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吉本隆明 『僕なら言うぞ! 世紀末ニッポンの正しい眺め方、つきあい方』を読んで。

(この本は1999年に書かれました。 吉本隆明氏は思想家です。 娘が作家の”よしもとばなな”です)


<これは名著です>


1、つまり学生さんは、ある意味で自由な、普遍的な視野と立場を持てるということでしょう。
ところが就職しちゃうと必ず、職業の場所、社会の中のある決まった位置にはめこまれるわけです。
学生さんから社会人というのは、普遍的な、全般的な視野を持てるところから、とにかく局所に、社会の局部にはめこまれた、職業人としての狭い視野に変わっていってしまう。
こういうことは、誰にとってもやむをえない。
そういう必然的な流れだと思うんです。


2、政府の不況脱出策が今のように間違っているかぎり、不況からは脱出できない。
今の政府の不況対策は古い資本主義時代の対策で、金融機関や企業体を安定化して、それによって国民の雇用を整えようとしています。
現在の超(消費)資本主義では、逆でなければなりません。
まず、個人消費を増大させるためにも、国民の生活を安定化させることが先です。
その結果として、次に金融機関や(第三次)産業を安定化させる、そういう方策でなくてはならないはずです。
政治家はみな古い夢を見ているんですよ。


3、よく清貧の思想を国民大衆に説いたり、贅沢は敵だなどという政治運動家や政治家がいますが、それは間違った大嘘です。
普通の民衆が自由に振る舞い、欲しいものを手に入れ、贅沢もできるというようになったら、もう歴史なんて要らないのだと思います。
知識や理念や宗教を持っていることは、それ自体が富ですから、そういう人たちが言う清貧の思想などそれ自体が嘘です。


4、政府の無能さと「不況」対策の誤りについては、一介の存野の物書きが何を言っても致し方がないことで、ただ罵倒し、捨て台詞を浴びせるより他ないでしょう。
ただ、何が間違いかは指摘しておいた方がいいと思います。
第1は「不況」対策は一般の国民の個人消費の増加を第一義に考えること。
第2に金融機関、企業体の改廃と整理はサラリーマン、労働者、国民一般の生活防衛を第一義として考え、首脳、幹部、役員の「リストラ」を主要な目標とすること。
第3に「不況」対策は第三次産業の救済を第一義とすること。
まず金融機関や企業体を健全に整えて、それによってはじめて勤めている人、勤めたい人に職を安定供給できるという考え方は、古い資本主義での常識です。
超(消費)資本主義に移りつつある先進国では、国民総生産のうち一番大きな割合を占めているのは個人消費だということは、データを見れば明らかです。
また同じく、第三次の消費産業に60%から70%の人が勤めていることも、データ上はっきりしています。


5、今、アメリカが日本の経済に要求していることは、むき出しに言ってしまえば二つあって、一つは、不況から速やかに脱出しろ、ということ。
もう一つは、金融機関をはじめ、企業体も含めて、整理と改廃をしろ、潰すところは潰せ、助けるところは助けろ、無能な首脳は「リストラ」しろということ。
この二つです。
なぜ要求するかというのは自明のことで、日本経済は、世界経済の3分の1を受け持っているだけの規模がありますし、柱になってますから、これが本当に危なくなったら、世界経済全体が危なくなるからです。
これはアメリカが要求してることでもありますし、G7が要求してることでもあります。


6、呑気でぼやっとしている奴は、僕らに言わせれば駄目な奴なんです。
経済専門家で、第3の開国だ、とか言ってる人がいますが、冗談じゃないよ、第2の敗戦ですよ、今はね。


7、いずれにしても、日本の近代資本主義革命の基礎をなしたのは明治6年の地租改正で、これをやったのはお雇い外国人の金融・経済専門家なんです。


8、現代革命というのは何かと言ったら、資本主義革命であり、それは戦後の農地改革です。
農地改革って何かと言ったら、大地主の農地を削ってしまえ、と言って取っちゃったわけですよ。
それで小作農に土地を与えて彼らを自作農にしました。


9、経済専門家の愚図さも論外です。
不況をどうやって脱するか、見識を示してくれと言っても、何にも言わないでおとなしくしてる。
「第3の開国の時期なんだ」などと寝ぼけたことばっかり言っています。
でも、現在のような大不況時に見識を示し、何か提案できなければ、生涯のいちばん重要な時期に専門家として沈黙していることになるわけで、死んだも同然ですよ。
それを言えないのは、器量と見識がないからです。
不況から速やかに脱する方法はただ一つです。
世界経済の規模で考えて、日本経済の不況をどう脱却するかといったら、それは、国民一般の個人消費を増大させることを第一義とする直接法をとることです。


10、僕にはこれで従業員を「リストラ」したことに意味が生ずるのかどうかが、どうしても分かりません。
僕はいつもそれが疑問で「リストラ」というのはただの名目ではないかと疑いを持っています。
こんなものは重役の一人、二人が退職金を遠慮すれば済む額ではないですか。


11、本当は、アメリカの要求してることはそんなことではないはずです。
何もサラリーマンを「リストラ」しろとは言ってない。
無能な首脳部を「リストラ」しろと言ってるんです。
それから、駄目な銀行は潰しちゃえ、助かりそうな銀行だけ助けろ。
そして、不況から速やかに脱しろということです。
こんなものは政府に変革する度胸さえあれば出来ることです。


12、こんなことを言っている間にも、テレビ報道は失業率が4.8%にハネ上がったこと、小渕首相がアメリカで、経済を立て直すには、失業率4.8%くらいの犠牲はやむを得ないと発言したことを、淡々と流している。
こんな時代遅れの政治家を許容していることに、呆れはてます。


13、とはいえ、国民の上に立つ彼ら政府や政党などに、いい気になってもらっては困ります。
知識人もそうです。
よく知識人などが選挙に当選すると、「おめでとう」とか言って、万歳、万歳とやっているでしょう。
何がおめでたいもんですか。
当選したなら死ぬ気で政治をやれ、国民大衆のことを忘れるなと言いたいですね。


14、具体的に言えば、太宰治みたいな小説が書ける作家が不況を切り抜ける過程で出てきたら、文学への望みは無くならないと思います。


15、結局、こういう時代にしてしまったのですから、誰がどう考えたって今の「リストラ」失業の本当の責任は、政治・金融産業の首脳たちの無能、失敗、ヘマにあります。
つまり、「リストラ」されたものには何の落ち度も無い。
自分を責める必要はないわけです。
顔をあて、胸をはり、目をしっかり見開いて、現実社会の有り様を見据えて、土台となる手段を前向きに探すべきだと思います。

 

16、また老齢年金の支給額は余りに少ない。
平均でいって、老齢者が夫婦2人でそこそこに生活でき、足腰が不自由になった場合、炊事や掃除の人を雇うくらいはできる額があれば一応は理想的です。
僕だったら、この二つがとても重要なことだと思います。
つまり、雇用の延長、70歳から75歳まで定年を延ばせということと、年金の増額、少なくとも、誰でも贅沢を言わなければ、一応は食べられるように、物価にスライドした年金が月々払われるようにすることです。


17、高度な消費資本主義ということは、銀行家、企業体の首脳資本家が益々有利になる社会のことではなく、国民一般の個人消費が増大し、第一義の社会になるということです。
勘違いしては困ります。


18、公務員の場合には、遅れず、休まず、仕事をしているふりをしていれば、社会保険なんかの年金なんかより、ずっといい恩給がつくわけです。
年棒制、契約制がそんなにいいものだとは、僕にはとても思えませんね。


19、アメリカはビシッとした、道理に合ったまともな事を言ってますよ。
現在要求されている金融、産業、その他の改革は、ロシア・マルクス主義の誤謬から抜けきらない政党や知識人や、ロシア・マルクス主義のシンパから抜けきらない戦後市民主義者は、社会主義への移行のように錯覚しているのでしょうが、そうではないんです。
超(消費)資本主義に即応する金融産業構造への、改廃を含む転換です。


20、政府は不況対策として不良債権をかかえた金融機関にも公共資金(税金)で援助し、国民一般には「リストラ」を喰わせて、不況から脱しようなどとしています。
こんなひどい話はありません。
これで易々諸々としているのは日本人だけです。


21、ただ、強いてどれが自然かといったら、今だったら、そういう様々な形態で、結婚したけど離婚して、また違う人と結婚して、それを何回もやったというパターンが一方にあります。
また他方では一夫一妻制を守っているようだけど本当は双方が我慢に我慢を重ねて耐えている人達も沢山います。
どれが自然かといえば、何回も相手を取っかえたとか、浮気したとか、援助交際で時々インチキしてとか、つまり一夫一妻制というのは守り難いというところが、現在の日本の社会様態では自然だと思うんです。


22、一夫一妻制を通した人は、本当には性ってものを分からないで過ぎちゃうかもしれないです。
だけど、思う存分に放蕩したっていう連中は、少なくとも、それだけは分かったって言えるかもしれません。
他にはいいことなんてないです、これは一夫一妻制の人も同じで、えてして、一夫一妻制の人は今でも多数ですから、いいと思われてるかもしれないけど、それは道徳の先生が言うことで、そんなの嘘だよって言うのはすぐに分かります。
そういう人はちゃんと辛抱してるんです。


23、今は僕らの頃より便利なところは、さぼるの専門の大学と、勉強専門の大学があって、例えば東京でいえば、いちおう東京大学早稲田大学というのは、まあ、勉強が割に好きな、優等生みたいな人が入るんだろうと思ったりする。
後のところはそうでもないんじゃないかと思うわけです。
(僕は東大・理一でしたが、確かに勉強は好きでした。
ただ自分を優等生などとは一度も思った事はありません)


24、自分で学び、自分で見つけてやることだけが、本当の勉強です。
大学は必ずしも勉強を教わるところではありません。


25、しかも、都市の中でも昔ながらの製造業をやっているところと、最先端をいくハイテク都市になっているところとの開きも出来ているから、格差が尚更おおきく見えてしまうということは言えるんじゃないでしょうか。

 

26、世代感覚で言えば、前の時代に育った人と後の時代に育った人の落差のほうが、都市と農村を対比させてみるよりも、もっと大きくなっているんじゃないでしょうか。
残業の落差、そこから起こる人間関係の落差自体が、世代の落差に呑み込まれてしまう。


27、今、日本の産業でいえば、農業人口は7%ぐらい、東京の農家は人口0.2%ぐらいと思います。
だから、ゆくゆくは他のところもそうなる可能性があるわけです。
どのくらいの時間がかかるかは別として、地方もみんなそうなっていく。
農業はなくなっちゃいます。


28、文明はそういうふうにいくか、そうでなくて、19世紀にマルクスが言ったように、世界同時革命で、同時にひっくり返して再編成する以上に、平等なやり方はないわけです。
マルクス主義の試みが現実性が無くなった現在では贈与による平等化を考えて、産業分担するという方法は一考に値します。
日本のことを考えても、東京と同じようなところまで、農業、漁業は少なくなるという風に思った方がいいわけです。
いま農業は、日本は7%ぐらいで、イギリスとアメリカは2%ぐらいです。


29、現に先進地域から後進地域に貸与された資金は、回収不可能になっている部分も多いので、実質上贈与と同じ事になっています。


30、まあどんな人でも肉ぐらい食べられるという風になっています。
そういう意味での格差の縮まりという事もあるでしょう。
そうなった時に、一体なんの為に生きているんだとか、生きてるかぎりどうすればいいんだとか、そういう事を考える必要なんかないと思うようになった。
目標自体が浮遊し始めています。


31、だから、思考が止まるから野蛮だという意味ではなくて、ただ、それが特色なんですね。
日本をはじめ東洋はみなそうですけど、長いこと、それこそ何千年も農業ばかりやってきたでしょう。
農業をやるには道具として、鍬ぐらいあれば間に合っちゃうわけだから、そういうところで工業とか製造業が発達するはずがないんですよ。


32、だから、ヨーロッパの方が発達して、日本とか東洋は遅れているんだ、と考えると間違っちゃうところはあります。
文明開化についてはその通りで、ヨーロッパにはとても及ばない工業や産業の発達の遅れがあり、その点については模擬し、追従するほかありません。
けれど文明開化が人類歴史の全体的なモチーフと考えると間違うかもしれません。
そうではなくて、質が違うんだと言った方がいい面があります。
近代・現代の文明開化はヨーロッパが先遺の役を果たしたが、現代以後も歴史はそうなるかどうかは、まだ誰も知らないところです。


33、でも、アフリカ人もアジア人も、もちろん日本人だって、感覚的なことを日常の調度品とか道具にまで及ぼして、美的に考えるということだったら、ヨーロッパ人より断然すごいと思いますよ。


34、流行になっていったり、世論になっていったりというのは、精神の中で脳が支配する感覚の部分だけが、情報機器の発達で変わっていくにすぎません。
これからも発達して尚更変わっていきますし、それは止めることはできない。
でも、精神の中で脳が第一義の役割をしている感覚は変わっていきますが、脳は心の発達に対しては第一義でないのです。


35、情報に遅れるんじゃないか、感覚器官がついていけないという事が第一義になって、世論がこうだから俺もこうだ、と考える場合は脳ですね。
だけど、内臓が痛くなった、胃が痛くなったというのは、世論とかではなくて、自分の内臓に何か異常とか歪みが生じたということが第1番目の原因なんですよ。
情報科学者とか、情報産業の人はそう言わないんですよ。
こういう情報に遅れたら人間の精神は駄目だぞ、みたいに言うんですね。
それは大間違いなんです。


36、変わるとしても感覚を介して第二義的な影響を与えるだけです。
人間の精神内容のうち大脳が第二義的にしか介入しない心とか魂とか呼ばれているものは、ギリシャ、ローマ時代から変わらない。
影響は与えるでしょうけど、間接的だということなんです。


37、心っていうのは、部分的に言うと、植物神経を原則として変わっていく部分と、動物神経、人間的神経で変わっていく部分と、両方にあるわけです。


38、北朝鮮を当面の仮想敵国と考えたと想定します。
僕は戦争は今の情勢ではあり得ないと思っています。
戦争というのは、弾を撃ち込んだとか、ミサイルが上空を飛び越していったとか、誤って日本の国土に落ちたとかそういう脅しや事故みたいなことを何回やったとか、あるいは脅しだけのつもりだったのが、偶然に日本国内に落っこちて犠牲者が出た、という事があったとします。
そういう事がいかに重なっても、戦争にはならないと思っています。

(僕は、北朝鮮が撃ったミサイルが日本国土に落ちた場合、戦争になると思っています)


39、だから僕らのような国民一般が、これはどうしても戦争になると判断する機会はただ一つだと思った方がいいです。
それは国家と国家がかねてから仲が悪かったか、片方の国が力にまかせて、もう一方の国が経済封鎖や資源封鎖や軍事封鎖によって存立できないほど追い詰められて、これ以上圧迫されたら主権国家として解体されると判断されるようになったときです。
政治家とか、政党とか馬鹿な識者、知識人、報道機関を含めて、国民の不安をかき立てるような言論を吐いても、惑わされないでください。
落ち着いて、感情に走らないでください。
僕は自分の戦争体験と実感からそう確信しています。

(この本は1999年に書かれたものです。39を中国に当てはめてもいい訳です。

尖閣諸島を巡って、日中は局地的な戦闘に発展する可能性はゼロではありません。

ただし、全面戦争はあり得ません)


40、もし万が一、どこかの国が攻めてきて日本国内をめちゃくちゃに荒らして、人も殺すし、悪いこともするし、というような事が起こったらどうするんだ、平和主義者のお前はどうするんだって言ったら、その時は個人の喧嘩と同じで何でもするさって、僕はそうですね。
別に自衛隊がやる、やらないは関係ない。
やりたい奴だけやればいいじゃないかって事です。
部分的に戦うっていう事かもしれないし、これは個人の喧嘩と似ているんじゃないでしょうか。

(僕は、この事を、以前、ブログに記しています。

僕は、日本が侵略されたら戦います。

僕は、国際政治学者の三浦瑠麗(東京大学政策ビジョン研究センター講師)さんが

唱える、徴兵制度の復活に賛成です。

しかし、僕が考えている徴兵制は、三浦さんのとは、だいぶ違います。

僕が考える徴兵制は志願兵のみです。

なので吉本さんの考えと、そこは同じです。

戦う意欲も無い人間を徴集したって意味がありませんから。

少なくとも、2年に1度ぐらいは訓練が必要。

小銃ぐらい撃てなくて、どうやって戦うんですか。

僕は自衛隊の後方支援”実際は後方も前方もありませんが”をしたいと思っています。

だから吉本さんの方が遥かに勇敢だという事です。

なぜなら、この本を書いてた頃は、吉本さんには妻も子供も孫もいたでしょう。

それでも戦うと言っているんです。

自衛隊に関係なくと言っているので、僕の100倍、勇敢(正義感)です。

ちなみに僕は平和主義者ではありません。 かなり右です)

 

41、だけど、どうして平和主義に色々あるか。
それは、社民党共産党も、じゃあ平和じゃなくなったら、戦争になったらどうするかっていうと、その時は逃げると言うでしょうね。
彼等はたいていそうだと思いますよ。
だけど、本当の平和主義というのは、それでもやってきて乱暴をはたらいたとか、何もしない同胞を殺したとか、悪い事ばかりしている奴を目の前に見ていたら、それなら逃げないよ、戦うかもしれないよっていうことだと思います。
僕の平和主義はそうですね。
だから、平和主義でもそこから分かれちゃうんです。
僕はただ逃げる平和主義とは違います。
目の前でやられても黙って見ているなんて事はしない。


42、しかし、マルクスそのものはそうじゃないんです。
マルクスは階級という事を言う人だから、戦争が起こったら弱い国家に味方しろって言ってるんです。
自国の労働者階級は、どっちが弱いか分からないけど、相手が弱かったら相手の方に加勢しろと言っている。
つまり、強い方に加勢するな、という考え方です。
これは初期の、マルクス時代の戦争論です。


43、これは逃げの一手で、僕と同年代の三島由紀夫さんでも、友達の村上一郎さんでも、みんなそうならなかったんですよ。
そこまで俺は逃げないぞ、逃げられないぞって、村上さんは自殺しちゃいましたし、三島さんも自殺しちゃったんですね。
それ以上逃げるのは耐えがたいという事だったんだと思うんです。


44、2、3年前に亡くなったフランスの哲学者のガタリっていう人が日本に来た時に、日本の資本主義は素晴らしいと感心した。
どうしてかというと、茶の湯、生け花みたいな古い伝統的な遊芸を残しながら、とても高度なハイテク資本主義社会、産業を形成している。
古いものと最先端の両方を併せ持っている日本の社会は素晴らしいと言ってました。


45、心の発達というのはどういう事かと言ったら、変化しにくい伝統を掘り下げられるという事です。
今までは平安朝ぐらいまでの事しか分からなかったけれども、奈良朝の日本人の心がどうだったかという事が分かるようになったとか、そういうことです。
奈良朝よりももっと先の縄文、弥生時代の日本人の心はこうだったという事が、石器なんかを追究しているうちに分かるようになりだす。
それが心が発達する、ということです。
これは先に行く事ではなくて、どんどん遡っていく事なんですね。
遡って根拠が分かっていく事が、心の発達という事だと思うんです。
片方は前向きに発達されるのが進歩的なのだと言うより仕方がないですね。


46、要するに、視野の幅が広がったという事を進歩的と言うのであって、例えば資本主義だってそんなにいいもんじゃないっていうのが、分かってきたと。
それが進歩という事なんですね。


47、琉球、沖縄語と日本語というのは、言語学者の計算では、7、8千年前にいけば、同じ言葉に行きつく。
それは日本語とも違うし、琉球語とも違う。
でも日本語の源なんですね。

 

(そういえば、マルクスの「資本論」、開成高時代に読んでいるのですが、僕はこの自宅マンションに引っ越してきてから、幾つもあるダンボールを開けてないんです。

そのダンボールの上にクローゼット・ボックスを2段置いているので、探すのも面倒だし、一体、どのダンボールに本が入っているのかも分かりません汗

その本ですが、作家の村上龍さんの本や、元京大教授の国際政治学者の故・高坂教授の本が入っているんです。

マルクスの「資本論」も、そこに入っているので、探すのは、あまりに手がかかるので、Amazonの中古で、また買ってみます。

なぜなら、ぼやっとしか内容を覚えていないからです。

また、読みたい。

僕はね、…資本主義の時代は、もう限界に達していると考えています。

自由民主主義的なるものを専門家が唱えてくれないと、僕が考えたって仕方がない。

だからこそ、基本となるマルクスの「資本論」を、もう一度読みたいんです。

あのね、誤解している人が大勢いますが、レーニンやスターリンがやった事はマルクス主義ではありませんよ。

ただの圧政です)