種多様な民族が協力し、全ての要素が国家の受動的主体であると同時に能動的主体でもあるような巨大な社会構成体である。


109、国家とは、何よりもまず一つの行為の計画であり、協同作業のプログラムである。
それはダイナミズムそのものである。


110、国境の「自然性」は、実はその時代の経済的、軍事的手段によって決められるのである。


111、我々には、自分達の国家がそのなかで生き続けられるような未来が望ましいと思えるのだ。
だからこそ、我々は国家を防衛しようと立ち上がるのであり、血を守る為でも、言語を守る為でも、共通の法を守る為でもない。
我々が国家を防衛することによって守るのは、我々の明日であって我々の昨日ではない。


112、スペインは中南米と共通の過去、共通の種族、共通の言語を持っているが、それにもかかわらず、彼らと一つの国民国家を形成してはいない。
なぜだろうか?
それはたった一つのこと、しかも基本的だと思われる事が一つ欠けているからだ。
つまり共通の未来である。


113、我々はヨーロッパに、ペルシア帝国やアレクサンダー大王アウグストゥス皇帝の帝国のような大規模な帝国が存在しえなかった事実をもっと不思議に思うべきである。
ヨーロッパにおける国民国家の形成は、常に次のようなリズムに従って行われてきた。
第一段階。
国家とは諸民族を一つの政治的・精神的共同体に融合することだと考える西欧人特有の本能が、地理的、人種的、言語的に最も近い集団の上に作用し始める。
第二段階。
内部強化の時代であり、新国家の外にいる他民族は異邦人で、多かれ少なかれ敵であるとみなす。
要するに今日我々がナショナリズムと呼んでいるものである。
しかし、政治的には他民族を異邦人、競争相手と感じながらも、現実には経済的、知的、精神的に彼らと共存している。
第三段階。
国家は完全な国内統合を達成する。
そこで、昨日までは彼らの敵であった民族と一緒になるという新しい事業が現れる。
ここにおいて、新しい国民的理念が成熟するのである。


114、11世紀に存在していたその概念にいかに多くの実体を与えようとしても、ギリシアという概念が紀元前4世紀のギリシア人に対して持っていた、あの力強さと明確さにさえ及ばないのを認める事になるだろう。


115、そしてヨーロッパとは、それらの国々がルネサンス以来活動を続けてきた場所の統一風景のことである。
このヨーロッパ的な風景を構成しているのは西欧諸国民国家そのものであり、彼らはそれと気付かないながらも、すでにその戦闘的な複数性を取り去ろうとし始めている。
フランス、イギリス、スペイン、イタリア、ドイツは、互いに戦ったり、同盟を結んで対立したり、同盟を解消したり、また再び結び直したりしている。
しかしそのすべては、戦争も平和も、同等な立場の共存であり、それはローマが平和な時でも戦争の時でも、セルティベロ人とも、ガリア人、ブリテン人ゲルマン人とも成し得なかった事である。


116、今日もし我々が、我々の精神内容(意見、規範、願望、想像)の決算書を作ったとすれば、それらの大部分がフランス人の場合はフランスから、スペイン人の場合はスペインからもたらされたのではなく、ヨーロッパという共通の背景から来ている事に気づくだろう。


117、すなわち世界は今日、重大なる道徳的退廃に陥っている。
そしてこの退廃は様々な兆候の中でも特に、途方もない大衆の反逆によって明らかに示されており、その起源はヨーロッパの道徳的退廃のなかにある。
ヨーロッパの退廃には多くの原因があるが、その主要な原因の一つは、かつてヨーロッパ大陸が自己およびその他の世界の上に及ぼしていた権力が移動したことである。
つまり、ヨーロッパは自分が支配しているかどうかに確信が持てず、その他の世界は自分が支配されているかどうかに確信が持てないのである。
要するに、歴史的至上権が崩壊したのである。
もはや「絶頂の時代」はない。
というのは、そうした時代は19世紀がそうであったように、明確で、前もって定められた、疑う余地のない未来が前提とされていなければならないからである。
19世紀においては、人々は明日何が起こるかを知っていると信じこんでいた。
しかし今日では、地平線は再び新しい未知の世界に向かって開かれているのだ。
というのは、誰が支配するのか、その権力は世界にどういう影響を及ぼすのかが分からないからである。
誰がというのは、つまりいかなる民族もしくは民族集団、したがって人種が、つまりいかなるイデオロギー、いかなる傾向、いかなる規範、いかなる生命衝動の体系が支配するかということである。


118、ヨーロッパ人は、自分が一つの大きな統一的事業のなかに投げこまれているときでないと、どう生きていいのか分からない。
そうした事業がない場合は卑俗化し、無気力となり、魂が抜けてしまう。
今日我々の目前に見られるのは、まさにこの状態なのだ。
今まで諸国民と呼ばれてきたサークルは、1世紀ほど前に増大の限度に達してしまった。
もはやその区画を乗り越える他ない。


119、ある人々はすでに老衰した原理を極端に、しかも人為的に強化することで現状を救おうとしている。
これが現今の「ナショナリズム」的爆発の意味である。
繰り返しておくが、いつの時代でも常にこうであった。
最後の炎は最も長く、最後のため息は最も深い。

 

120、私はヨーロッパを大国民国家として建設することだけが、ソビエト政府の「五か年計画」の勝利に対抗できる唯一の事業だと考えている。
政治経済の専門家は、「五か年計画」が成功する可能性は極めて少ないと保証している。
しかし反共産主義陣営が、全てを敵側の物質的困難に待つとしたら、それはあまりにも卑劣ではなかろうか。
これでは、共産主義の失敗は世界の敗北、つまりあらゆる人間のそしてあらゆるものの、すなわち今日の人間の敗北を意味することになるだろう。
共産主義は一つの常軌を逸した「モラル」らしきものである。
そうしたスラヴ的モラルに対して、新しい生の計画の高揚という西欧の新しいモラルを対置したほうが、より立派であり、より実り多いことだと考えられないだろうか?
問題は、今やヨーロッパにモラルが存在しなくなったということである。
それは大衆人の生の中心がほかでもなく、いかなるモラルにも束縛されずに生きたいという願望にあるからである。
人々が「新しい」モラルを口にする時、それは単に一つの不道徳行為を犯しているのであり、密輸入の為の最も快適な方法を捜しているにすぎないのである。


121、このあらゆる義務からの逃避という事実は、我々の時代に一種の「青年」主義が形成されるに至ったという、ばかげてもいれば恥ずかしくもある現象を部分的に説明している。