思想家の西部邁 『人間論』を読んで。

(この本は平成4年に書かれたものです)


1、だが、いうまでもなく、人間はアノミーに堪えつづけることはできない。
無規律のなかで生きるよりも規律ずくめの牢獄のなかで生きるのを選ぶのが人間である。
それは、この2世紀のあいだに幾度も試みられたアナーキズムの革命運動が、結局はその正反対のものを、つまり強制収容所の群れを産み落としたことをみれば明らかであろう。
実は、現代の無定形とみえる現象もまた、紛れも無き定型によって支えられているのである。
ポスト・モダンが現代のモードだとは言ってみたものの、その奥底には極度のモダニズムが流れている。
その証拠に、現代にたいして歴史段階ふうの規定をほどこすとなると、高度情報化社会といったようなところに落ち着く。
そしてこの「情報」とよばれるものは、モダニズムの最たるものとしての技術主義によって象られている。
それが現代の常態なのだ。


2、技術主義は、まず人間にとっての生の目的を豊富化させることを不問に付す。
物質的に豊かに暮らす、という水準に目的を固定するといったような凡庸にははまったまま、その目的実現のための新技術の創出に狂莾するのが技術主義の第一段階である。
それが「凡庸」な態度である焦燥を感じるものだという当たり前の事態にすら気づいていないからだ。
そしてこの退屈や焦燥を紛らすべく、手段を目的に昇格させるという倒錯を犯して、新技術に適応するのが人間の意義ある生であるかのように宣伝して回る、これが技術主義の第二段階である。
見渡すところ、日本を先頭にして各国がこの段階に次々と到着している始末である。


3、少々敏感な人間には現代が巨大な無の空間とみえ、現代の推移が巨大な無の移ろいと感じられるのは、技術の容器に盛るべき価値がないからであり、価値の生産・流通・消費を可能にするものとしての言葉が空洞になっているからである。
現代の成し遂げた最大のヴァンダリズム、それは言葉の無化である。
見かけ上では、高度情報社会の進展にともなって、夥しい数の言葉がまき散らされているのだが、それらは技術主義の方向に一面化された平衡喪失の言葉であることが多い。


4、マスメディアが用いる言葉は、「多くの人々によって明白に共有される」ことに狙いを定めている。
そうであればこそ、その種の言葉は大衆化されやすいのでのである。
見過ごしにできないのは、大衆化とは単なる量的拡大のことではないということだ。
大衆化には質的低下がともなわずにはいない。
大衆化された言葉にあっては意味の短絡と価値の衰弱とが際立っている。
この意味において、現代はまさしく高度大衆化社会なのである。
それは別の意味でも高度である。
つまり現代の大衆はかつてのように「教養のない暴民」のことではないし「疎外された群衆」のことでもない。
高度な情報をたっぷりと仕込み、高度な技術の指示する路線の上を整然と行進するのが今世紀後半の大衆だといってよい。
ただ、肝心の情報が言葉を単義化し、肝心の技術が人間の生を単色化していることに気づかない。
あるいは気づいていてもそれに適応するのを専らにしているという点で、現代の大衆はかつてない精神的堕落のうちにあるのである。

 

5、専門的知識人は言葉のほんの一面にとりつき、その一面をとめどないまでに引き延ばし、ついにはその薄く拡大された虚構の平面をリアリティと取り違える。
言葉が解体されて意味を失い、言葉が単なる符牒と化すのはここにおいてである。
そしてこの失語症めいた精神の無残を覆い隠そうとして、効率であれ平等であれ、そのほか何であれ、ともかくも人口に膾炙した決まり文句を多弁症よろしく散布するのはマスメディアの役目である。


6、現代人の日常生活が高度情報および高度技術に呑み込まれてしまったこと、それがリアリティ喪失の原因だとみるのはあまりにも便宣的な見方である。
もっといえば、それは技術的決定論に与する文化観にすぎない。
たとえば自由・責任・権利・義務・価値・信仰といった類の、日常生活に密着するはずの言葉およびそれによって喚起されるはずの行動をないがしろにするという現代のモードが技術決定論への迎合を招き、その結果、生のリアリティが底抜けにされたのだと私は思う。


7、慣習にたいする意味的な解釈のうちで後世に伝える価値のあるものが伝統だということである。


8、無階級が永遠の理念なのだとしても、それは階級が不可避の存在であるのみならず魅力ある存在でもありうるという現実を見据えた上での理念でなければならない。
階級一般を是認するのは理念的の咎であろうが、同時に、階級一般を否認するのは現実的の罪だというしかない。
階級社会を実現するという強迫観念に駆られた戦後日本は、それゆえ、力量なき精神と魅力なき文化の轍にはまりつつあると私にはみえる。
そして、その階級概念を完成の域にまでもっていったのはマルクスである。
マルクスを頂点として、近代人は階級をいわば発見したのである。
いうまでもなく階級は人間の歴史を貫いて存在してきたのであるから、それは人間の内部世界にかかわる発見なのであった。
少し厳密にいうと、発見されたのは、階級というよりも、階級対立もしくは階級闘争であった。
マルクスにあっては、生産手段の所有・非所有に注目して、近代についていうと、財産をもてるブルジョアジーと財産をもたざるプロレタリアートという二つの階級のあいだに対立と闘争があり、それが近代を動かすとみなされたのである。
前近代にあっても、古代社会では貴族と奴隷のあいだに、封建社会では領主と農奴のあいだにというふうに、人類の歴史は階級闘争の歴史だということになる。


9、階級協調史観はアメリカにおいて特別に顕著に現れた。
アメリカはもともとマルクス主義の影響が乏しいという国柄にある。
元来、その思想が合理主義・機能主義あるいは実用主義に傾いていたために、アメリカ人は様々な階層や集団がいかに依存し合い作用し合っているかということに主たる関心を払う。
ファンクショナルなものの見方、それがアメリカ文明の背景なのである。
つまり、財産の所有・非所有で階級を分けるのではなく、社会の全体的な機能連関のなかでどういう位置を占めているかによって集団を類別するわけである。
これを一般にはくらす・セオリーではなくストラティフィケーション・セオリーとよぶ。

 

10、このようにして、階級闘争論にもとづく社会観・歴史観ではもうだめだ、ましてや階級闘争論にもとづいて組み立てられる階級意識論などは論外だ、これからは社会のなかの複雑な連関を機能主義的に描写し分析していく必要がある。
として出されてきたのが『イデオロギーの終焉』である。
このダニエル・ベルの著作が階級闘争論の衰滅を示す思想的メルクマールとなって、今世紀後半においては階層論が社会理論の分野を制覇したのであり、この世紀末もまたその延長線上にある。
そして、日本のような近代化の最先頭に立つに至った国において平等主義がいや栄えているについても、その思想的背景はやはり階級闘争論の消滅とそれにもとづくイデオロギー論の消滅がこの国で見事に実現されているというところにあるのである。


11、私は階級制に、少なくともそれについて想像し思考してみることに、小さくない魅力を感じるものではあるが、それは異なった階級のあいだに不和と対立をみるからではない。
諸階級は葛藤を孕みつつも共存している。
既存の共存体制が破壊される仕儀に立ち至ったとしても、新たな階級的共存の体制をつくり始める。
それが人間の本性だと私は思う。
ざっくりいうと、いかなる国家も、その根底において運命共同体なのではないか。
そうなってしまう所以は、ほかでもない、運命共同体のことを人々が多かれ少なかれ想念してしまうからである。


12、とりあえずソシュール言語学を参照していうと、言語活動における「半ば無意識の半ば制度化された共同性の構造」としてのラングがある。
人間のあらゆる言語活動はこのラングを基礎にして展開される。
ラングがかつていわれたほどの安定した構造をもっているかどうかについては議論のあるところである。
また、ラングが「個人的にして意識的な言語活動」としてのパロールと衝突し合い浸透し合い、その結果、ラングが動揺して、言語活動にとっての強固な岩盤たりえなくなるということもある。
しかしそれにもかかわらず、無意識的共同性としてのラングの重要性を認めざるを得ないのである。


13、階級闘争もまた言語活動の派生である。
闘争というからには物理的な力を使いはするであろうが、そのフォースの形成のされ方も使われ方も、人間である以上、必ずや言語的な枠組みによって想定されている。
つまり、刀や弓、兵器や弾薬のすべてが言語の構造によって裏付けされている。
そうならば、暴力においてもラングが問題になるのであり、それゆえまず無意識的共同性のことに言及しなければ、階級闘争史観をすら打ち出せないということになる。
仮に意味・価値から自由になったとしたら、それは、人間が生きること、そして他者と関係をもつことに、意味を見出せなくなったときであり、そんなときに人間が暴力を振るったり闘争を行ったりすることが出来るわけがない。
つまり、人間の暴力や闘争は、それら自体、意味・価値の体系に支えられているのである。
意味・価値のことがひとたび問題になるや、そこに、よいものと悪いもの、正しいものと誤ったもの、美しいものと醜いものといったような、優劣の序列にかんする意識が登場する。
優を選択し劣を排除する、それが人間行為の本質であり、したがって、人間生活および人間社会は優劣にかんする選択基準という意味での秩序からも自由になることは出来ないのである。
秩序を実体的なものに短絡させてはならないし、それゆえ共同性なるものについても、それを実体としての共同体と等置してもならない。
秩序といい共同体といい、それはルールの体系であり、ルールはおおよそ実体というよりも形式の次元に据えられるものである。
実体的秩序によってがんじがらめに拘束された実体的共同体は人間の本性である言語能力を閉塞させる。
また、ルールをめぐる形式的な秩序にかぎっても、その外部には混沌がある。
言語活動によってはいまだとらえられていないという意味での、人間の外部における混沌ばかりでなく、言語活動そのものの内部の向こうがわに、ショーペンハウアーなら「意志」といったもの、ニーチェならば「本能」といったもの、ベルグソンならば「生命」といったものが混沌としてとぐろを巻いている。

 

14、階級闘争の歴史についても、闘争のなかにすら秩序があったのだというべきである。
社会の秩序はルールの体系であり、その体系は、制度法としての秩序、宗教としての秩序、習慣としての秩序というふうに様々に枝分かれする。
歴史とは、このルール体系の発展過程のことである。
それがなぜ「発展」するかといえば、既存のルールでは処理し切れぬ新たな欲望、新たな意味、新たな技術が現れてくるからである。
階級闘争がそうした新たな混沌の出現を助長するのは確かであろう。
しかし、階級闘争そのものがおおよそルールなしには繰り広げられないのみならず、実は、階級制そのものが紛れもなく秩序なのである。


15、上位階級に恣意的に権力を振うつまらない人間がいないわけではないが、階級社会が機能的層構造へと弱められながらも維持されてきた大きな理由は、上位階級が責任や指導を放棄したとき、既存の階級関係が崩れていくのみならず、その関係のなかに確保されていた価値も壊れていく。
そして別種の価値を構築しようという新たな社会運動は必ずや別様の階級社会を創出するに違いない。


16、望ましいのは、過度の社会的移動性を保った階級社会ということではないのか。
群を抜いた努力をそれば、その人は上の階級に登っていくことができ、逆に群を抜いて怠ければ、下の階級へ落ちていくという、いわばムーヴァル・クラスの階級社会である。
厳格な階級社会と平板な無階級社会のあいだで二者択一するのは誤りであろう。
社会における秩序の必要性とその秩序の可変性ということにともども配慮するならば、階級の適正水準を見定めることが重要となる。
そしてその作業が困難だと判明すれば、既存の階級制にたいする破壊を漸進的なものにとどめざるを得ないのである。


17、平等社会を理想として銘打ってしまうと、閉鎖膜状であれ半透膜状であれ、階級間の壁そのものが不合理だとして廃棄されてしまい、無階級社会が理想だということになる。
仮に階級制の溶解が歴史の必然なのだとしても、その実現をあまりに足早に追求してしまうと、その結果として訪れるのは、価値観における優劣の境目もルールの節目もなくなったような状態であり、そこでは人間の活動力が衰退し、人間たちの社会関係が衰弱する。
衰退・衰弱というのが言いすぎだとしたら、人間の言語活動が奇形のものになり、たとえば今の日本にみられるように、言語活動のほんの一面でしかないはずの科学的・技術的な記号をめぐる活動に特化するということになってしまう。

 

18、経済の方面においてそうならば、政治・社会および文化は尚更個人主義的な契約によっては説明し切れない要素を含んでいる。
なぜといって、政治はパワーを、社会はカスタムを、そして文化はヴァリューをそれぞれに主たる媒体として構成される言語活動の領域であり、そして経済という合理的な領域とくらべると、それらの領域におけるラングはより安定したものになると考えられるからである。
ということは、階級制あるいは位階制が現代社会の至るところに、前近代のものと比べると変形されているではあろうが、根強く残存しているということである。
このことに直接的に反発するのはやはり愚かだというしかない。
誰しも自分独個の欲望があると感じるものであり、その独個のものがファミリー、コミュニティそしてオーガニゼーションとのかかわりのなかで疎外されていくことに苦痛を覚えはする。
しかし、その独個の欲望はたかだか衝動にすぎないものであって、個性にまで高められてはいない。
人間の個性は集団のなかで責任を担い、それを果たす仕方のなかでかろうじて形成されていくものだ。
そして、そのようにして人格が形づくられていった結果として、人間は守るに値する自己のアイデンティティを手に入れるのである。
階級制あるいは位階制に一般的に反対することは、自己のアイデンティティを溶解させるにも等しい愚行といわなければならない。


19、ハイアラーキーのなかにこそ価値の体系やルールの体系があり、そしてそれらの体系にもとづいて責任・義務が規定される。
その責任・義務において、人間の自由が発揮される。

 

20、これまで価値・秩序・ルールの重要性について言及してきたが、階級闘争史観の弊害の最たるものは、それら重要なものの母体である歴史を破壊しようとした点にあるといってよい。
歴史なんぞは、所詮、強いものと弱いものとの闘い、支配するものと支配されるものとの闘いにすぎぬとみなしてしまえば、何千年何万年の長きに及ぼうとも、歴史に格別の意味を見出すことはできなくなる。
しかし、闘争も対立も含みながら展開されてきた歴史の底流には共同性の次元があり、その中心には意味・価値の体系があるのだ。
その体系によってとりわけ我々の拠るべき秩序が、少なくともそれへの接近法が示されている。
もしも歴史が我々の背景へどんどん退いてしまえば、我々は秩序を失い、我々の言葉はラングを失い、我々の人間関係もグラマーを失って、我々は単なる孤独な浮遊物になってしまうに違いない。
もちろん、急いで付け加えなければならないのは、我々の言葉それ自身のうちに我々をして浮遊物たらしめる力がはたらいているということである。
たとえばヴィトゲンシュタインは人間および人間関係の本性は「言語ゲーム」だと規定したものの、そのゲームはシステマティックに構築されうるようなものではないという認識に達した。
デリダも、言語の根底には既存のラングの体系をとめどなく破壊し、言語活動を多方向へ不確実に発散させていく力が作用していると見抜いた。
しかし同時に、ヴィトゲンシュタインが言語は「慣習の体系」であるといったことも忘れるわけにはいかない。
ヴィトゲンシュタインは、ある意味で、保守主義者である。
それは、言語活動の基礎は慣習であるという結論にいきついたからである。
そして、半ば無自覚のままに踏襲してきた慣習の意味を尋ねるとき、我々のうちに慣習にたいする解釈体系としての伝統を保守しようとする構えが生まれることになる。
この平凡にして非凡な到達点が言語にたいするニヒリズムによって、つまり言語の意味・価値は不確定であり更には不決定であるという見方によって、易々と足蹴にされてきた。
それが近代に一貫する傾向であり、とりわけ今世紀後半に顕著な現象である。

 

21、言語の慣習が次々と崩壊し、そのせいで現代人は自分らの言語活動に空虚が夥しく押し寄せているのを感じている。
しかも、それにもかかわらず、残存する僅かな慣習のおかげで現代人の生にもそれなりの軌跡が可能となり、現代人の人間関係にもそれなりの構図が与えられている。
そうとわかれば、現代は歴史の知恵の重大さが露呈される時代だということになる。


22、ニーチェが生の再獲得を願った気持ちはよく分かるし、それほどに歴史によってもたされる観念の固定化は人間の生き生きとした言語活動にたいして重荷となるものである。
階級社会の歴史もそうした重荷だったのであり、その意味では、マルクスの階級批判も評価しうるものといえる。
ただしニーチェの場合は、ギリシャ古典に関する解釈学から学問的に出発したことをみても察しられるように、歴史の鎖を断ち切ることなどは不可能であると承知していたといってよい。
むしろ彼は、歴史という舞台の上で、様々の固定観念を敵役にして、自分が詩人として言葉の演劇をいかに敢行してみせるかというふうに構えたのである。
歴史を無視したり軽視したりするのではなく、その功罪相半ばする偉大なるものとしての歴史と格闘するということだ。
つまり、いってみれば言語闘争史観に立つ闘争者、それがニーチェであった。
ニーチェは、ソクラテスプラトンアイロニー啓蒙主義の一種として激しく嫌ったのだが、ニーチェ書物を読み進んでみて分からされるのは、彼自身がアイロニストであり啓蒙主義者だということである。
しかしそのアイロニーキルケゴール的な深さと繊細さに達しているとは思われない。
というのも、その偶像破壊における攻撃性が過剰の域に及んでいると思われるからである。


23、ニーチェチェスタトンの差もここにある。
チェスタトンは神にたいする冒瀆を吐き続けるニーチェにたいして、「やわらかい心を持とうとせぬものはついにはやわらかい脳を持つに至りつくのだ」とからかっている。
人間には神を目指しながらそこに到達できないことに関する悲哀の感情があり、しかも神の眼差の下ではその悲哀の感情に溺れることすら人間には禁じられている。
しかし、両者の著作集を読んでみると、論理構造としてはほとんど同じだとも言える。
つまり、両者とも、パラドクスとアイロニーを多分に含んだメタファーによってしかその本質を語り得ぬものが言語であるということをよく弁えている。
歴史なるものがそうしたメタファーの巨大な集積としての一個の物語の体系であることも両者は知っている。
両者が異なるのは、結局のところ、既存の慣習がそうした類の物語たりえているかどうかについての判断をめぐってである。
19世紀後半においては歴史が生にたいする重荷であったが、今世紀ともなると、言語そのものが重荷となってきた。
ハイデッガーが言ったように「言葉は存在の住処」であるのだが、その存在とは何かというと、超越への思考をかすかにせよ背負った人間存在のことであり、その存在の様相を開示するのが言葉なのである。
ハイデッガーは、ニーチェリアンとしての詩人的素質を生かしつつ、そのことを哲学的に明らかにした。
ニーチェの書もハイデッガーの書もいわば語源学である。

 

24、で、現代人は言語を投げ捨てたかわりに、言葉の派生体にほかならぬ技術にすがったのである。
マシンだ、システムだ、といった類のものを寄せ集めて揺籠をつくり、そこで眠り込みはじめたのである。


25、だが、それらの衝動の噴出も実は「振り」にすぎないのだ。
ファミリーにおいてであれビジネスにおいてであれステイトにおいてであれ、オーガニゼーションな蜘蛛の糸のなかでしか生きられぬと普通の生活者は知っている。
衝動や欲動に身を任せるには、我々はあまりに普通人である。
ポスト・モダンの「振り」の背後には、依然として歴史が流れている。
現代の問題は、その流れのなかに推積している真に重い「振り」を、つまり歴史の知恵を掬いとろうとしない点である。
もっと言えば、その習慣的な知恵を自覚的な解釈にさらして、それを確かな伝統にまで固めようとしない点である。


26、その空虚を糊塗するための口実として他者との不平等を事々しくあげつらうことを許しているのが平等主義である。
そして平等主義が公認されるや、不平等をそれ自体として撃つようになる。
つまり宗教感情に転移させる必要なしに不平等を批判することができるようになる。
これはルサンチマンとしては変質であろう。
内向的ルサンチマンではなく外向的ルサンチマンであり、人間の内部に高密度に蓄積されるルサンチマンではなく内部の希薄さにヴェールをかけようとする弱々しいルサンチマンである。
弱められ拡散された外向的ルサンチマンが、平等主義の名目の下、スキャンダリズムコマーシャリズムの形をとり、それが大衆文化状況となって世間を駆け巡っている。

 

27、この十年、私は自分のことを保守派と称してきた。
もっと簡単にいうと、過去に最も関心を払うという意味で、いや未来への取り組み方の知恵すら過去の歴史によって示されていると考える点で、私は反動派なのだ。
どうしても万歳をいえというのなら、私は無階級社会よりも階級社会の方にそれを差し向ける種類の人間になりたい。

 

28、これに関連して思い出されるのは、文学者としては政治にかんする理解がいきとどいていたと思われる小林秀雄ですらが、戦後において、「政治というものは虫が好かない」というふうに気分表明をしていることである。
だが、この気分表明は、彼の作品群を読み進んでみるとわかるのだが、彼の本心のほんの一面にすぎない。
小林は、日本共産党に率いられた左翼政治のなかで多くの知識人がインテリゲンツィアとなり、政治のための手段として文学を利用するという敗戦直後の状況において、文学をはじめとして一切の表現が政治主義化されていくことに反発しただけなのである。
このことは、彼の戦前のエッセイのなかに容易に読み取ることができる。
たとえば、小林は従軍文学者として満州へ赴いた時に手持無沙汰にマキアヴェッリの『君主論』を読み、それへの深い理解を示している。
「人間とは本当に当てにならない代物である。
裏切りを犯し、嘘をつく。
しかしこうした当てにならない人間たちが、互いに国家を作り、都市を作って営んでいかねばならないということについての、全く当たり前の常識を述べたのが『君主論』である。
ここに示されているように、人間とは当てにならぬ、いかがわしい代物であるというところから政治論を展開するマキアヴェッリの立場、それは全く正しい構え方である」という意味のことを書いているのだ。
もう一つ、小林の有名な言がある。
大東亜戦争へ向けて、戦争にたいする文学者の心構えというようなものが盛んに議論されていたとき、彼はそれをからかって、「何というくだらないことを言うのだ。
戦争なんぞが始まったら、自分は文学者としての心構えなどではなく、一国民としての心構えで、やらねばならない戦争だったら素直に参加し、撃たねばならない鉄砲ならば素直に撃つ。
それが私の立場である。
一兵卒として戦争に参加すればいいのであって、文学者としてなどという高みに立った偉そうな思わせ振りな態度で、戦争という国家的大事変にいかに構えるかなどというのはしゃらくさい話である」と一笑に付している。

 

29、もちろん、言葉の機能は政治的なものに限定されない。
これは私の年来の主張なのだが、言葉はいわば「TEAM」の機能連関を有しているのではないか。
つまり、言語機能の多元性をとりあえず四元によっておさえるということである。
第一の機能はTransmissionである。
言語は他人に伝達され理解されることを予定している。
伝達機能を有しないような言語は単なる空気の振動ともいうべきもので、たとえばそれが独自の言葉であったとしても、想像の上で他者を理解を求めている。
第二の機能はExpressionだ。
言葉は人々に共同のものではあるが、実際に発語し執筆するのは必ず個人であり、いかなる集団も言葉を発することは出来ない。
言葉が個人の活動である以上、そこには必然的に個性の表現性が、いいかえれば独創性が出てくる。
仮にそれが模倣の言葉であったとしても、模倣の仕方のうちに個人の個性が表現されるのである。
表現とはとりもなおさず個人の独自性の表出のことにほかならない。
表現機能を有しないような言語は機械言語であって自然言語ではない。
いや、機械言語においても、そのプログラムの組み方のなかに個人の個性が含まれているというべきであろう。
第三の機能はAccumulationである。
我々はたしかに言語において自らの独創性を発揮し、そのためにネオロジーつまり新語を遣うこともある。
しかし、まったく新しい言語などはありえず、新語といわれるもの全てが旧語のもじりであり変形であり、旧語との繋がりがあるからこそ新語として理解されるにすぎない。
つまり、表現機能の背後には必ず古き意味・価値の蓄積があるのであり、それに解釈をほどこした時、我々の前に伝統が現れるのである。
ヴィトゲンシュタインが「言葉は慣習である」と言い、そしてさらに遡及すればソシュールが「言語は制度である」と言ったのはその意味においてである。
つまり、我々の表現を司るグラマーはどこからきたかというと、それは制度化された慣習の中からだというほかない。
この制度・慣習に半ば無意識の形で参照することをもって蓄積機能とよぶならば、蓄積機能なしにはいかなる言語ゲームも不可能であり、この機能を抜きにしては、言語は混沌たる不決定性の中に放り込まれてしまう。
その帰結は失語症であり、それは言語なき沈黙の世界である。
たしかに新奇さを狙うものとしての表現機能が旧式を守るものとしての蓄積機能を破壊し、その結果、正統なき異端あるいはオリジナルなきパロディーがオートマティズムのように繰り返されるのであり、そしてそれが言語障害にほかならぬと気づくとき、人々はむしろ沈黙の方を選びたいと思う。
現代文明にそうした気配が忍び寄っていることは否定できない。
とはいえ、ホモ・ロクエンスたる人間は沈黙に耐えることができず、家庭で学校で職場で議会でというふうに、喋りつづけかつ書きつづけている。
それは、表現を支える基盤がまだ消失し切っていないためだ。
つまり言語の表現機能が何とか健在なのは言語の蓄積機能が在命中だからなのである。
第四の機能は、Measurementである。
人間は、語曩についても構文についても、与えられた状況のなかで、そして自分の個性に従いつつ、適切なものを選び取らなければならない。
そのとき、選択のための基準が、たとえ無意識的であるにせよ、あるはずである。
もちろん基準は単一でも単層でもないであろうが、それら複合的で重層的な基準のなかに優劣の序列があるはずである。
このことにかかわるのが尺度機能である。
尺度は言葉の意味・価値にかんする選択にたいして形式的かつ潜在的な枠組みを与えるものだ。
この枠組みがなければ、表現も伝達も蓄積も叶わぬという意味で、それは言語における最も基底的な機能だといってよいであろう。
たとえば、我々が企業の利益について話してるとき、それは経営や勤労や技術にかかわる合理的システムのことをめぐる会話なのである以上、いわば科学の尺度にもとづいて言葉を選んでいる。
またそれが政情に関する会話なら、それはおそらくイデオロギーの尺度によって差配されているであろう。
このように、あらゆる言語活動は意味・価値の序列にかんする尺度を内包しているのである。
以上、合わせて「TEAM」の四元機能が言葉という精神の料理の栄養素である。
いや、その料理が供される「社会」という名の食卓を支える四脚である。

 

30、結論づければ、政治とは表現機能に傾斜した言語活動のことだとしてよいであろう。

 

31、その意味で、現代は政治と科学の時代なのであり、伝統的言語や宗教的言語は崩壊の途上にある。
そして時代を席捲する政治的言語と科学的言語は、両者を支える伝統や宗教の崩壊のため、不安定に動揺し、その振動の結果として互いに分離しつつある。
科学者は科学者として政治家は政治家としてそれぞれ自分らの特性をどんどん鈍化させていくという分離現象、それが現代における言語活動をエキセントリックなものにしている元凶なのではないだろうか。


32、文学・思想の営みは、少なくともその中心的な仕事の一つは、元来、科学的言語と政治的言語のあいだを媒介することにあったのではないだろうか。
伝統・宗教の言語が科学・政治のそれを外的に下支えするのに対し、文学・思想の言語は科学と政治を内的に媒介する。
また更に、この媒介作業を円滑に進めるために、文学・思想は伝統・宗教の次元にも降り立とうとするのである。
文学・思想は伝達性と表現性、論理性と感情性、そして認識性と行動性を媒介することに標準を合わせている。
あらゆる言語活動がそうした働きを示すものではあるが、文学・思想は、その本来の姿において、そのことに意図的に目標を定めるものだと私は思う。

 

33、また、知識の独立ということについてはヨーロッパは近代のはるか以前に遡る長い歴史をもってもいる。
知識の独立運動はヨーロッパに内発し、ヨーロッパの歴史を貫いている。
ギリシャ的懐疑とユダヤ的信仰ということがいわれるが、たしかに、古代から知識をめぐる懐疑と信仰はヨーロッパ的精神に異常な緊張を持ち込み、その緊張を味わうことによって、ヨーロッパの知識人は自立を掲げるにふさわしい強靭さを手に入れていたのだということができる。
何かを疑ることが考えることであり、そして考えるためには何らかの前提を信じなければならない、という二律背反に耐えることによって個人の人格と社会の精度に磨きをかける。
それはヨーロッパに内発せる「生の形式」であり、ヨーロッパに一貫する「歴史の形態」だといってよいであろう。
つまりヨーロッパにとっての近代とは、それ自身のうちに胚胎していた因子が成長したことの結果なのである。
しかし日本にとっての近代は、それを受容する容器が江戸期までにおおよそ準備されていたとはいえ、内容としては、やはり西洋からの輸入として成立したものである。
近代に対する信仰と懐疑すらが輸入品なのであった。
その結果、近代における日本の知識人のやり方は、外国から輸入された知識に寄り添うのか、それともジャパニーズネスつまり日本的なるものの全的肯定に立って、いかに西洋と対決するのかという二極に分解し、現在もそのままである。
前者のようにヨーロッパ(およびその派生としてのアメリカ)に従順を誓うのはそもそも自立の途ではない。
また後者のように日本に依存するのは、知識人としては自立の放棄である。
更には西洋との対決は生易しい仕事ではない。
西洋における言語的蓄積物は異様なまでに繁殖しているのであり、その覆いかぶさってくるものに抗っているうち、自己を見失ってしまう。
それゆえ、西洋との対決は、日本人にとって、自己とは何であるかという問いを果てしもなくつきつけてくる成行きとなる。
その自己への問いかけは、日本に独特の私小説の類がそうであるように、自己を自己という閉鎖圏に封じ込め、結局、そこで自己を抹殺させるに至る。
過去との断絶という形で近代を開始した日本にあっては、過去を幻想のうちに呼び戻すか、それとも自己確立の幻想に駆られるかの途しか残されていない。
前者は単なるロマンチシズムであり、後者は歴史なき自己が空虚にすぎないと知らされるという意味で単なるニヒリズムである。
欧米の知識人も、近代そのもののうちに歴史に対する破壊の傾性が含まれているため、同様の顛末を辿ってきたといってよい。
しかし日本の場合に、戦前にあってはヨーロッパの前、戦後にあってはアメリカの前に拝跪するという事情がその傾向を決定的なものにしたのである。

 


34、政治は常に不確定な未来にかかわる決定である。
変化の創造、それが政治なのだ。
加えて、その変化は国民的規模さらには国際的規模の影響を与えずにはいないような種類のものである。
大規模な不確実性に向けて変化を惹き起こすべく決定し続けるものとしての政治は、総合の作業を否応なく要請される。
そして、それら一連の作業にあって、理解と誤解、友愛と敵対、信頼と裏切、確信と猥疑など様々に二律背反の状況におかれ続けるのが政治家というものだ。


35、ウエーバーがいわんとしたのは、むしろ逆のことであって、人間は価値から自由になるなどということはできはしないしすべきでもない、それは人間として失格の徴であるということである。
人間は価値こそ自覚的に追求すべきだと彼は言ったのであり、だからこそ彼は、晩年において政治に真っ向から参画したのである。

 

36、同じようにして、言葉と行動という二分法にも注意が必要である。
たとえば三島由紀夫という大変に利口な人物ですらこの二分法に陥ったのであるが、かれはその「蹶起」の行動に際して、檄や演説という形で言葉を発している。
また切腹という行動にしても、それは日本古来の儀式にのっとったものであり、そして儀式とは先祖たちの言語的活動がつくり出した文化的産物である。


37、知識人の本来の仕事は、言語活動によって責任を問われることの少ないという有利な立場を利用して、むしろ政治家を知性と徳性の両面において励ますところにあるのではないか。
私が、政治家のことが気がかりなのは、言語活動における決断という要素が最もはっきりと現れるのは政治においてだからでもある。
未来へ向けて変化を創造するための方法はたくさんあるのだが、しかしその多数の選択肢をきちんと序列づける絶対の価値基準などはなかなかみつからない。
それにもかかわらず選択を成すのであるから、そこに決断の要素が頭をもたげてくるのは当然である。
もちろん政治家にかぎらず、あらゆる表現者は、たとえば作曲家における音の組合せにおいても文筆家における単語の結合においても、瞬間の決断を下し続けてはいる。
しかし、取り消し不能の決断つまり不可逆の決断が最も強く作用するのは政治においてであり、しかもその決断が失敗に至ったとき、死活とはいかなくとも人生上の出処進退について責任を厳しく問われるのも政治においてである。
この点で、政治に何らかの形でかかわってみることは、言語活動における決断の意味を知る上で重要と思われる。


38、わかりやすい例で言うと、田中角栄氏や中曾根康弘のような前首相がマスコミの仕掛ける訳の分からぬスキャンダルによって叩かれたとき、日本の知識人のやったことは、そのスキャンダリズムの先頭に立ち、あるいはその末端に連なって、それら政治家を叩き潰そうとする世論の一翼になりおおせることばかりである。
またそうしておけば善良なる知識人としての立場を保証される、それが日本の世論であり、知識人の言論もその世論にぴったりと寄り添っている。
政治家がおかれた状況、そこにおける決断や責任の要素を慮りつつ、政治家の姿を世論とは違った形で描き出すのが知識人の仕事であるはずなのに、そうでなければ知識人なんぞ無用の長物と決まっているのに、今の知識人にできるのは世論の図柄をなぞることだけときている。
小林秀雄は、田中角栄氏はダーティーな政治家であるという世評が散々あるのを承知の上で、おそらくその政治家としての力量に大きなものを感じてのことであろう、またそのことを周囲に気づかせようとしてのことであろう、田中氏の文章を誉めてみせた。
その『私の履歴書』における文章にゴーストライターの手が入っていることを承知しつつ、しかしゴーストライターに名文を書かせた力量は田中氏のものであるという判断に立って、そうしたのであろう。
川端康成も都知事選の候補であった秦野章氏の宣伝カーに乗り、老いの身であるにもかかわらず応援演説を続けた。
私の想像するに、川端の思いは、三島の「言葉の徒は空しい、行動の主体でなければならぬ」という思いと重なるものである。
政治的実践さらには生活的実践および宗教的実践からも切断された現代の知識人は自分の吐く言葉の究極における無効さと空虚しさを前にして慄然とするのだ。
三島や川端の振る舞いに異常のみ見るのは、現代が言葉というものに対して慄然たる状況をもたらしているということについて鈍感な証拠である。
小説であれ評論であれ、言説によって生きることを固く決意したはずの、しかも言説において大きな成果を示したはずの人々が人生の晩年において、ほとんど裸のままで、政治にかかわっていかざるをえなかった経緯は、知識人というものの悲劇の構図とその構図をも読みとろうとする知識人の矜持をよく示している。

 

39、そして保守思想とは、こうした漸進性と持続性こそが歴史の連続性を保ってきたのだと考える思想である。
保守思想は、人間の表現のうちに決断主義といういわば不連続性の要素があると見極めるために、かえって、その決断を漸進的かつ持続的なものにするよう図るのだ。
またそういう意図が人々の暗黙にせよ保たれていたからこそ歴史があるのだと考える。
そして保守思想が他者に語りかけるものとしての「思想」であるのは、その暗黙のものを明示し、そうすることによって近代における歴史の破壊に歯止めを与えようとするからにほかならない。

 

40、つまり民主主義は、その絶頂において、自らを否定するのだ。
少なくともそういう傾向を孕んでいるのが民主主義である。
またそこまでいかなくても、民主主義政治は、その喜劇の外観の下に、いくぶん悲劇的なヒロイズムを隠しもっている。
それだけ政治の決断は影響が甚大だという事であり、喜劇の笑いごととしてすまされぬ場合が多いということだ。


41、私はアメリカに靡くものたちに抜き難い反発を感じていた。
敗戦の年に私は小学校に入ったのであるが、それから半年も経たずして、私の眼前に次々と現れたのは、アメリカ的なるものによって、精神的な意味で、去勢されていく日本の男と強姦されていく女たちの群れであった。
それ以来ずっと、私は「反日」であった。
ただし、その場合の日本とは、戦後のアメリカナイズド・ジャパンの事である。
私の求めていたのは日本そのものである。
「日本そのもの」は世界との共同性に根差しているのだとしても、つまり世界に共軛されるものだとしても、日本の固有性を望まずにおれなかったのである。
また私の姿勢は反米であったが、それはアメリカそのものに対する反発のことではない。
日本人被った仮面としてのアメリカ、それを剥がしたいと思っただけの事である。


42、もっとあっさり言うと、日本人にはホンネなどありはしないのだ、という仮説について考えてみてはどうかという事だ。
ホンネを隠して、タテマエとして周囲に迎合するのは人間が利口であることの現れとも言える。
しかし、周囲への同調が生き方の鉄則になってしまっているのだとしたら、ホンネとタテマエの区別など意味をなさない。
ホンネが根腐れの状態になれば、タテマエも枯死する。
そこに残るのは、ホンネの腐敗をもたらした張本人、つまり明治この方の、そしてとりわけ敗戦後の、近代主義イデオロギーだけだという事になる。
戦後についていえば、「平和主義と民主主義」そして「進歩主義ヒューマニズム」が、あたかも化学肥料の大量投与によって奇型の野菜がつくられるように、日本人のホンネを根腐れにし、それにつれてタテマエをも無意味にしつつ、我々の精神の土壌に推積されているのではないか。
ホンネ、それは仮面の姿でしか生きられなくなった我々の単なる嘆きの声にすぎないのではないか。


43、日本人がタテマエ論を好むというのなら、タテマエとして、戦争で死んだ同胞を追悼し、それら同胞を殺した旧敵国に一定の距離をおいて付き合うのがルールでありマナーというものだと私は思う。


44、いいかえると、歴史を軽蔑し伝統を放棄するとき、ホンネもまた無くなるという事である。
言葉が歴史的存在であり、それゆえ人間が歴史的動物であることを忘れた国民は歴史解釈としてのホンネをもつことが出来ない。
私の育った戦後といういわば疑似時代の真の恐ろしさは、ホンネなき影のような人の群れを産み落としている点にある。
そういう時代ともいえぬ時代の第一期生に当たる者として、私は敗戦にはじまるアメリカナイゼーションにこだわらずにはおれない。


45、いずれにせよ、私の革新したいのは戦後日本に対してであり、そして私が保守したいのは日本の伝統である。
繰り返すと、日本の慣習そのものを保守したいのではない。
慣習に対する解釈を通じて、慣習の中に埋もれているはずの価値の基準めいたものを守りたいという事である。
他処で何度か指摘した事だが、戦後にあっては、保守と革新ということ自体が倒錯せる観念となっている。
なぜなら戦後という伝統破壊の現状を維持するのが保守であり、それを破壊するのが革新とされているからだ。
少し注意深くいうと、戦後にあっては、伝統破壊における急進主義が保守であり、それにおける超急進主義が革新とされているにすぎない。
慣習といい伝統といい、それらを保守するという主観的な構えあるときにはじめて、客観として漸進的に破壊されていくといった種類のものである。
戦後日本がアメリカナイゼーションの路線を歓迎し、その路線をひた走るのをみて、アメリカは自分のかざした価値が普遍性と将来性をもつ立派なものだと過信したのである。
それは「七つの大罪」のトップに掲げられるものとしての「高慢の罪」と言うべきだ。
自分の負かした相手からも学ぶのが本当の勝利者というものだからである。


46、アメリカは西欧の子供であったのだ。
西欧という大人は、富裕に格別の価値をおくと貧欲(第四の大罪)にはまり、それが好色(大三の大罪)と大食(第六の大罪)をもたらし、最後には怠慢の大罪に至るという事を、ローマ時代以来の経験でよくわかっていた。
また彼らは、平等に特別の価値をおくと、不平等の現実に対して嫉妬(第五の大罪)を抱き、悪平等の現実に対して忿怒(第二の大罪)を示し、どちらに転んでも人間は高慢の大罪に達すると察していた。
だから西欧にあっては(特にその中核であるイギリスにおいて)、産業制と民主制の発達には常にいくばくか、意識的に抑制がほどこされてきたのである。
アメリカはそうした近代の裏面における抑制装置を失った、いやそれがないことをむしろ誇りとして、近代主義の純粋形態を新大陸に創造しはじめたのである。
そして戦後日本はそういうアメリカのそのまた表面を更に鈍化する形でアメリカナイゼーションを推し進めたわけだ。


47、ヨーロッパは、そしてアメリカも少々、近代の公認のスローガンとして表面では富裕と平等を掲げはしたのだが、裏面ではそれを疑うという事を知っていた。
戦前の日本人も、そこに過剰なナショナリズムが込められる事が多かったとはいえ、近代を疑いつつ近代化に取り組んでいたといってよい。
しかし戦後日本は、敗戦で腰を抜かすと同時に、近代への懐疑をも失った。
懐疑を失って信仰のみに走る人間集団は、外部からの圧力がかからないかぎり、所定のクレドつまり信仰箇条に従って疾走する。
この力強い走行のおかげで戦後日本は技術大国となり民主大国となった。


48、19世紀のヨーロッパ知識人からみてアメリカに出現しつつあった「世論の支配」は文明の凡庸化を示す歴然たる兆候であった。
それから1世紀以上も経って、戦後日本では「世論の支配」が進歩の印と誤認されたわけだ。
そしてこの誤認は人間に対する誤解に基づいている。
つまり、人間のペルフェクティビリテという18世紀中葉の西欧における啓蒙主義の人間観が、2世紀のち、この島国に復活したのである。


49、近代の成立と国民国家の登場とおおよそ揆を一にしているのであるが、その場合のネーションとはあるまとまりをもった慣習の体系の事であり、そしてそれを下部構造として、その上に立つ上部構造としての具体的な法律に基づいてつくられる具体的な制度とがステートである。
より広くいうと、ルール意識の基礎は国民の歴史解釈にこそあるといってよい。
日本の近代化はこの歴史解釈を投げ棄てるところに出発した、といってあながちいいすぎではないのである。


50、近代における深層のルールは自由と平等の観念によって構成されているといってよいであろう。
日本人は、とくに戦後において、平等の意味はよく理解したようであるが、自由の意味についてはそれをまだ把握していないようにみえる。
というのも、日本人はえてして「機会の平等」だけでなく、「結果の平等」をも要求しがちであり、そして「結果の平等」は自由を侵害するものなのである。
また日本人が自由をいうときには秩序に従うという責任のことが等閑視されがちである。


51、さて、日本は、近代以前から感情共同体としての強いまとまりをもっていたという意味で、大衆社会に変換されやすい文化構造にあったといえる。
そこへ最後の強力な触媒として産業化と民主化とからなるアメリカナイゼーションが注入された。
しかもそれは近代において公認されているスローガンでもあった。
日本という感情共同体は、それが独得の集団運営方法にまで精緻化されていたおかげで、近代における公認の価値を盛り付ける恰好の容器となり、更にはその事をつうじて最高度に発達した大衆社会へと変貎したのである。
この過程が高速に展開された半世紀、それが戦後日本ということではないだろうか。
かくして、私の戦後日本に対する反発も、アメリカナイゼーションへの反発というよりむしろ、大衆化への反発だという事になるのである。


52、デモクラシーという言葉は誰もがよく使う。
そしてデモスという言葉が「民衆」という事を意味するギリシャ語だという事も少なからぬ人々が知っている。
しかし、オクロスという言葉はあまり知られていない。
オクロスとは「衆愚」という意味であり、それゆえオクロクラシーとは衆愚政治という事である。
少なくとも知識人における社会認識の中心的論点としてオクロスの事が論じられた事は一度も無いのである。
そのことをよく示すのが、デモクラシーの事を「民主主義」と訳すばかりで、それを字義通りに「民衆政」と訳す事があまりに少ないという事実である。
民衆政となれば、その政治の良し悪しを決めるのが民衆(の多数派)の質であるということが浮彫になる。
しかし民主主義としたままでいると、民衆を主権者として持ち上げるという論調になりがちなのである。


53、このように我々の感情共同体における集団感情は必ずしも安定してはいない。
劣等感と優越感のあいだの平衡の支点を求めるならば、その過程で自他の民族の性格と互いの関係が見定められ、その解釈を基点にして集団感情の安定を図る事も出来るであろう。
しかし、そのためには自分らの感情を言葉によって仕分け批評するという仕事が必要になる。
つまり言挙げがなければならない。
だが、日本が感情共同体である所以はまさに言挙げをしない点にあるのであるから、この仕事が日本人にとって容易であるわけが無い。


54、しかし、この想定には何の根拠も無い。
論証不能であるばかりか、民主主義の名において行われた近代200年の夥しい殺戮や堕落によってそれは実証的もにされているといってよい。
それもそのはず、人間の理性的能力に対する礼賛が、それ以上にその能力が完成に向かっているという想定が根本的に認め難いものなのである。
人間の理性的能力の大きさとその完成への可能性の強さが多数派の言動に傾向として現れているとみるのは、いかにも軽率もしくは傲慢な人間観であり社会観であるというしかない。


55、戦後日本は、トレンドとしては、明らかに理想喪失状態に向かっており、それゆえそこにおける自由もネガティヴな性格のものに偏している。
そしてこうした事態をもたらした根本因は戦後における伝統破壊にあるとみるべきである。
ありあまるほどの豊かな自然をもった日本が、その有難味を忘れたせいで大胆な自然破壊に突入しているように、稀にみる長い歴史をもった日本は、その貴重な精神的財産を(たかだか戦争に敗れたくらいで)否定して、盛大なる歴史破壊に乗り出したのではないか。

 

56、なぜこうなったか。
わかりやすく言うと、西欧は1世紀も前から、自らの理性的分析に反省を加えて、感性の回復をめざした、少なくともその必要を自覚した。
この反省作業によって、過剰な分析主義が抑えられ、そして感性の働きによる総合化とでもよぶべき方向が模索され始めた。
これに比べ、戦後日本のなしたのは、主として、ディスプレイスメントつまり転移の操作である。
感覚における分割主義を技術の平面に転移させてハイレベルの分析主義を推し進めているという事だ。
その結果、我々の感覚は繋留点を失って漂流しはじめたという次第である。
我々に必要であったのは、感覚を単に分割するだけでなく、分割された諸要素のあいだに確かな脈略をみつける事ではなかったのか。
そして脈略が問題だとなると、理性の働きが要請され、それがひいてはルール意識の確立というところにまで進んだであろう。
論理に裏打ちされる事によって、我々の感情もより持続的なものになりえたであろう。
しかし、我々のなしたのはこうした感性と理性を合体させるという仕事では無かった。
理性の力は技術の方面に特化させて登場し、感性の力はむしろ荒れ狂うに、というよりも流れ出るに、任せたのである。
世論といわれているものがこの有り様をよく示している。

 

57、要するに、どうでもよい事柄についての能力を期待するというような不条理をさらしてやむ事が無い、それが日本の世論というものだ。
西欧の世論とて似たようなものだとも言えるが、世論の不条理を撃つ言論は西欧における方が活発だといってよい。
またそうであればこそ、世論が直接的な影響力を行使するようなデモクラシーは弊害多き直接民主制として排されて、議会における討論を重んじる者としての間接民主制の方がよしとされているわけだ。
日本では、アメリカもそうであるが、この単純な常識が通用しない。
脈略・筋道・論理がどうあろうとも、それが天下の世論であるという理由だけで、不条理な感情論が政治のみならず全社会のあり方を左右している。
これこそ日本が高度大衆社会である事の、つまり大衆とその代理人が権力を掌握した事のまぎれなき証拠だと言うべきであろう。
結局、戦後日本人の最大の特徴は何かと問われたら、会話・討論・議論をしない点だと答えるのが適当だという事になる。
会話なき家庭、交語なき学校、討論なき議会、議論なきマスコミというふうに数えていくとき、そこに浮かび上がってくるのは、失語症者の巨大な群れというイメージである。