思想家の西部邁 『死生論』を読んで。

(この本は平成6年に書かれたものです)


<僕は、この本を読んだ事を忘れていた。
その時の僕の心に響かなかったから、捨ててしまった。
今、改めて、この本を読んで、”僕の死への思考”が
だいぶ整理された。
”僕の死への思考”の答えが、この本に書かれていたからである。
なので、”僕の死への思考”は、少しは楽になった。
しかし、”死への思考”は死ぬまで消える事は無い。
それが今、生きている人すべてに言える事だと思う。
そして、それにもかかわらず、…母親を強盗に殺害された僕の心の中には常に”死の誘惑”が在る>

 


1、しかし、抽象的な観念としては、死が自分に迫っているのを私は感じている。
人間には抽象的なものの存在を、考えるだけでなく、感じる性向も能力もあるのである。
自分の感覚や思考が死とともに途切れるという事について感じたり考えたりするのは、当初はどちらかというと不快な作業である。
ところが、食事において苦味が美味に転じる年頃があるのに似て、昔は天命を知るといわれていた年配になると、死についての感覚や思考こそが自分の生を支えてくれているのだと了解できるようになる。


2、死体を気味悪いものとみなしたのは、昼間に見た死体がやはり醜悪であったからであろう。
首吊りの死体からは、鼻汁や小便が垂れ流されていた。
ただ墓場の事で忘れられないのは、「焼場」からときおり茶色っぽい煙が立ちのぼっていたことである。
自分の家とは千メートルぐらい離れていたのだろうが、風向きによってその煙がこちらに流れてくると、鼻をつく異臭で、死体とはたいへん嫌な臭いを発するものだとわからされた。


3、そのときの涙の出る感じは少々不思議なもので、「祖母が死んで悲しい」というような気持ちはなかった。
まして18歳であるから、どこかニヒルな気分になる年頃で、激しく生きるのでなければ死んだほうがましだという気持ちで生きていたので、長い間会っていない祖母の死顔を見ても多分何の感動もないだろうと想像していた。
それにもかかわらず、祖母の死顔を目の当たりにするや妙に沈んだ気持ちになり、涙腺がかすかに緩んで、涙が数滴流れた。
悲しくもないのになぜ涙が出てくるのか、と不思議に感じたものだった。
あれは精神が悲しいというよりも、肉体の奥底の次元において死への共鳴のようなものが起こり、頭のほうは冷たいにもかかわらず、体のほうが熱するというような出来事だったのであろう。


4、私が左翼政治にたちどころに見切りをつけた理由はいくつもある。
私にも少々の分析力と判断力があるので、遅ればせに学習をはじめるやいなや、理論的に考えてマルクス主義というものには納得できないという想いが膨らんでいた。
しかしそれ以上に、自分の確信のもてない行動のなかで、デモや戦闘で死ぬのならばともかく、党派抗争のなかで闇からの襲撃のようにして殺されたり殺したりするのは嫌だ、という嫌悪感があった。
その感じに駆られて、私は右翼に属する事をやめたのだと思う。


5、一度きりとはいえ、私は死の恐怖におののいたわけだ。
死を避けようとする衝動はやはり根深いものだと認めなければならないのであろう。
そして人生のその気分の岩盤ともいうべき「死の不安」にまで降りるとき、人間は自分の人生の始源である場所に還ろうとするものらしいのだ。
その時の感覚をうまく表現することは私には出来ない。
天井を眺めているうちに、ふと、自分はこのまま死を選び取るほうに向かうのではないかと思った。
深い絶望とか苦痛とかいうのではない。
曖昧な気分の流れのなかで、自分が衰弱死へと傾いていくのを感じただけのことだ。
当てどなく歩いてそのまま倒れていく、いわば行き倒れのイメージである。
天井の節穴からそうしたイメージが霧のように流れ出し、部屋一杯にそれが充満した。


6、特攻隊員の死でも、『戦艦大和の最期』(吉田満)でもよいが、戦地において頭が吹き飛ばされ腕をもぎ取られ、胃袋をえぐられ、戦友の死肉を胃袋に収めるというような体験が、考えてもその意味を十全に理解できるわけはないものの、人為的に私の頭のなかにインプットされ、その情報の質量があまりに大きいため、死と切実に直面したことのない自分ら戦後世代の精神は、底抜けになっているのではないかという自己不安を感じるようになった。
それは単に戦記ものを読んで分かったというのではない。
それは兵士の立場に自分の感情を移入させるとおのずと見えてくる類のものである。
たとえば自分が特攻隊員だったとしたら、果たして最後にどのような感情を抱き、どのような思索にたどりつくものであろうかということを幾度も想像し、自分の身近に生起するちっぽけな出来事においても疑似特攻的な振る舞いを貫いてみようと努力し、それを読書を通じて得た知識とつき合わせてみると、ヨーロッパの映画を含めて自分が戦後聞かされてきた反戦物語の嘘というものが透けて見えてくるのだった。
たしかに「お母さん!」と叫んで死んだ特攻隊員もいたかもしれないが、大概は紋切型に「天皇陛下万歳!」といったに相違ない。
なぜなら公的な形における死には公的な台詞が最もふさわしいのだからである。
それどころか特攻における死を「母親のため」と認識することは不可能であり、その自己犠牲的な死の形は「日本のため」と思うことによってようやく釣り合いのとれる種類のものと思われるのだ。


7、それ以後の40歳代から今に至るまで、死の問題が私の観念にいつも触れている。
死の観念が、微弱とはいえ、私の知覚や認識を根本において揺り動かしている。
しかし公性がほとんど剥奪された感のある戦後という時代にあっては、死はプライヴェイトな領域に追いやられがちである。
より正確には、死における私性が肥大化させられ、公性が矮小化させられている。
そして、そういう「戦後的な死」こそが怖いのだと思いはじめた。
怖いのは死が「私」の領域に閉じ込められることなのだと考えだした。
いうまでもなく私はまだ死んだことがないので、それは実体験によるものではなくて、頭のなかで繰り返し死の問題と接触しているうちに抱くようになった思いである。
一言でいえば、死そのものが怖いのではなくて、死について考えてしまうという、「意識」としての怖さである。
何が怖いか。
ほかでもない、自分の意識が死とともに終わってしまうという「不連続さ」がである。
それまで見えていた草も花も人間も建物も、死とともに終わってしまう。
もちろん私が死んだとて、それらはこの世に実在しているのだが、その実在を実在としてとらえる私の意識が不在になるのだから、意識は「無の支配」に委ねるほかない。
そういう突如の不連続が人間の生にはかならず訪れるのである。
今の喜びも怒りも哀しみも楽しみも、生命の終わりとともに、少なくとも私自身にとっては、感じ得ぬそして語り得ぬ「無の領域」に括られていく。
同時に、生きているかぎり、虚無の死臭をとりあえず追い払わなければ、喜怒哀楽の一片も叶わずということになる。
つまり、死の虚無は、それに直観的に取り込まれるわけには断じていかないが、それから離れれば離れるほど迂回路を経ていっそう身近に迫って来るといった性質のもので、可能なのはその悪循環に耐えることだけだと思うしかないのである。


8、年老いた父母のことは別として、妻以外に自分の死にたいして悲しんでくれるものはいないのである。
それもそのはず、夫婦とはまことに説明を絶する奇妙な存在なのだ。
人生の道理のわからない青春時代に、ほとんどホルモンに突き動かされるようにして、愛しているの惚れているのと語り合い、あまつさえセックスまでやった上に子供まで生んでしまい、振り返ればほとんど何をいかなる判断で実行したのか、説明がつかずに途方に暮れるような関係にあるもの、それが夫婦である。
その片割れが死んでしまえば、残された側は、愛情というよりも生理の働きとして、ダメージを受ける。
いってみれば、説明困難な構造のうちにおかれてきたものは、その構造が壊れたとき、自分の精神の停泊地を失うのである。


9、そのようにいえばいかにも大層な話だけれども、次の簡単な真実に気づけば死の喜びというものもさほど空理とは見えなくなる。
つまり、もし人間が永遠に死なないとしたら、人間が永久に生き続けるのだとすると、これくらい恐ろしい事はまたとないだろうということだ。


10、そんなことを考えているうち、死が怖いということの一つの大きな理由は、死の間際における「後悔」にあるのではないか。
怖いのは取返しようのない人生についての後悔なのではないかと思いはじめた。
子供にあれをしてやればよかった、友人にああしてはいけなかったのだという、もうじき死ぬ人間の抱く後悔の念、それが死の恐怖の中心なのではないかということである。
肉体も疲れ精神も疲れて、死にたくなるほどに人生が嫌になるのは、やれたであろうことをやらずに済ました時であって、そのことについての後悔がだんだん辛くなっていき、そしてそうした辛さのなかで死を迎えることが死の恐怖の根本因となる。


11、私の今の意識状態に脈略があるとしたら、それは「精神は肉体よりも高次元にある」という仮説に基づいている。
その仮説を好むと好まざるとにかかわらず押し通さざるをえないのが人生である。
となれば、それは死に方の選択にまで影を落とさずにはいない。
自分の死を意識しつつ死ぬこと、それが人間に本来の死に方であり、その最も簡便な形が「自殺」ということなのである。


12、「安楽死」もしくは「尊厳死」の問題が巷間において最近にわかに人の口の端に上っている。
にわかに、というのは実は正確ではなくて、それは既に1960年代から始まっているのだが、世論レベルで安楽死尊厳死の事が取り沙汰されるようになったのはここ5年ほどのことだと思われる。
単に世論においてだけではなくて、様々な専門家たちがこの問題について研究発表したり、さらには政府の審議会などにおける様々な議論が公表されたりするという状況になってきている。


13、安楽死尊厳死が問題となったのは、医学が発達して、色々な薬品・装置によって人間の延命が可能になり、果ては、「脳死」のようなかたちで大脳が破壊されても、科学技術によって延命させることが出来るようになっているからである。
安楽死尊厳死という言葉および概念についての私のイメージはどちらかというとネガティブなものである。
このような概念によって死を捉える事それ自体が文明の、悲劇とはいわぬまでも、否定的側面をなすのではないか。
安楽死にたいする家族の同意にあっては、患者の苦痛を長引かせたくないといういわば患者への愛情がないわけではないけれども、同時にその苦痛にこれ以上付き合いたくないという看護人のエゴイズムも含まれている。
同時に、それを「尊厳死」と言いかえるのにも、大きな無理がある。
安楽死」を「尊厳死」と呼ぶについてはいろんな理由があるようだが、私の推測を交えていうと、死という厳粛なる事実つまり「存在の絶対的不連続」に対して「安楽」などという命名を与えるわけにはいかない、それは「人生の崇高」に対する冒瀆であるという思いがそこにあるようだ。
そこで、生と死ともども尊厳に敬意を表して「尊厳死」という呼び方が採用されたのであろう。
しかし、私は「尊厳死」というのもまた不適当な言葉遣いであると思う。
なぜなら、人工的に死を早めることそれ自体に積極的な意味での尊厳性があるはずがないからである。
尊厳死」という表現が適切なのは次のような場合であろう。
わかりやすい例でいうと、特攻隊員がいて死へ向かって突撃したとする。
その兵士が、国家・国民を守るためという、「崇高」と呼んでよいような価値観を持って特攻に赴いたとする。
そういう場合にこそ、「尊厳死」という事がいえるのではないか。
国家でなくてもいい。
自分の家族を守るために、自ら死を選びとるというふうな場合、つまり自分を超えた存在の為に死を選びとる場合、そしてその自己超越を可能にしてくれる存在に価値的に尊厳感が宿るとき、そのときに「尊厳死」という言葉を遣うのが本来の語法であろう。
ところが現代社会では、国家や家族のことにとどまらず、何らか絶対性を帯びた価値が、というよりも絶対性を帯びた価値への接近が軽んじられている。
尊厳な価値をすすんで引き受けるという生の局面が消失していくばかりなので、「尊厳」という言葉それ自体がいわば水割りにされ、このような屈辱感の減少に過ぎないような死の形態に対して仰々しく「尊厳死」という名前がつけられるのである。

 

14、死の尊厳なるものについてもしかりであって、たかだか延命装置をはずすよう要請したからといって、それに「尊厳」を見出すのは不可能である。
それも自由選択の一つではあるが、しかし私の認めがたい技術主義の平面における選択なのである以上、それに大した尊厳性がこもるとも思われない。
要するに複雑な死に方を選びとれば、妻や子供に余計な苦痛を与えるかもしれないことを懸念して、いざとなれば簡単に死んでしまおうというだけのことなのだ。
またそれは、延命のための薬品や装置を自力で拒否しうる段階で自殺するということでもある。
下手に植物人間になるまで生きていれば、安楽死尊厳死やらに同意した妻子に、あとで同意しなければよかったと後悔させることになるかもしれない。
そういう心配を避けるために、自分の判断で簡便死を選ぼうというのである。
ただし、二つの条件が整わなければ、簡便死すら簡単に実行できない。
一つは、自分自身において簡便死のイメージとプランを繰り返し反復することである。
安楽だ尊厳だというふうにイデオロギーで自分を武装する場合には、自分を死に向かって追い込んでいくことは、比較的に容易である。
しかしイデオロギーを取り払ってしまった場合に、いかにすれば簡便死にたどりつくことができるか。
それは、ある程度年齢をとったあたりから、自分はしかじかの形における自殺を、つまり簡便死を選ぶのだということを執拗に自分に言い聞かせることによってである。
自分の生のなかに死への経路をあらかじめ組み込むことだ。
自分はある形態の簡便死を最後に選びとるべく生きている、それが自分の生なのだと構えれば、それはただちに生き方の選択でもある。

 

15、となると、死の間際までニヒルな精神の溶液に浸かっておきながら、死の瞬間においてだけ、尊厳だ安楽だというふうに自己を瞞着する訳にはいかない。
つまり簡便死は、自分を騙したくない、周囲の者を騙したくないという構えだけから出てくるものだ。
そんなのは情けない死に方だと言われればその通りであるが、しかしそれは少なくとも正直な死であり、それゆえ簡便死という自殺には「正直」の名誉が与えられる。
今時、たった一つでも名誉が冠されるのは立派なことだとしておかなければならない。


16、話しが少しずれるが、私は戦後の年配者に対してずっと不満があった。
つまり、あの戦争において凄まじい死の光景に立ち会われた人々が、後世の者たちに対して、その体験を語る事があまりにも少なかった事についてである。
語りづらかったであろうことは、いうまでもなく、よくわかる。
アメリカの占領政策のこと、またその政策に従順に追随した戦後日本人の振る舞いの事は別としても、戦地の状況を知らない戦後世代に対して、それはいくら語っても仕方のない体験であったろう。
その事は重々理解できる。
しかしその困難を押してなおも語ってみせるところに体験の重みが滲み出るという事もあるのである。


17、逆に言うと、簡便死を選びとるということを周りに告知し、更にはその意味について納得させておかないと、残された者は、自分の父や夫は、何と孤独な死に方をしたものか、自分はこの孤独な男に何の協力も出来なかったし、その死に何の関与も出来なかったという、協力や関与を拒絶された、という苦痛を味わう。
残された者の事など死者にはどうでもよい事だと言ってみても、生前においてすでにそうした自分の死後の事が予見できるのであってみれば、その予見が自分の自殺に影響を与えないはずはないのである。
つまり、自分の精神を簡便死へ向けてトレーニングしておくばかりでなく、周りの者たちをもそれに向けて馴れさせておかなければならないのである。


18、死が「問題」であるのは死が恐怖を醸し出すからである。
死は「絶対的な断絶」であり「絶対的な無」である。
それまで喋って、感じて、食べて、動いていた人間が、死とともに、単なる物質になる。
人間の生からみて、つまり精神からみて、自分における死の到来はまさに絶対的な性格のものである。
自分の精神にとって自分の死は、語り得ない領域に属する。
この語り得無さの為に、死の予見は抽象的不安という最も深刻な不安に直面するのである。

 

19、平和主義のイデオロギーで国を建てたり運営したりしてきたのが戦後日本である。
そして、平和(戦争のない状態)を長期的に確保する為には、短期的に戦争(武力衝突)に加担しなければならない時もあるという国際社会の現実を前にして、自分らの国家観について説明不能の状態に陥っているというのが戦後日本人の辿り着いた哀れな姿である。
つまり、死の恐怖を野放しにしておくと、それにあれこれのイデオロギー的装飾がほどこされて収拾がつかなくなるということだ。


20、私自身、少々の実験によって、その効果を感じている。
死について、自殺の方法論まで含めて考えていくと、次第に死を自分の生のうちに捉える事が出来るようになるのだ。
死が幸であるというのは、すでに述べたように、死ねないという恐怖から解放されるという事であり、それが不幸であるというのはまだ生きてみたいという願望に終止符が打たれるという事である。
こういう二律背反を抱えた死を手なずけるには、やはり、時間をかけて己の死について想っておく必要があるのである。
だがそれでも死の恐怖は無くなりはしない。
「精神の流れの絶対的断絶」については、どう考えてもどう想っても、理解しがたいものが残る。
私の言ったのは、死の恐怖をすべて取り除くという事ではない。
ただ、その恐怖の前で過剰におののいたり悲鳴をあげたり居直ったり愚行に走ったりするというような事くらいは、避けて通ろうという提案にすぎない。


21、遺伝子の解明がいくら進んでも、精神という人間現象については不可知なるものを残したままに終わる。


22、私が言いたいのは、現代人は、自分流の精神的治療法をみつける他に、死の恐怖から逃れる途は無いという事である。
「簡便死」という名の自殺について考えたり喋ったりすること、私にとってそれは何ものにも替えがたい治療法となっている。
自分が自分であり続けている(と思い込んでいる)うちに死ぬこと、現代にあってそれを可能にしてくれる最も簡便な方法は「自殺」である。


23、そうと知ればこそ、人間社会はルールを定める事によって成り立ってきたのである。
人間の性悪的な行動を禁止するため、また禁を犯した者には制裁を加えるため、色々なルールがつくられてきた。
社会が安定した段階では、私は「習律」という言葉を使うが、慣習による規律がルールとなっていたが、社会が大規模になり、大規模なイノベーションによって不確実な変化が引き起こされるようになると、慣習が不安定になり、そして習律の不足を補うために、明文化されたものとしての「法律」を制定する。
ともかく習律と法律とからなるルールによって人間の性悪ぶりを抑えよう、人間の性悪に起因する人間社会の亀裂を防ごうとしてきたのである。
人間のなす事は全て不完全である。
しかし完全でなければどんなルールも発動できないとなれば、社会はただちに崩壊するしかない。

 

24、しかし、易々と老醜に引きずり込まれていくについては、生きているうちに老いや死についてきちんと考えずに済ましてきた事が原因となっている場合も少なくないのではないか。
老いと死を迎える準備をしないできたという事が老醜に繋がったのではないか。
精神の準備なしに突如として老いに直面させられたとき、肉体と精神の全体が周章狼狽し、そして老醜へと誘い込まれてしまったという事である。
確信はないが、遅くとも45歳あたりから、老いる事、死を迎える事について意図的な準備を開始するのがよいと思う。
最初は思考実験でもいい。
自分が老いを露わにした時、一体いかにすれば老醜を回避できるかについて様々な計画を考案し、それについて語ってみるのである。
そのような訓練を不断にしておけば老いの無残を晒す度合いが少なくて済むのではないか。
そして老いを語るうちに、少しずつ死が実感をもって捉えられてくるはずである。
ただし、老いは現在との連続のうちにあるが、死は現在との断絶である。
したがって死はせいぜいのところ予感としてのみ捉えられるものなのだろう。

 

25、老いの事に触れていちばん語り且つ聞きたいのは、たぶん、「孤独」という事であろう。
老いとともに深刻化してくる孤独、活動力が無くなって独りでいる事の多くなる生活、それは生の琴線に触れうるものである。
老いというのは生理的・生物的な表現であるが、老いの精神的な核は、明らかに孤独の著しい増大にあるのだ。
しかし老年の孤独は自分で選んだものではない。
抗いがたい時間の流れのなかで自分の肉体が衰え、自分の精神の限界がはっきりと見えてくる。
それは、ほとんど死の一歩手前にいるといっていいくらいの恐ろしさに囲まれた孤独である。

 

26、西欧と違って、アメリカの場合は、新天地として国が創造されたという経緯や人種をめぐる社会的葛藤もあって、小集団の形成はうまくいかなかった。
しかし日本の場合は、小集団としての交友関係を発達させうる素地が本来はヨーロッパ以上に豊富にあったはずなのに、「進歩」の名目の下にそれを随分と破壊したり汚染させてきた。
とくに敗戦後のアメリカナイゼーションがそれをいっそう促進した。
しかしそう認識すればこそ、家族を初めとするごく小さな集団をいかに再建し、どう保守するかが重要なテーマとなる。


27、なぜそうなるのか。
その理由は多くの人が認めるように、「死は人間だけにとって問題なのだ」という点にある。
M・ハイデッガーの本質的規定を借りれば、「人間は死にかかわる存在」あるいは「死への存在」だという事だ。
またサルトル風に言えば、死をアン・ジッヒつまり即時的ではなくフュール・ジッヒつまり対自的にとらえるのは人間だけだという事である。
もっと普通に言おう。
人間が死について考えてしまう時、その死についての意識のただなかに、死そのものへの恐れが多かれ少なかれ登場する。
恐怖の感情にとらわれた意識にあっては、思考の回路が何ほどか閉塞状態に陥る。
それが死について思考する際の逃れ難い障害なのである。


28、もちろん反対の側面もあって、近代社会は自我の意識を発達させるのであり、それに応じて、社会的なコントロール・システムの発達にもかかわらず、人間という社会の要素が個体化していく。
個体化が進むにつれ、人々は孤独に苛まれ、そして自分がたった独りで死んでいくという不安にとらわれる。
死の恐怖というよりも、孤独に死ぬことの恐怖が前近代と比べて飛躍的に高まっているという側面もあるとエリアスは認める。
つまりエリアスによれば、安全社会と長寿社会のおかげで死が忘れ去られるという側面と、自意識の発達によって個体化された人間が死に際して強い孤独感や恐怖感を持つという側面との調整が難しくなってきているというのだ。

 

29、とりあえず確認しておきたいのは、死の恐怖とは人間という種の独特のもので、したがってそれは古代から一貫してあるのだということである。
現代において死の恐怖が特殊な様相を帯びるとしても、それは意識構造の変換にすぎないのであって、死を恐怖するという基本構造は、人間において一貫しているとみた方がよいであろう。
死の恐怖、それが冥界なり彼岸なりへの想念を強化する。
たとえばプラトンの『ソクラテスの弁明』がそうである。
日本では、それはソクラテスが「悪法もまた法なり」と言ったとい点において評価されている。
つまり、法意識のテクストとして中学校あたりから引用されるに留まっている。
しかしこの書の主眼はそんなところには無いのだ。
それは死をいかに受け入れるかという事に関するノウハウを教えてくれる書物だと言った方がよいくらいのものである。

 

30、同じくプラトンの『パイドン』においても、毒を飲んで死んでいくソクラテスとその弟子だちとの対話の形で、死についてのそれこそ対自的な語らいが展開されている。
それらは死についての考察が随分昔からあったという事のひとつの証明だろう。

 

31、そういう供犠文化が諸外国にあったのに対し、日本の死を忌みする神道は、生贄ではなく、供物で事を済ませる。
近代に近づくにつれてそのようになったというのではなく、古代からそうなのである。
生贄まで含めて死を遠ざけようという宗教、それが日本の神道なのである。

 

32、ただ、その系譜を腑分けしてみれば、かなり込み入った事になっている。
たとえば、サルトルに典型的にみられるような、極めて素朴なエピキュリアンもいる。
彼が、死などは考えてもしようがないものであるというのは、死はいつやってくるか分からないからである。
いつやってくるか分からないものについて、考えてみても思考の空回りが起こるだけだと言うのである。
仮に死を予期してしまうとしても、同じ事である。
というのも、死によってすべての生が終わりになるわけであるから、死の予期を自分の思考回路に乗せるということは必然的に、他のいかなる生についての期待をも消滅させる事になるとサルトルは言う。

 

33、これは、M・パンゲに言わせれば、日本の歴史を貫く傾向である。
万葉集』の大友旅人の歌に、

この世にし楽しくあらば来む世には

虫にも鳥にも吾はなりなむ


というのがある。
字句どおりに受け取れば凄い居直りではある。
この世さえ楽しければ来世では虫にでも鳥にでもなってやる、というわけだ。
万葉の昔から、そういう現世謳歌的な精神が日本人の中に流れているのであろう。
ただ、それにも裏がある。
たとえば山本常朝の『葉隠』のように、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」と言ってのけるものもいたし、事実、武士社会には切腹文化があったのである。
近代に入っても、たとえば明治天皇崩御に伴う乃木大将の殉死(歴史主義的な死)や、宗教観的そして人生観的な苦悩のなかでの北村透谷の自殺(浪漫主義的な死)に少なくない数の日本人が感動したのである。
戦後でいえば太宰治原口統三の、そして最後には三島由紀夫自裁には、相当濃厚に死と戯れる観念があった。
つまり、日本的な精神は生の謳歌によって単色に塗りつぶされているわけではないのである。
いずれにしてもエピキュリアンの系譜が死の観念の歴史における一つの流れである事は疑いえない。
他方、ストイックの流れもある。
たとえば、シーザーに抗した古代ローマの政治家にしてストア哲学者であったカトーの自殺は、ローマの元老院がシーザーによって取り潰されていく過程で生じたものであるが、凄絶な切腹だったようである。
日本の武士の切腹も大変なものであったであろうが、カトー切腹したあとに自分の腸を掴み出したというのは本当の事のようである。
それをキケロたちが「ジュピター(ローマ神話の天空神で、国家の三主神の一)は、この世でいちばん美しいものはカトーの自決であるというであろう」と賞賛している。

 

34、たしかに死そのものは、生の絶対的切断であり絶対的無なのであろうが、死について決意する、死へ向けて準備するという作業は、生の質を変えてしまうのだ。
つまりエピキュリアンのように、死を生の向こう側に追いやってしまうわけにはいかないのである。

 

35、ただ、ここで厄介な思想的な問題が浮かんでくる。
そしてそれは良かれ悪しかれS・フロイトのせいである。
つまり意志とは何ものぞと考えたときに、それは「無意識」の産物でもあるという事になると、意志的な死を生の課題とみなすことの意味もさほど明確なものではなくなってくるのである。
しかも無意識のうちにタナトスつまり「死の本能」があるのだとすると、本人は意志的な死と思っているものが単なる本能の発露であったり、無意識に弄ばれた事の結果に過ぎないという事になる。
要するに死への意志そのものの、更には死についての思考そのものの、根拠が揺らいでしまうのである。


36、しかしモランは、個体の敗北を更に推し進める事によって、それを勝利へ繋げる事も出来るのだと言う。
つまり、死は個体の敗北であるが、それは個体の否定という事でもある。
そして個体の否定はエゴイズムの否定を容易にする。
さらにエゴイズムの否定のなかに、実は「愛」の可能性が開ける事になる。
しかし、自決においてと同じように、愛においても色々な種類があるのだろう。
愛もまたナルシスト的なもの、自己犠牲的なもの、攻撃的なものあるいは逃避的なもの言うふうに色々分かれるとすれば、エゴイズムの否定がもたらすのはそのうちの「自己犠牲的な愛」である。
他の形態の愛はむしろエゴイズム強化に繋がると言ってよい。
事実、モランが愛について語る場合、キリスト教圏の人間であるから当然とも言えるが、神への奉仕といった雰囲気が漂っているのである。

 

37、次に言いたいのは、危険なしの人生は演劇たりえない、という事である。
というのも、生は危険(についての認識)がなければ、単色単調で人前で演じるには値しないものになってしまうからだ。
公演する事の叶わぬ生は必ずやエゴイズムのうちに転落し、そこで人間の生は言葉を喪って、単なる生命と化す。
「死を想え」というのがきつすぎる標語だというのなら「危険を想え」でもいい。
人生の門には「危険を想え」の標札が掲げられるべきだと私は思う。

 

38、いずれにせよ、意志的な死というのは、死の事を意識にのぼらせる度合いを年齢とともに強めていくという生き方の事である。
しかし、そのためには、自分の臨終の光景をどうしても想定しておかなければならない。
自決を目論む事のメリットは、その想定を容易かつ明確にしてくれる点にある。

 

39、それを自然宗教アニミズムだとまでは言わないが、さすがモンスーン地帯の住民ではある。
穏やかな四季の巡りのなかで様々な生命が入れかわり立ちかわり繁栄するこの島国の国民にあっては、臨終のイメージは自然に溶け込んでいくという事なのだ。
最高の自然死つまり「自然への自然死」、それが最も願望されている死に方なのである。
しかしそんな願望を抱き続けるのは、現代社会に生きるものとしては、少し虫がよすぎるのではないか。
都市文明の休みない発展とともに、自然が現代人の生活圏から遠のいていく。
死に場所くらいは自然のうちに見つけだせるであろうが、自然を壊してきたのが文明人の生というものなのであるから、自然に溶け込もうにも、それに値する見事な自然はもはや手許には無いのである。
死にゆくものの意識が自然に素直に溶け込むというわけにはいかなくなる。
ともかく、自然や共同体に回帰しようとどれだけ切実に念願してみても、大いなる可能性で、自分はたった独りで死んでいくかもしれないのである。
その事を覚悟すると、そう易々と「自然への自然死」を迎えるわけにはいかないと分かる。

 

40、つまり孤独は生の絶対に回避しえない条件であり、その孤独を癒すべくいくら社会と親しんでみても、社会は益々激しく人間を孤独に追いやるのである。
残るのは、孤独からの解放なのではなく、孤独と付き合う為の方法であるにすぎない。


41、死は、やはり、己一人で迎える他に手は無いのである。
死は随分の孤独と共にやってくると予期せざるを得ないのだ。
そしてそれは、おそらく、耐えきること叶わずといった態の大きくて深い孤独なのであろう。
しかし、瀕死状態における孤独をあらかじめ予定し、それについて想像しておくという精神的な戦術をとれば、いざという時の孤独が小さくて済むのではないか。

 

42、B・パスカルは「人間は一茎の葦にすぎない。
自然のうちで最も弱いものである。
だが、それは考える葦である」と言った。
これは小中学校でも教えられる有名な文句である。
しかしその本当の文意については学校の教師は何も説明しないのが普通である。
それもそのはず、これは死の問題に関係する文句であって、少年少女にはほぼ理解不能なのである。
パスカルは死について随分と考えた人だ。
「人間は一茎の考える葦である」という文句における「考える」とは「死について考える」事なのである。
数学や歴史について考えるということならば子供にも理解できるであろうが、死について考える事が子供によく分かるわけが無い。

 

43、「人間は一茎の考える葦である」というのは、死について考える事によってしか死の恐怖を克服できないという、人間のぎりぎりの条件をいわんとしている。
思考のみならずその応用としての生活上の実践までも含めて、肉体の死に至る老いをどうセルフコントロールしていくか、そういう形でしか死の恐怖を和らげる事は出来ないのである。
これは、現代において人間の個体化と個体の孤独化が急速に進行しているから死についての思考訓練が必要だ、というだけではない。
パスカルの時代を含めて、死の恐怖を克服する事は生の課題なのである。
そしてその課題を忘れつつあるのが現代人なのである。

 

44、誰しも、天国や地獄あるいは前世や来世が絶対に存在しないと論証することも実証することも出来ない。
はっきり言えるのは、そうしたものの存在を主張する宗教的な物語には随分みすぼらしいものが多いという事である。


45、本来ならば、集団への帰属意識をきちんとした集団的規律へと上昇させていく為には、「討論」が必要である。
また、個人的感情を人格にまで形成するには、それこそ”考える葦”として「思索」しなければならない。
しかし、人格と帰属があまり明確になっていないのであるから、討論と思索という「言葉」の活動が貧しいものになってしまう。
更に、この人格と規律という互いに簡単には折り合いのつかないものを調整する為に、公的に「法律」が発達する。
また道徳を初めとする習律は、個人的な感情と集団への帰属意識を調整するためのものである。
しかしここでも、人格と帰属の不明確さの為に、法律と習律という「ルール」の観念が日本では弱いままに留まっている。


46、「言葉とルール」は人間存在の矛盾を調整し、その葛藤のなかで平衡を保つ為の拠り所である。
かつては、それが「伝統」として何ほどかは安定した形をとっていた。
だが近代はその伝統を破壊する事に進歩を見出した。
日本の場合、それに加えて、「公と私」そして「集団と個人」の仕分けがきちんとなされていないという文化構造上の歪みもある。


47、知識人は死との戦いに「言葉」という矛と「ルール」という楯をもって馳せ参じる責任がある。
というのもこの戦いをことのほか困難かつ陰惨なものにしたのは知識人なのだからである。
知識人とて死の恐怖にとらわれるであろうが、そこで孤独を嘆く資格も孤独から逃避する権利も彼等には与えられていない。
まだそう自覚しておく事が、知識人によって創られた近代が知識人をも噛み砕くまでに異常成長を遂げたこの世紀末にあって、知識人が己を鼓舞する為の唯一の方策なのだとも思われる。


48、人間にとって死が問題であるとしたら、それは死にまつわる言葉(それゆえに意識)の問題としてなのである。
そこで、言葉はいったい誰のものか、言葉はどこから来てどこに行くのかという事が問題になるわけだ。
そして私はコンサバティヴつまり保守的な精神の持ち主である。
というより言葉のことに思いを馳せるとき人は保守的にならざるを得ない訳で、言葉は個人の生命を媒介として過去から未来へと伝えられていくこと、そしてその伝えられ方こそが保守すべき伝統の本質なのだということに思いいたる。
言葉は抽象的な構造として言えば単なる「記号」であり、そして記号の本質は「差異の体系」という事にある。


49、伝統は変わっていくけれども、その変わり方において変わらぬものがあると言ってもよい。


50、つまり、旧き良き伝統をいかにきちんと守るかに当たっての新しき方法、それ以外にまともな改革などありはしないというのが保守の考え方なのだ。


51、言いかえれば、それはもはや「時代」ではないのである。
時代が何ほどか確かなものとして存在するのは、伝統論の立場から言えば、異なれる世代が互いの交流を確認しうる場合にかぎられる。
世代間交流の安定した構造、それが時代に相豹を与えるのである。
今あるのは時代の流れではなく、単なる「時間」の流れである。

 

52、半世紀ちかく、戦後日本はこれまで上昇気流に乗っており、そこでは失業の恐れが無く、技術革新も休むことなく進んでいた。
いつも新しい変化が世の中に充満し、日本人はその変化の系列に追いつくべく、前傾姿勢で走ってきた。
しかし、そういう時代も最期を遂げつつある。

 

53、私の用語法では、生活のなかで伝統をさり気なく担おうとしている人々の事を「庶民」と名づけ、伝統を足蹴にしつつ新しい技術や情報に飛びつこうと構えている人々を「大衆」というふうに呼ぶ。
そして現代社会とりわけ戦後日本は、高度の「大衆社会」になってしまっている。
だがこれは一種の自己矛盾を引き受ける事だ。
伝統が己を支えるのだが、その伝統を担うはずの庶民がいないも同然であるとき、己のなしている事が伝統に叶っているかどうか、確信が持てなくなるのである。
具体レベルにおいては、伝統はおおよそ破砕され尽くしているように見えるのである。
伝統というものは、元来、人為的に創造するものでも構想するものでもない。
歴史のなかでスポンテニュアスに、つまり自生的につくられてくるのが伝統である。
人間の意図とは無縁に出来上がり、そしてそこに人間の意図したものではない知恵を含んでいるのが伝統なのだ。
しかし現在では、伝統を担う庶民の存在が希薄であるため、それを何ほどか人為的・意図的に創出するという自己矛盾的な手立てを必要とするわけである。

 

54、私の言いたいのは、自然にすんなりと溶け込むように死にたいとか、家族・友人に看病されながら死ねればよいとか、簡単に宣うなという事だ。
そこに至るためには並でない努力でやっと到達できる「共同の企て」が必要なのである。


55、要するに、戦争も飢餓もないとなれば、生の謳歌がはびこって当然なのである。
ただ、生の謳歌が生の何たるかを見極めていないものにのみ可能だというのも本当である。
言いかえれば、長きにわたって平和を享受しているこの島国にあっては、生の意味そのものが蒸発しているのであり、それゆえ、生の謳歌なるものも、実は、空しい生をせめて歌声で満たそうとする目論見に過ぎないと言ってよい。

 

56、三島由紀夫を含めて、戦後日本における保守思想家たちは相対主義に歯向かっていた。
彼等はいつも少数派であったが、この半世紀という時間の試練に耐えて蓄積されてきたのは、それら少数者の見識である。
私も15年ほど前から、それに与せざるを得ないと考えている。

 

57、自分が何らかのインテグリティ(人格的一貫性)を持って生きていること自体が「絶対」を志向していた事の証しである。
もちろんABCDという序列は普通のものではない。
それはそのうちBADCに変わるかもしれない。
しかしいずれにせよ、「序列化への志向」は普遍的なのである。
その意味で、「絶対」は求めるものであって、到達しうるものではないというべきかもしれない。
つまり有限のなかにある人間にとって、絶対も超越もわずかに窺き見ることのできるにすぎないものなのだ。
どうしてここで「上」という空間的形容を与えるかというと、絶対の探求には、重力に逆らって跳躍するといった類の、異常なまでの努力が必要とされるからである。
価値序列の形成に投入される努力に敬意を表して、そういう絶対の住処を「超越」とよび、それを「上」の世界にあるとみなしたのである。
だが、それもまた人間の秩序化能力の枠内にあるのであって、人間には秩序から完全にはずれたものとしてのいわゆる「外部」などを構想することは出来ないのである。
それを空間的に説明するため、秩序の世界が一つのサークルあるいは一つのスクエアーの内部として表現されるとしよう。
その外に外部があるついう事は、空間イメージとしてはすぐに分かる。
しかし、外部とはいったい外部のどこを指しているのだろうか。
東西南北のどの方向において、内部世界からどのくらい離れたところにあるのか。
それがはっきりさせられないかぎり、外部なるものは無意味である。
外部から内部をみるといっても、秩序からあまりにも遠く離れてしまったら、内部などは見えないはずである。
それのみならず、「上への超越」を言わずに外部の事を言うのは、いわば「横への運動」の事である。
つまり「精神の水平運動」の果てにあるのが外部だという事である。
しかし精神の水平運動には、超越を求める「精神の垂直運動」と比べると、さしたる努力は要らない。
垂直運動にあっては自分の精神のなかに分裂があるという事を確認し、その分裂を平衡させ総合しなければ価値的に生きた事にはならないというふうに構える。

 

58、同じようにして、病気になった時の方が健康である事の意味をよく理解でき、死の間際にあったほうが生の意味をよく把握することが出来るのである。
そういう逆説があればこそ、病気は健康の外部にあると言ったような秩序と混沌の二分法に従うわけにはいかないのである。
ともかく、そういう逆説を含めた意味で若さに意味づけの起動力があるという事で、そのかぎりで、「生の哲学」を私は支持する。
H・ベルクソンはエラン・ヴィタルつまり「生命の躍動」の事を強調したが、精神もしくは言葉の生命力という点において、強い意味を持つのはたしかにエラン・ヴィタルである。
人間はもちろん死ぬのだが、死もまたエラン・ヴィタルの発露であると私は思う。
そして「自決」はまさしく一つの生き方であり、私が検討してきたのは「エラン・ヴィタルが最も高まった形での自決は何か」という事についてである。
私は広い意味での生の哲学を信奉して、生の側からしか死は見えないのだ、死を選びとるのも一つの活力ある生でありうるのだと主張したいのである。

 

59、たとえば、「美しさ」という言葉がある。
その言葉を知っているのならば、人は、可能なかぎり、立ち振る舞いにおいて「美しさ」を求める義務がある。
「美しさ」という言葉はすでに一個の価値概念であり、それならば、美しさを採って醜さを捨てるという方向で自分の生を組み立てていくほかない。
伝統からの命令は言うまでもなく全て言葉で書かれている。
だから伝統の声とは、結局は、「言葉の良き遣い方」という事になるのである。


60、たぶん私は、終生、信心のことをいつも気にしながら、しかし信心にはどうしても至らないという境界線上で生きるのであろう。


61、夏目漱石もまた、『門』において、山門の前に佇んだ。
寺の中に入れないが、そこから立ち去ることも出来ない。
山門が信心と無信心の境界線だったのである。
ただ、漱石はかなりに鬱的な人物だから、彼が境界線上に立つとき、どちらかというと暗いイメージに包まれる。
だが私は佇むのもまた活力ある生き方なのだととらえたい。


62、憲法の前文を読めば、そこに国際貢献をすべきだという意味のことが書いてある。
あるいは9条の第1項の冒頭にも、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と書かれてもいる。
それどころか前文には、「自国のことのみに専念して他国のことを無視してはならない」と明記されている。
そして9条の第2項まで読めば、「非武装」が謳われている。
つまり、「非武装で国際貢献せよ」というのが憲法の精神なのである。
まさにその精神でPKOに取り組んだ、たった2名とはいえ、非武装の国際貢献には死が随伴しうるという事が証明されたのだ。
護憲派ならば、これでいいのだ、この路線で我々は次々と死ぬべきだと、なぜ認めないのか。
それが私の言い分、というよりも護憲派への揶揄である。

 

63、言葉の世代間伝達がうまくいっているかぎり、人間の生が死によって終わる時、the end ではなく continued の形容がふさわしいのではないか。
もちろん、生命が個体に宿るのである以上、生の幕引きに「つづき」と銘打つことには無理がある。
しかし人間にはこの無理をあえて乗り超える責任があるのだと私は言いたい。

 

64、言語を媒介として、人間個体の「生と死」は歴史の「流行と不易」へと変換される。
その変換の構造と過程には説明し切れないものが多々残りはするのだが、「よき」死の間際にあって、更にはその間際へと近づいていく生の行程にあって、個体と全体がひしとばかり手を握り合っているのを感受し認知するとき、人は運命としかいいようのないものを心身のすべてを賭けて了解する。
そうであるに相違ないと構えることがF・ニーチェの言ったアモール・ファティつまり運命愛という事ではないだろうか。