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思想家の吉本隆明 『見えだした社会の限界』を読んで。

(この本は1992年に発行されたものです)


1、国際連合平和協力法案は、武器をもたず、武力を使わない前提で、国際連合の反侵略決議に協力するのだから、永久に戦争はしない、軍事力はもたないという憲法第9条に違反しないと自民政府は言う。
だが国際連合が、ひとつの国家の侵略行為を退けるため武力を行使すると決議した場合には、協力じだいが、武力を使った戦争に、自動的に参加した事になる。
強力じたいが、武力を使った戦争に、自動的に参加した事になる。

 

2、この第9条を積極的に主張する事だけが、現在の社会主義国と資本主義国を超えて、日本が未来へ行けるただひとつの切符なのだ。
お粗末な幻想的な切符だが、これを積極的に主張しきるよりほかに、わたしたちの国家も現在の世界中のどの国家も、未来へ行けるはずがない。
そしてこれを主張しきる可能性をもっているのは、世界で日本の一般大衆だけだと思う。
現在の日本国政府が、国連決議に協力したいのなら経済的な援助だけに限定すべきで、そのほかの事はすべきでないと思う。

(僕は、この吉本隆明の思想を真っ向から反対します。
思想そのものに反対です。
二次的に反対すると、湾岸戦争で、日本は金だけを出し、戦後、どれだけ世界から非難されたか、本当に吉本隆明は理解しているのであろうか?
国連軍が戦地で血を流して命を犠牲にして戦ったのに対し、日本は金だけをだした。
それは世界中から非難されて当然であろう。
日本は小国ではなく大国であったのだから尚の事である)

 

3、前にも書いたが、今度のイラクによるクウェート侵攻と、アメリカが主導権をもってはじめた国連の決議にもとづくイラクに対する経済封鎖と武力制圧の準備には、世界の国家が新しい叡知を手にいれたと感じさせるものを、ほとんどもっていない。
アメリカはかつて半世紀ちかくも前に、独善で、粗暴な日本国のアジア大陸侵攻を封じ込めるため、オランダ、イギリス、フランスなどアジアに植民地をもつ国々を誘って日本を経済封鎖し、戦争に追いこんだ。
それと同じことをイラクにたいし繰り返している。
また、イラクフセインは、天皇をいただいた日本の軍部と同じように中東の盟主を気取って無ブナクウェート侵攻をやりながら、反省の色をしめさない。
これも半世紀前のままだ。

 

4、11月12日の天皇の「即位礼」と、11月22日夜からの「大嘗祭」は、パフォーマンスとして様々な副産物を、わたしたちにみせてくれた。
面白かった順に項目をあげて感想をひとこと、ふたことずつ述べてみたい。
まず「即位礼」のほうからだ。
第1位 高御座
これはそれぞれの地方の神社で祭のときかつぐ御輿のなかに、鏡の代わりに天皇が座ったものだと初めて分かった。
古代やそれ以前でいえば、首長の兄がそこに終身座る生き神(現人神)になって神託を告げ知らせ、その弟がその地方の政治を司る形だと思う。

第2位 花柳幻舟の爆竹さわぎ
花柳幻舟の名を久し振りに聞いた。
彼女は青山一丁目交差点の道路中央に向け、天皇のパレードに爆竹を投げた。
家元制と天皇制度は同じだというのが語られたスローガンだ。

第3位 全国36か所で火災(ボヤ)
新聞は過激派によるものと断定していた。
もちろん誰が考えても、こういうご丁寧な事をやるのは、そのあたりということになる。
これもご苦労な事だとしか言いようがない。

第4位 イギリス代表ダイアナ妃とブータン代表のファッション
このふたりのファッションは、招待されて「即位礼」にやってきた各国の代表のうち、群を抜いて見栄えがした。
ダイアナ妃のほうは着こなしの好さで、年期の蓄積の深さを感じさせた。
ブータン代表の派手で大胆な模様の民族衣装は荘厳好みの「即位礼」の雰囲気をまったく気にせず、しかも恰好のよさは際立っていた。

第5位 社会党委員長土井たか子の式典参列
この人は昭和天皇の危篤のときも、記帳に出掛けていた。
左翼的硬直からソフトになることは確かにいいことだ。
だがこの人のソフトは朝日新聞岩波書店のソフトと同じで、スターリン主義の党派性は変えようとしないで「象徴」や資本社会と仲良くしよう、なあなあでいこうというソフトだ。
本当のソフトはそんなのとは全く違う。
それを言ってみればスターリン主義(今の社会主義諸国)よりも高度資本主義国のほうが、民衆を経済的にも文化的にも思想的にも「欠乏」からよりよく解放したからより優れている。
だがまだ「段階」から一般大衆を解放していないから、結局は、これを超える理念と方策がつくられるべきだ。
こう考えるようになれたら、本当のソフトなのだ。
この思考の転換をできない党派、諸個人は、結局だめだと思う。

 

5、わたしの「大嘗祭」挙行についての考え方は単純なので、それを初めに言っておきたい。
大嘗祭」が皇室費を出して、天皇家の家祭として行われるのなら、どんなに神秘的でも、神道宗教派的であってもまったく自由なことだ。
国家予算を25億も用いたことだけが、不当だということになる。
だがこの不当さは新憲法天皇規定である国民統合の「象徴」から直接やってくるので、新憲法を擁護してきた党派や市民主義にはこの不当さに反対する根拠はないと思う。

(この吉本隆明の視点には、真っ向から苛立つし、反対する。
天皇崩御を”面白い”とは何事か。
うん…吉本隆明という思想家(思想)に幻滅した。
吉本隆明 『共同幻想論』以外の本は捨てようと思う)

 

6、昭和16年は西暦で1941年にあたる。
ちょうど半世紀前だ。
12月8日、朝7時の臨時ニュースで、「本8日未明帝国陸軍ハ南太平洋ニオイテ米英両国ト戦闘状態ニ入レリ」というラジオの発表があった。
私は旧制工業高校の5年生の2学期末で、受験をひかえたひとかどの文学青年であった。
でも世相が嵐のまえの静けさで、重苦しい日々が続いていたので、この発表とそれにつづく真珠湾のアメリカ海軍基地への奇襲攻撃のニュースは、たいへんな解放感だった。
それもまた昭和16年12月8日からあとの見聞をもとにしている。
そのとき世相が重苦しく感じたわけを、すこし並べてみる。

1月20日 お米の自由営業が廃止。

2月26日と29日 和歌山市の中学校が夏休みを全廃。
新潟県の実業高校の商業科が廃止され、工業科農業科への転科が決められる。

2月 東京上野動物園でエサ不足のため猛獣を殺す。

3月 大阪に割バシ節約のため、外出のときハシをもって歩く会が発足。

7月25日 アメリカが在米の日本資産を凍結。

8月1日、日本への燃料と航空機潤滑油の輸出禁止。

9月8日 全国理容連盟が男性の髪形を規制した。

11月 アメリカ、イギリス、オランダから日本人引き揚げ。

12月 俳優の芸名を禁止して本名にした。

こんな国内情勢をとり囲んで、アメリカは東洋に植民地をもつフランス、イギリス、オランダと共同で海上から日本の石油封鎖を行っていた。
こういったすべてが重苦しい雰囲気をつくっていて、12月8日の解放感につながったのだと思う。

 

7、そして12月8日の真珠湾攻撃の成功もだんだんと形勢がわるくなり、ミッドウェー沖の海戦で海軍力が決定的に壊滅状態になり、それからは大陸では陸軍が、南太平洋の島々をめぐって海軍が守勢にまわって、だんだんと戦線を縮小し、沖縄に米軍が上陸し、とうとう広島・長崎の原爆投下と日本列島全体の空爆破壊がひどくなって、無条件降伏をむかえる。
ところであれから半世紀にわたしたちは再びそのときの日本の「まぼろし」とそのときのアメリカの「まぼろし」をもう一度みることになった。
日本の「まぼろし」とはフセインイラクであり、アメリカの「まぼろし」とはブッシュのアメリカであり、太平洋戦争の「まぼろし」は中東湾岸の戦争のことだ。
天皇東条英機に象徴されるそのときの日本が鬼畜米英と罵りながら無謀な戦争に突入し、たった一時溜飲をさげた代償に、数百万の同胞と兵士たちを死なせたように、フセインイラクはアメリカのブッシュを悪魔と罵りながら強情をはって戦争にもならない安っぽい戦をして、イラク民衆を多数死なせた。
ブッシュのアメリカは半世紀まえ日本にやったと同じように、中近東に植民地をもっていたイギリスやフランスを語らい、ソ連の合意をとりつけてイラクを海上封鎖し、戦争に追い込んだ。
私は半世紀前には日本の愚かな軍国学生のひとりとしてアメリカにたたきのめされる敗戦を身をもって体験した。
そして50年を経て、今度は傍観的な位置から冷静に客観的、つぶさに中東湾岸戦争を観察し、分析させてもらった。
言い換えれば愚かなフセインイラクと、冷酷無残なブッシュのアメリカのやり方を、外部から眺める機会に出会ったのだ。
フセインイラクがどうして愚かかといえば、半世紀前の天皇東条英機に象徴される日本の指導者と同じように、国内や地域の支持者が多いのをいいことに、世界的な視野から自分達の姿を逆にイメージできるような見識に欠けていた。
そして無謀でひとりよがりなクウェート侵攻をやり、世界世論を無視して強情をはった挙句、アメリカ、イギリス、フランスの武力行使を誘発してしまった。
ブッシュのアメリカは半世紀前から少しも進歩がなかった。
世界中のどこでも強大な武力を背景に、自分の言い分を押し付け、ままにならなければ冷酷に圧し潰して主張をとおしてしまう。
このやり方に少しでもよい見識の部分がなくなってしまったときは悲惨なことになると思う。
これはソ連がほぼ1世紀のあいだ知識の世界に押し付けてきた迷信が悲惨を招いて、いま崩壊にさらされているのと同じだ。

 

8、8月2日、イラク軍がクウェートを侵攻し、たちまちこの小国の全土を制圧した。
アメリカはECとソ連に同調するよう誘うと、これもたちまちペルシャ湾を海上封鎖し、食糧攻めの体制をつくるとイラク軍の完全撤退を求める世界世論と艦隊による包囲網をつくりあげた。
第一に着目して欲しいのは、米ソの配置の変化だ。
昨年来のソ連や東欧圏の激変がなければ、ソ連や東欧はイラクの侵攻を支持し、米国やECがクウェートを支持して、イラク軍の撤退を求める構図になったに違いない。
場合によってはベトナム戦争のようにソ連圏と米国圏の代理戦争の様相にまで発展することになるのかという心配もおこったろう。
だが今度は違う。
米国はまず、同意をとりつけられないまでもソ連に共同歩調を求め、ソ連も内心はともかく海上封鎖に名目的に参加しているという報道もある。
世界の世論は一致してイラクを非難し、イラク軍のクウェートからの撤退を求め、戦闘などなしに、はやく事態が鎮静することを願っている。
この新しい構図の変化にまず注目すべきだ。
第二には、変わらない古い構図に着目し、いつも批判の眼を磨いているべきだと思う。
まずアメリカ、その次にソ連は、本当は国際的な威信も指導力ももたないのに、今回のイラク軍のクウェート侵攻にたいして、かつてのベトナム戦争のときと同じように、国際世論の牛耳をとり、武装力の示威でイラクを圧服できると思いこんで、強硬でかたくなな態度で真っ先にとび出している。
ソ連が半ば同調しているため、アメリカはベトナム戦のときよりも居丈高だといってもよい。
これと見合うようにイラクフセイン大統領の強引な武力侵攻も、発展途上国に特有なカリスマ的な指導者の独善さを捨てようとしていない。
貧しさから抜け出したいという民衆の解放の願望が、たやすく、神がかった民族至上主義に結びつくよう煽動している。
このアメリカとイラクの構図は否定すべき古い構図だ。
国家が強大な武装力を背景に他の国や自国の民衆に威圧を加えて何でも押し通してしまうことができる。
そんな世界はいまはっきりと崩れつつあるのに、まだそんなことがまかり通れるとアメリカは勘違いしている。
アメリカはただ軍事力の強大さ以外に何の取り得もないのに、世界にたいする自国の指導者を誇示しようとして、余計な深入りをして危機と緊張を高めている。
ソ連やECは海上封鎖に誘いこまれそうになって自分の役割の決定を迫られ、日本は海上封鎖によるイラクの緊めつけに伴うイラク以外のアラブ諸国へ経済援助する役割を、アメリカから押し付けられようとしている。
この古い構図に、批判の眼を見張っていることは、さしあたって大衆という理念の水準をつくりあげるため必要だと思う。

 

9、消息通は兎も角も、わたしたち日本の一般人は、なぜイラクフセイン大統領がクウェートに侵攻し、アメリカの経済封鎖や国連決議の期限つきの撤退要求にたいして、まったく応じないで、戦争も辞さないほど固執するのか、ほんとはよく理解していない。
またアメリカが戦争に訴えてまでイラククウェート撤退と湾岸問題に固執するのかも理解できない。
またこのアメリカとイラクの直接会談の物別れのあとで、フランスのミッテランなどが調停者の顔をしてでしゃばってくるのも、国連事務総長イラクに乗り込んで何をするのか、それもよくわからない。
また日本の保守政府が、それほど世界の大事と考えているのに、独自のコメントやステートメントを発表できない理由も、まったく不可解なことだ。
そのくせテレビや新聞の報道関係者や中東研究者や知識人だけが、アメリカとイラクの演じている馬鹿騒ぎで、世界がひっくりかえりでもするかのように緊張の面持ちで息を殺し、葬式みたいな顔をしている。
私の常識的な判断では、石油の輸入と産業や資本の輸出のほかには、日本はイラクにも中東全体にも直接の利害はないはずだ。
また政治や宗教の錯綜した関係をくぐる必然はもっていない。
日本の新聞やテレビのイラク問題の報道の姿勢は、すこしピントが違っているのではなかろうか。
私は今度のイラククウェート侵攻と、アメリカが世界中の国家を強制したり、勧誘したりしてやっている対応に触れるのはこれで三度目だ。
1月15日が国連武力行使決議によるクウェート撤退要求の期限だ。
それがどう展開するのか、一介の物書きにはまったく推測できない。

 

10、何しろわが架空の国家は、対外資産も対外経済援助額も世界第1位にある、クウェート占領で得られるイラクの権益額に相当する経済的な贈与は、それほど困難ではなく、それで民衆の生活が圧迫されることは、ほとんどないからだ。
かりに多少の圧迫があっても、アメリカとイラクの戦争による生活の圧迫よりはましだから、問題はない。
もし、わが架空の国家のこの調停案にたいして、イラクフセインが、われわれは経済的利害でクウェートを占領したのではない、パレスチナの歴史的紛争の一環なのだと主張するのなら、勝手にしろというよりほかない。
アメリカのブッシュが、われわれはたんに中東湾岸の利害で動いているのではなく、デモクラシーと国際協調の理念のために先頭で戦うのだと主張したら、やはり勝手にしろというほかないと思う。
わが架空の国家は世界第一の対外経済力をもち、武力による国家間紛争の放棄をうたった、世界でいちばん優れた憲法条項をもっているが、その外の力は何ももたないからだ。
そしてわが架空の国家は、1月15日の国連武力行使の期限に向けて、調停案がイラクとアメリカの受け入れるところとならなかったゆえんを内外に宣明し、この紛争のいっさいに責任をもたないことをはっきりさせるとともに、失われてゆくだろう民衆の生命に限りない遺憾の意を表することにする。

 

11、2月27日、アメリカ大統領ブッシュは米軍と多国籍軍の攻撃停止、クウェートの解放完了、イラク軍の敗北を宣言した。
これで事実上、中東戦争は終わった。
いくつか、私なりの感想を言ってみる。
第一に生々しいところで、アメリカ軍の主導する多国籍軍は、たしかに予想していたよりずっと短時日に圧倒的な勝利をえた。
これにたいし、イラク軍は私などの想像よりはるかに弱かった。
でも何はともあれ戦闘は終わり、人々の生命がもうこれ以上失われないのはいいことだ。
そう言ってみるものの、イラクフセインの敗けっぷりにも、アメリカのブッシュの勝ち方にも、何ともいえぬ苦々しさと、人の生命を粗末にする者たちがという不快さはつきまとう。
この不快さがどこからくるのか、よくよく自分の心を探ってみると、戦争の始め方が、半世紀前の日本の天皇プラス東条と、アメリカのルーズベルト・プラス・トルーマンのやり方に似ていたように、戦争の終わり方が、軍国日本の敗北とアメリカの主導する連合国の勝利の図式と似ていることだ。
おまけをつければ、フセインイラクは軍国日本よりもはるかに脆く弱かった。
神がかりの東亜の盟主気取りの日本と神がかりアラブの盟主気取りのイラクはよく似ていた。
大量の物量を投下して徹底破壊をめざすアメリカの作戦のやり方も、半世紀経つのに変わらなかった。
このフィルムを半世紀逆戻りしたようなアメリカの勝利とイラクの敗北の図式は、絶望的に思える。
たぶんイラク国内の敗戦による混乱もアメリカの中東全体やイラクへの介入の仕方も、太平洋戦争の後始末に類似するに違いない。

 

12、ちょうどイラクフセインがアメリカ軍やブッシュ大統領を「悪魔」よばわりして空景気をつけているのをテレビで見ながら、私はアジアやオリエントは、なぜいつまでも迷妄で哀しいところなんだと、やりきれないおもいだった。
これに対し、アメリカは強く苛酷で容赦なかった。
私はこれで二度、アメリカのほんとの正体を見た気がしている。
一度は軍国日本の一民衆として叩きのめされ、その上なかなか見事な人道的な占領者として振舞われて、なるほどアメリカ的なデモクラシーとはかくのごときものかと感服し、たくさんのことをアメリカから学んだ。
だが今度の中東戦争に対しては、もっと成熟した冷静な分析を加えながら、アメリカの同じ戦争のやり方を見ることができた。
現在の世界圏の中でのアメリカの位置と、その位置からのアメリカの戦争のやり方を、私なりにかなりはっきりと正確にみることができたと思う。
これを見た私の分析的な眼には、半世紀前のような感服すべき場面はまだ見えていない。
もちろん、やみくもな敵対感や憎悪もない。
そのかわりに冷徹な批判の眼をフル回転させながら、人間の生命が兵器によって潰されてゆくピシャッという音なき音を聴き続けた。


(どうも吉本隆明の視点、思想は、矛盾を含んでいる。
だが後半は割とまともだったが、…吉本隆明なら、もっとまともな事を言えたはずで、…一体、どうしたものなのか?と疑問符をうたずにはいられない。
同じ思想家の西部さんと比べると、吉本隆明氏の思想は西部さんの思想に到底及ばない。
レヴェルが違い過ぎる。
吉本隆明氏の名著は「共同幻想論」のみ。
それに対し、西部さんの思想本は、ほぼ全て名著と言って過言ではありません)