森本敏 『日本防衛再考論―自分の国を守るということ』を読んで。

(この本は2008年に発行されたものです。

森本氏は軍事のエキスパートで、以前、民間から防衛大臣を務めた事があります。)

 


1、グローバルな問題に取り組む役割が広がってきました。
そうした変化を受けて、今後、日本は国家の安全や防衛をどうすべきか、また、どういう国にしなければならないのかという問題に直面しています。
しかし、この問題の結論を導き出す前に、周辺地域の状況を押さえておくことが不可欠です。
従って、まず、中国をどう見るか、それから北朝鮮の脅威をどう考えるかを含めて北東アジアの情勢を見ていきたいと思います。
東アジアの情勢を展望する際に、重要なのは、日本の安全保障にとって脅威とかリスクとかは何かを正しく認識することです。
ところで、米国の専門家は、”2025年頃に東アジアで大規模な戦争がある”と見ています。
それによると、地域紛争や新しいタイプのテロは今後、増えると予測し、特に、日本を含む北東アジアについて「大規模な戦争が起こる可能性が最も高い地域」と懸念を表明しています。
これ以外にも米国は、冷戦後になっていくつかの報告書や国際情勢見積もりを公表していますが、その中で、アジアは、今後20年ほどの間に大規模な紛争が起こる可能性が他の地域よりもはるかに高い、と分析し、その最大の要因を、日本と中国、韓国の3ヵ国による軋轢の激化によると結論付けています。


2、そもそも、東アジア地域が他の地域と決定的に違う要素が二つあります。
一つは、冷戦後もなお、東アジアには、社会主義体制の国があることです。
それは、北朝鮮と中国とベトナムです。
ヨーロッパ・中東・アフリカ・北米には、社会主義国はゼロで、この北東アジアに3ヵ国あるだけです。
これをもってしても、東アジアがいか特殊な地域であるかが分かります。
第二は、これらの国では一党独裁体制、あるいは、専制政治が行われていることです。
共産党一党独裁の体質を持っている中国、ベトナムと独裁体制の軍事国家北朝鮮という、これらの国が将来どの方向に進むかということが、東アジアの安定に非常に大きな意味を持つことになります。
2010年になれば、我が国が1960年に締結した日米安保条約が50周年の時期を迎え、憲法改正が発議できる政治状況を迎えます。
この2010年頃までに、北東アジアでは中国や朝鮮半島を中心に大きな変化が起こる可能性があります。
そのとき、日本がその進路を問われる年になることでしょう。


3、日本ではこうした周辺状況とは無関係に、聖域なき財政改革の対象として防衛費削減が進められていますが、こうしたあり方が真に適切な政策なのかどうか見直す必要があります。
そのためには、まず、防衛力をもって守るべき国益とは何か、防衛の役割や機能をどうとらえるべきか、といった根本的な議論を行うべきです。
目に見えない脅威やリスクに対応するときに、国家の防衛がどういう役割を果たすのか、という基本的な概念が形成されていないと、防衛予算が減らされても「周辺には敵はいないし、テロといっても今の防衛力で何とかやっていけるのではないか」という曖昧な対応になります。
国民も危機といった事態は真剣に考えたくないので、「防衛力は今のままでいい」となり、防衛力の削減に対してきちんとした意見も表明せず、「防衛力を減らすべきではない」と言う声はかき消されてしまいます。
民意がこの程度なので安全保障会議も発足せず、日本の国益を定義することも、日本の基本的な戦略を作ることもできずにいます。
これが日本の現状です。
極端に言うと、これは国家として体をなしていないということだと思います。


4、日本の国家緊急時に米国は米国兵士の犠牲を払っても日本を守り、一方において、米国の国家緊急時に日本は血を流すこともしないどころか、領域外で米国と一緒に戦うこともしないということになれば、このような同盟関係が公平・平等と言えるのでしょうか。
日本が米国の立場であったら、こんな同盟国は相手にしません。
ところが、日米同盟は米国の利益に合致するから、米国にとっても得るところが大きいので、結果として同盟関係が維持されているという人がいますが、米国はそれほどお人好しではありません。


5、言うまでもなく、東アジアの将来に最も大きな影響を与えるのは中国の動向と米国の東アジア政策です。
この中で、日本の戦略はいかにあるべきかを再考する必要があります。
米中協調で東アジアを運営するのではなく、日米中3ヵ国のバランスの取れた戦略互恵関係の中で東アジアの安定と繁栄を維持するためには、今までの日米同盟ではやっていけません。
日中関係も中国に気を使うだけではやっていけません。


6、ところが冷戦後になり中央アジア諸国が独立し、中ロ国境協定が締結され、ロシア軍の軍縮が進み、極東ロシア軍がモンゴルや中ロ国境付近から撤退し、ロシアの経済民主化がうまく進まず、東アジアにおけるロシアの脅威は忘れ去られてきました。
しかし、冷戦末期にロシアは資源開発に投資を行い、それが奏効して現在、石油は世界第2位、天然ガスは世界第1位という生産額を誇り、その価格高騰もあり莫大な外貨準備額を溜め込んでいます。
ロシアは経済は見事に復活しつつあり、好調な経済を背景にロシア人の自信は大変なものになってきました。
プーチン政権は「大国ロシアの復活」を目論み、120万に削減されたロシア軍の再生を図ってきました。


7、ロシアの極東軍事力増強は中国への脅威感が再燃してきたためといわれているものの、こうしたロシアの極東重視が北東アジアにいかなる安全保障上の影響をもたらすかについて、注意深く見ていく必要があります。
ただ、東アジアの中で中ロ両国が上海協力機構を進めているとはいえ、両国が必要以上に緊密になることを心配する必要はなく、ロシアが極東資源開発に外貨を求めるのであれば警戒しつつも、ロシア極東部に中国より先に関与していくことは日本のアジア戦略上必要な手段であると思われます。


8、例えば、ベルギーの場合、周辺国はすべてNATOに加盟していますから、ベルギーを攻めてきませんし、ヨーロッパでは、軍隊には国家の防衛という役割がなくなってきているのです。
NATOは加盟26ヵ国のうち1国でも攻められたら、全加盟国が攻撃されたと見なして共同防衛することになっています。
ですから、ベルギーの周辺国であるフランスであれ、ドイツであれ、同じNATO加盟国が攻撃してくるということは論理的にはあり得ないのです。
また、軍もそれに対応した配置になっていません。
ヨーロッパにおける安全、そして軍の役割は何かというと、NATOの領域外、例えば、中央アジア・中東湾岸などに出て行って、欧州の安定を図るために他地域の安定を維持する目的で派遣される外征軍の一翼を担うということになるわけです。
ところがアジアではそういう概念はまったくありません。
すべての国は自国の領土を守らないといけないということで、防衛力の役割はまず国家の防衛が基本にあるのです。
その余力を同盟協力、国際平和協力に使うということになります。


9、そこで、アジアでも多国間協力枠組とか、地域同盟を作ったらいいのではないかという考えも出てきますが、簡単にはいきません。
なぜなら、この地域には他国と運命共同体になろうとする国がないためです。
周辺国との不信感が強いという理由もあります。
歴史的・政治的・戦略的・文化的にすべての国家が、他国とは異なる特色を持つ多様性の大きな地域である、という特色を持っているからだということもあります。


10、中国は、今後も経済発展・成長を続けていくでしょうが、この経済発展に伴う困難な内政上の問題として、顕著な格差の拡大、それに対する国民の不満の広がりが挙げられます。
特に9億の人口を抱える農村部が、都市部と比べて極めて格差のある生活状況の中にあります。
さらに、金融システムの脆弱性、流通機構の遅れ、エネルギーの慢性的不足、さらには腐敗・汚職の横行、国営企業の非効率、高いインフレ率などもあり、挙げればキリがありません。
この問題を克服するため現政権のとっている最優先課題は、内政の安定です。
このためには9%前後の経済成長を持続していく必要があります。
ただ、その解決は容易ではありません。
このまま事態が進むと中央の指示や許可なしに、外国と経済ミッションの往復をさせたり、許認可権を行使したりすることもあり得ます。
中国の実態経済は建設・インフラなどの面で、バブルが弾ける危険性を有しており要注意です。
この状況が続けば、中国共産党一党独裁という体制が崩壊していく可能性もあると思います。
にもかかわらず、今のところ国として分裂しない最大の理由は、人民解放軍共産党の軍隊として国家の統治機構を支えているからです。
この軍隊が分裂しない限り、国は分裂しないのです。
人民解放軍は現在、230万の兵力がありますが、これは党の軍隊として国力の基礎となっています。


11、さて、日本は、このような中国とどう向き合っていくべきでしょうか。
日本から見ると、中国は常に日本に対する”競争相手”という要素と、”協調していく相手”という二面性を持っています。
一方、中国は日本を実際にはどう見ているのかといいますと、やはり日本の持っている技術、そして投資が、中国の内政安定と経済発展に不可欠であり、それは最大限に活用したいし、するべきだと認識しているでしょう。
他方において、日本がアジアを含む国際社会の中で大きな役割を演じ、これ以上影響力が拡大することは認めないという立場に立っています。
領有権問題や東シナ海の油田開発や靖国参拝など、歴史問題や安全保障問題などについては、原理・原則は譲れないというわけです。
これは中国の側に立って日本を見ると、そういう理屈になるのかなと感じるところがあります。
歴史の長きにわたって分裂を繰り返してきた中国が、清朝末期の19世紀以降、欧米列強や日本から軍事侵略され、植民地化され、日本には満州国という国家までつくられ、やっとその植民地から戦後に解放されたかと思うと、その後、文化大革命などで国内が混乱し、気がついてみると日本は米国の同盟国として経済発展して、今度は政治的に頭を押さえられてきたのです。
この1世紀近く、かつて中国に朝貢したことのある小国日本に、軍事的、経済的、政治的に抑圧されてきた中国が、今や経済発展を背景に、政治的にも大国に仲間入りして自信を取り戻しつつある。
日本に再び頭を押さえられてなるものかという思いが特に強いのは、こうした歴史的、民族的な国民感情であると思いますし、日本はそのことを理解して中国に接するべきです。
いずれにしても、海洋における領有権問題、歴史認識、国防力の近代化など原則的な面では決して日本に譲ることはないと思います。
ですから、中国から日本を見た場合も二面性があるわけです。
日本にとって一番深刻なのは、近代化された中国軍が日本の国益、特に海洋における権益や海上輸送路にとって、深刻な脅威にならないかという側面です。
というのは、中国の人民解放軍は、党の軍隊といわれながらも党指導部の思い通りにはいきません。
党とは別の戦略で動いています。
人民解放軍の中枢部が米国や日本に対して、自分たちが国家を支える最後の拠り所である戦力だと考え入る限り、日本が中国といずれ海洋において利害がぶつかるということは大いにあり得ます。


12、その次に来る峠が中台関係です。
朝鮮半島問題と中台関係と、どちらが先に危機が来るか分かりませんが、おそらく中台関係のほうがあとになると思います。
台湾を統一するというのは、現在の中国共産党にとって残された最後の課題で、これは中国共産党による中国統一の実現という原則に照らして、どうしてもやり遂げなければならず、途中で断念できるものでもありません。
一方、中国軍は現在、台湾との軍事バランスをできるだけ有利にするために近代化に努めていますが、その軍事バランスがいつ頃台湾に対し有利になるかというと、だいたい2010年から2011年にかけてでしょう。


13、現在でも、潜水艦やミサイル戦力については、中国は台湾より有利ですが、制海権や制空権などを含め、あらゆる面で中国は台湾よりも軍事バランスが上回るように企図するでしょう。
あえて軍事的に手を出す必要はないくらい圧倒的に有利な状況にして、できれば軍事力を使用せずに政治的な圧力をかけて目的を達成しよう、ということも視野に入れていると思われます。
今後、時間をかけて香港の1国2制度が台湾内でも支持を得られるようになれば、中国は一気に台湾統一を実現しようとするでしょう。


14、かつて1950年に朝鮮戦争が起きたとき、中国は10万の兵力を集めて台湾海峡を渡ろうとしました。
そのときに米国は偵察機でそれを察知し、空母ミッドウェーを台湾海峡に入れて、これを阻止しました。
その結果、中共軍は台湾攻略を断念して、台湾攻略に使おうとした兵力を中朝国境に展開しました。
朝鮮戦争の初期段階から、中国が北朝鮮側について参戦したのはこの兵力です。
さらに、中台関係が決着して台湾が中国の領土になれば、台湾に人民解放軍が展開してきます。
その結果として、沖縄は米中関係、日中関係の最前線になります。
朝鮮半島統一、台湾有事のいずれが起こるにしても、日本は最前線国家になります。
それに伴って、あるいは、そのあとに、「2025年の事態」が起こるというわけです。
その場合に、米国がどう対応するかが最大のカギになります。


15、北朝鮮は北東アジアにおける最も不安定要素であり続けていますが、その最大原因は体制の不透明性です。
金正日体制という独裁体制は、日本で言えば江戸時代のような専制主義体制ですが、国民は北朝鮮特有の儒教社会の中で、建国の指導者金日成の正統な後継者に何らかの疑問を抱くことなく従っている状態であると考えます。
この状態が続く限り、北朝鮮の政治体制に大きな自立的変化は生じないと考えるのが適当です。


16、2025年頃に大規模な紛争が起こる可能性があると、米国が推測する理由はそこにあるわけです。
つまり、半島の統一国と日本は良い関係にはならないと予想されますから、日本がなすべきことは、統一の前に、いかに韓国を日本に引き寄せておくかということになります。
すなわち、現在、日米同盟、米韓同盟はありますが、日韓間には同盟関係がありません。
ですから、日米韓という3つの国を安全保障でどうつなぐかというのが、今後の大きな課題となるわけです。
ただ、日韓には従軍慰安婦問題をはじめ、さまざまな過去の歴史問題があります。
安全保障面でも日韓関係を劇的に進めること自体、韓国内政上の問題になるので、難しい問題があり、短期間にすべてを解決することは困難ですが、米国サイドから日米間関係の緊密化を進めるための働きかけが必要かもしれません。
日本が今、朝鮮半島に対して心配しているのは、北朝鮮核兵器の開発が現実のものとなったときに、韓国が核武装するという可能性はあるか、ということです。
あるいは南北朝鮮が統一した場合、彼らが核兵器を捨てない可能性があるのかということです。
日本が、「統一するときに援助するから、その代わりに核を完全に捨ててNPTに加盟せよ」と言ったとしても、日本の言うことは聞かないでしょう。
統一国家核兵器を持つとした場合、それが日本にとってどういう脅威になるか。
周りを見渡すと日本だけが非核国で、あとは全部が核保有国、つまり日本が核に囲まれるという客観情勢になった場合です。
統一国家が、米国と引き続き同盟国であることを期待するよりほかに方法はありません。
それでも、日本が米軍の東アジア防衛の最前線国になったときの問題は、統一国家が核保有国になったときにどう対応したらよいかということです。
さらに、朝鮮半島核武装化に対抗するために、もし台湾で核開発の動きが起きた場合、北東アジアが構造的に変わることになります。
このときに、一体、日本は北東アジアで核保有国に囲まれ、どう対処したいいのか、という問題があります。
しかし、その前に考えるべき問題は北朝鮮が現実に核保有国になったということです。
まず、北朝鮮が核保有国だということを、日本国民がしっかり認識する必要があります。
その上に立って、米国の核抑止力が北朝鮮にいかなる影響を及ぼすことができるのか、北朝鮮の核に有効に機能するのか、について結論を出さなければなりません。
北朝鮮の認識は、核は持った者勝ち、いったん持てば米国は絶対に手を出さないと思っています。
イラクは核を持っていないために米国に潰された、という論理なので、北朝鮮は核を捨てる気はありません。
核を捨てる気がない北朝鮮があそこまで傲慢な対応に出るのは、米国が「北朝鮮核兵器を持っている」ことを確信し、北朝鮮に手出しできるはずがない、という計算に基づく安心感からでしょう。
日本は、そういう国と向き合っているのです。
しかし、国民にはその危機感が薄い。
ここが最も深刻な問題です。
北朝鮮の核開発によって、深刻な脅威を受けているのは日本だけだということをもっと真剣に考えるべきです。


17、米国はアジア大陸の問題で米国人の血を流す考えはありません。
従って、米国は中国との協調主義に基づいて事態を処理すると思います。
日本が期待するようには、米国は半島問題に関与しない可能性が大きいということは考慮しておく必要があります。


18、中国・ロシアは北朝鮮への脅威感はまったくなく、北朝鮮の核保有に伴って北東アジアの核ドミノ、現実には、日本、韓国、台湾の核保有を恐れているだけのことです。
すなわち、北朝鮮がすでに核実験に成功したこと、さらにこれを続けて核開発を進めること、核兵器が使用される可能性があること、弾道ミサイルの弾頭に搭載できるようになること、などを恐れているのは日本だけということになります。


19、東アジアの周辺国で、日本の防衛力に最も強く警戒心を持っているのが韓国です。
第二が中国で、第三が北朝鮮かもしれません。
韓国の保有する兵器体系のほとんどは対日本向けです。
中国やロシアは米国のほうに向いているので、日本を米国の関数としてしか見ていませんが、韓国は全然違います。
主対象は日本ということなのです。


20、今、韓国軍は68万人ですが、今後、その人員は大幅に削減されるでしょう。
韓国国防省によれば、2020年までに兵員を50万に削減し、戦車、予備兵力を減らし、戦闘機と艦艇を増強し、攻撃戦力を強化する予定です。
軍の近代化を目指す韓国軍にとっての最大の悩みは、米軍がなかなか装備の近代化に協力してくれないことです。
そうした中で、韓国軍が最も欲しいのは、日本の海上自衛隊の技術です。


21、米軍は現在、141万人の兵力を有していますが、イラク戦争で約50万の陸軍の半数が負傷し、全体の士気が落ちており、厳しいローテーション下に置かれています。
これまでにおよそ100万人の陸上兵力がイラクに投入されてきました。
今のところ損害は4千名近くの死者と、約4万人以上の負傷者ということで収まってはいますが、陸上兵力の人数が足りません。
そこで、米国防総省は、陸軍について6万4千人の増員要請を行ったものの、米国は定員数を増やしても人間が集まらないという、非常に厳しい問題に直面しているわけです。
海軍と空軍は湾岸戦争以降、ほとんどダメージを受けていませんが、陸軍・海兵隊が傷ついた状態では、北東アジアなどで仮に紛争要因が起きても、米国は陸軍を北東アジアに投入する余裕はありません。


22、この概念が新しい米国政権に採用された場合、米軍は今よりも規模が縮小され、米国がゆっくりと世界各地から手を引いていくことも予想されます。
これは、米国が同盟国と一緒になって、多国間の安全保障協力や安全保障的枠組みの中で地域の安定を維持するという概念と手法が採用されるようになり、そうなると同盟の意味がこれまでとは変わってくるということです。
同盟というのは伝統的な意味からいえば、「共通の敵」に対するということですが、今や、「共通の敵」が判然としないわけです。
その点で、今後日本は、日米同盟をどう維持させるかという問題に直面することになります。
ただ、米国のアジア太平洋戦略の主たる対象が、対中戦略にあることは確かです。
米国は、自国を海洋国家と位置づけ、今後はアジア大陸の問題には手を出さない方針ではないかと思います。
ですから中国とは事を構え、米軍兵士の血を流すつもりはありません。


23、例えば、尖閣列島周辺で何か起きた場合、米国は日本のために何も具体的な行動を起こさないでしょう。
日本は、自力で対応しなければなりません。


24、そのために日本にどういう覚悟があり、その覚悟を実行するに必要なコストとリスクをどこまで払う意志と能力があるか、それを米国はじっと見極めているのです。
それが日本に見られないのならば、いつでも中国と組む。
その点は非常にはっきりしていると思います。
米国というのは非常にドラスティックな考え方を持つ国なので、パワーゲームの中で「ただ乗りをしている国」に米国が犠牲を払い続ける必要はないという考え方をします。


25、そういう観点から見れば、米国にとって、アジアにおける脅威が何かというと、イランや北朝鮮核兵器自由社会に使用されたり、イスラムのテロリストに手渡される移転という問題に最大の懸念を懐いています。

 

26、このような傾向があまり強い民主党政権になった場合、日米関係が冷える可能性もあります。
具体的に同盟国に役割を果たさせて、それに乗じて自国の国内経済を重視するというのが民主党のやり方だからです。
共和党政権の場合は、自らが頑張って国際的リーダーシップをとろうとするので、時には軍事力を積極的に行使しますが、日本を含め同盟国はその影に隠れて恩恵を享受できるという面があるわけです。


27、その一つが2007年3月にハワード豪前首相と安倍前首相により明らかにされた日豪安全保障共同宣言です。
同宣言は両国が一緒になって、米国を同盟国としてこの地域に引き止めておこうという第一段階の手立てなのです。


28、このように日米間の協力関係の見直しや整備は少しずつ整いつつありますが、日本の国内の法整備はまだ立ち遅れています。
これまで触れてきたように、集団的自衛権や武器使用の問題、防衛に関する守秘義務の問題、また自衛隊の海外派遣の明確な基準もできていないのです。


29、さて、ここで話を日米同盟に戻して考えてみましょう。
日本が今、問われているのは、まず、「米軍再編の下で、日本は協力する意思があるのか、ないのか」です。
米国は、日本がやる気がないのであれば、アジアの問題は日本を外して米中で協議する、という姿勢です。
まさしく日本の判断と覚悟が問われています。


30、米国は常に日米同盟を戦略的に考えています。
そのために、日本が日米同盟を維持・強化すると言うのであれば、「行動で示せ」と言っているのです。
しかし、それさえも示さない日本に米国は疑心暗鬼になっています。
それが今の日米同盟の難しい局面です。


31、また、国家としては、国家の安全保障や国防戦略を国家レベルで審議する、国家安全保障会議のような機構を作るべきであるし、自衛隊の任務や武器使用について自衛隊の手を縛るようなことをせずに、指揮官に委ねるための法整備を進めるべきです。
また、秘密保護についても法整備を行い、国会には秘密公聴会などを設置するべきで、隊員1人1人が名誉を重んじられるように、勲章や階級呼称や慰霊碑や公務死の場合の保証制度など、国家がやるべきことは多いのです。
こうした不十分な制度下で隊員の意識改革を論じることはバランスを欠く指摘です。
現行制度の中では軍人とはいえませんが、事実上、軍人として国家のために生命をかけて任務を遂行する隊員をどのように扱うかについて、もっと配慮があって然るべきです。


32、私は1941年に生まれました。
ちょうど第二次世界大戦が始まった年に生まれ、終戦のときに4歳でした。
かすかに占領軍の姿も覚えていますし、占領軍として入ってきたイギリスの将校に疎開先の自宅近くで抱かれたこともあり、その感触はわずかに覚えています。
当時の占領軍は紳士的で質の高い兵員からなっていたわけで、その印象は戦時中、(鬼畜米英)と教えられていた政府の宣伝とはまったく違うものでした。


33、このように、自衛隊が誕生したときに、陸上自衛隊は米陸軍から朝鮮戦争で使用した装備を譲り受け、海上自衛隊は米海軍の艦艇をお古としてもらい、航空自衛隊は同じく朝鮮戦争で使われた米空軍の装備を、それぞれ無償供与されました。


34、しかも、「この旧安保条約の不平等性を解消すべきである」という意見が日本国内で強まり、1958年から59年にかけて、日米で極めて精力的に旧日米安保条約改定の外交交渉が行われました。
そして、旧条約が新日米安保条約に改定されたのが1960年1月のことであり、この安保条約改定に反発して起こったのが”安保闘争”です。
安保闘争は今から思うと、日本のナショナリズムの発露だったと思います。
すなわち、「こういう条約を結ぶことによって日本が米国の属国になってよいのか」という、若い学生のナショナリズムがこの安保闘争に駆り立てたのでしょう。
多くの日本国民がこれに同調したために、この安保闘争がそれから10年、国内における非常に大きな政治・外交面のエネルギーになっていくわけです。
今から思い起こしてみると、安保闘争というのは、日本が戦後の先進国に成長していく際に、どうしても通らなければならなかった一つのプロセスではなかったのかなという気がします。
例えば、韓国では、この種の安保闘争をやってないので、いまだに反米感情が大学の構内でくすぶっているともいわれます。
60年安保闘争時、学生だった私は、その空気を肌で知っています。
しかし、今の学生のほとんどは安保とか安全保障というものがまったく理解できていません。


35、しかも同盟を取り巻く国際環境や国家関係は生き物のごとくに変動するわけですから、同盟も変質し、その寿命が永久に続くなどということは考えられません。
つまり、同盟はそれを維持するために常続不断の努力が必要となります。
愛を誓って結婚した夫婦のありようと同じことです。
日米安保体制は、日本にとって、国家の安全と繁栄の基礎であるという利益がありました。
日米同盟を維持することにより、米国の核抑止力と米軍のプレゼンスによって周辺国から不要な軍事脅威を受けることを排除できたというメリットがあります。
日本から米国に製品を輸出し、日本は外貨を稼いできました。
日本は原油を中東から輸入して産業を興し、日本の経済発展を遂げてきました。
日本が諸外国との外交を進めることができたのも、日米同盟によるところが大きかったといえます。
日本の外交・経済・安全保障・資源の基礎は、まさに日米同盟にあったと思います。


36、しかし、ミサイルの量が膨大で、そのミサイルに生物・化学兵器を搭載できる可能性が高いとなると、こちらとしてはなかなか手が出ませんし、北朝鮮にとっては、抑止効果を持つということになります。
これが核兵器ということになると、その抑止効果は一層高くなります。


37、極東ソ連軍としては、中ソ国境沿いの中国軍と対峙しなければなりませんし、また米国との関係で戦略上必要な兵力もあります。
さらには国土防衛のための兵力も最低限必要で、これら部隊は動かせません。
そうすると、それらの兵力を差し引いた残りの兵力が日本を攻めてくる場合に、最大兵力を指向するという前提で日本の防衛力を見積もる必要があります。
例えば、このようなシナリオに基づく侵攻兵力の規模が70年代末に、戦闘機が約500機、諸戦における侵攻可能の地上軍部隊が1個師団、艦艇が70隻という兵力と仮定します。
それが日本の北方から侵攻してくる際、まず航空戦力で日本のレーダーサイトや飛行場を破壊したあと、着上陸部隊が揚陸艦・上陸用舟艇・輸送ヘリなどで入ってくるとして、これを可能とするような海軍力を使って主要海峡・海域における制海権を確保しようとすることが想定されます。
最後に、ソ連の地上軍本隊が上陸してくる、というシナリオがベースになっているとしましょう。
それに対して日本を防衛するためには、在日米軍自衛隊との共同防衛が必要ですが、また「日本が単独で最初の1週間を持ちこたえられる防衛力はどれくらいか」という基準に基づいて日本が装備すべき防衛力の質と量を想定します。
それを防衛力整備計画の5年間でどうやって整備したらよいかということで計画を作成していくわけです。
あくまで極東ソ連軍全部が日本に侵攻するという想定ではないのです。
この場合、在日米軍は主として、攻勢作戦に従事するものとして想定します。
もっとも、想定した規模以上の極東ソ連軍が日本に侵攻してきた場合には、まず単独で1週間守り抜き、あとは米国本土からの来援兵力を待つということです。
すなわち、そうした来援米軍を待つまでは、単独で日本を防衛するのに必要な防衛力を備えるために、防衛力整備計画を作成してきたわけです。


38、しかし、ここには問題があるのです。
第一は、この考え方は防衛計画が完成されたときに初めて日本を守れる能力を持つ防衛力規模なのですから、数年間をかけて目標に向かって増強している間は、日本のほうが相手よりも常に戦力レベルが低いことになります。
第二に、米国が来援しなかったらどうするかという問題があります。
そして第三に、在日米軍との共同防衛というが、現実にはどのようにするのかという問題があります。
この3点についてはほとんど何も決めないまま、日本は単独で日本の国家を防衛できる防衛力を防衛力整備計画の中で達成することを目指してきましたが、70年代末にようやく「これはおかしいのではないか」ということに気がつきます。
そこで日米両国が対応すべき要領の基本事項を作成したのが、1976年の「旧日米防衛協力ガイドライン」です。
しかし、このガイドラインは明らかに不十分なものでした。
それまでの防衛構想があくまで脅威対処型であったのに、政府は、日本の防衛は「脱脅威」と国民に説明してきました。
実際に極東ソ連軍侵攻シナリオを国民に説明するわけにはいかなかったからです。
防衛庁(現防衛省)は、大蔵省(現財務省)には予算をとるためにシナリオを説明したことがありますが、一般国民にはそれを説明せずにきました。
米国も来援計画を一切日本に示すことはありませんでした。
どういう部隊がどれくらい日本の防衛のために来るかということについては、一切言明したことはありません。
この点は今でも変わりません。


39、97年以降の10年、日米同盟に関するいろいろな実務が進んできましたが、その実務の基礎となっているのは、この日米安保共同宣言です。
ここには、「日米同盟の見直しは何を目的として行うのか」という観点から見た東アジア地域に対する脅威認識を示しています。
特に、その中で冷戦後に、ソ連の脅威に代わる二つの大きなリスクが出てきます。
一つは、中国や北朝鮮といった伝統的で異質な体質を持っている国からくる危険やリスクです。
北朝鮮からくる脅威は深刻なものです。
特に、北朝鮮核兵器・弾道ミサイルの開発・保有による安全保障環境の変化は、重大な結果を招いています。
また、中国は、我々と価値観を共有していない共産党一党独裁体制の国ですが、急速な経済発展をベースに、国際社会において政治的軍事的な影響力を広げつつあります。
例えば、人民解放軍は、冷戦時代に中ソ国境に沿って兵力の重点を置いていたのですが、冷戦後、南部海域、特に東シナ海南シナ海において活動できる海空軍力を増強させています。
これが、米国のアジア太平洋における軍事態勢や日本のシーレーンにとって、大きな影響を与えるわけです。
もう一つのリスクは、この地域に共通して見られるものですが、これはグローバルな性格を併せ持ったものです。
これには各種のリスク・危険を含むものであり、挙げてみればきりがありませんが、よくいわれるものとしてはテロ・感染症・気候変動・大量破壊兵器・領有権問題・宗教民族問題などによる地域紛争などです。
統治機能の崩壊という問題も場合によっては周辺に重大な影響を与えることがあります。


40、そして、このような観点から冷戦後の防衛力を考えると、その性格は大きく変質してきました。
その第一は任務の拡大という点です。
冷戦期の防衛力は、いわゆる専守防衛という言葉で表現されるように、国家の領域防衛に専念するものでした。
しかし、湾岸戦争以降に日本の防衛力が領域外に展開し始めてから急速に、その国際協力任務が拡大し、ついに、国際協力任務は自衛隊の本来任務化するところまできました。
イラクやインド洋に自衛隊が展開して行っている任務は、今まで冷戦期にはあり得なかった任務です。
これを今後、どのように、どこまで、拡大すべきであるのかという問題があります。
これが恒久法の議論における課題の一つです。


41、日本の防衛力の活動で最も他国と異なる点は、憲法および憲法解釈上の制約を受けているために、集団的自衛権を行使することが許されていないことと、自国の防衛のために必要最小限を超える武力行使が許されていないことにあります。
この点は、今まで繰り返し強調してきました。
この憲法上の与件は、防衛力の性格や装備、活動内容や任務の全般にわたり、大きな制約要因を構成してきました。
自衛隊は、法的に規制を受けた形での活動を余儀なくされてきました。
もう一つ防衛力の活動で制約要因があるとすれば、それは日本の防衛活動が法的な制約を受けているというものです。
しかし、これは日本に限ったことではありません。
欧州大陸国のように実定法の世界では当然のことであり、米国や英国のように、軍隊の活動について米国大統領や英国首相が命令するように自由に派遣し活動ができるようには、法制度がなっていないのです。
従って、自衛隊を領域外に派遣・展開する場合には法制を必要とします。
法的根拠がない場合には、新たな法制を成立させる手続きをとる必要が生じます。
こうなると当然のことながら、憲法上の法的解釈が適用されますので、法制度が厳しく防衛力の活動につき審議することになります。
この手続きを行う必要性は、政府・与党に大きな政治的リスクと時間と努力を求めることになり、緊急に自衛隊を派遣する必要が生じても応じられないということも発生します。
しかし、これは日本ではシビリアン・コントロールの原則ということで尊重していますので、このルールを簡単に変えるわけにはいきません。


42、今日の紛争事態において、戦闘地域という概念が崩壊し日常生活の中にテロ活動が入り込んできているのに、まだ、戦闘地域かどうかといった議論をするのは世界の笑いものです。
こうした非生産的議論をやめて、現地指揮官に判断を任せる方式を採用すべきです。


43、しかも、機能面から見ると、独自の情報収集能力、高度なコンピューター・システムを持つ機動性のある部隊にしていく必要があります。
兵器よりも機動性を持たせ、小型の装甲車も夜間用の赤外線ホーミング装置を持ち、情報戦やゲリラ戦もできるといったコンパクトな兵器体系への転換です。
そうした小規模な人員で機動性の高い部隊を編成して、装備も変えてしまうという発想が必要となるのかもしれません。


44、空母を保有できれば一番いいのですが、その実現には二つの条件が必要です。
一つは、中国が空母や大型巡洋艦など外洋作戦能力を格段に向上する海軍力を展開して、我が国周辺において直接脅威を受けるようになった場合であり、もう一つは、憲法を改正して国を守る、つまり国家の防衛のために、外洋で広域の範囲において作戦できる能力を持ってもいい、という世論のコンセンサスができることです。
今は専守防衛ということで、攻撃能力は持たないということになっています。
「攻撃型空母は持ちません」というわけの分からない国会答弁がありますが、では「防御型空母」という兵器があるのか、といえばあまり聞いたことはありません。


45、ただ、自衛隊を取り巻く現状は厳しいと言わざる得ません。
これには理由があります。
防衛費が平成9年から減少傾向です。
兵員も減っています。
各省の予算を一定率削減するという行政改革の方針で、防衛費も例外ではないという理由からです。
また、予算の問題以外の少子化により要員の募集も困難な状況になりつつあります。


46、実際、航空自衛隊は戦闘機の定数、海上自衛隊は艦艇の数、そして陸上自衛隊は隊員を減らすことになっています。
具体的には、陸上自衛隊は18万人体制から15万6千人体制、海上自衛隊は今後、3年の間に艦艇を現有から3隻減らし、航空自衛隊も戦闘機の定数を減らします。
ただ、繰り返しになりますが、日本を取り巻く客観情勢は、防衛力を減らし得るような状況にはありません。
ですから、防衛力を削減せざるを得ないならば、陸海空をバランスよく減らすか、あるいは、どこかに重点を置いて予算を集中させるしかありません。
それを行うためには、結局のところ、日本の防衛戦略と兵器体系のあり方を、根本的に見直す必要があるということになります。


47、対中戦略とは何かと言いますと、外洋に進出してくる中国海空軍に対し、どのような形でヘッジ戦略を進めるかということです。
ヘッジ戦略というのは、相手の出方に警戒しながら柔軟に対応していくという危機管理的な対応のやり方であり、これがアジアにおける米軍再編のねらいといえます。
そのポイントは、海軍力を強化することにあります。
米海軍が保有する空母11隻のうち6隻、さらに潜水艦の60%を太平洋に配備します。
そして第一軍団の司令部を座間(東京都)に移して、ここで、日本からアフリカの東海岸までの全域を担当する統合任務部隊の指揮をとります。
米軍が第一軍団の司令部をサンフランシスコから座間に移すのは、中国に対応する際の時差の問題です。


48、米国は冷戦自体末期のレーガン政権時にSDI(戦略防衛構想)という計画を進めました。
結局、この構想は実現しなかったのですが、そのときの技術的成果を背景に引き継がれて開発が進んできたのがミサイル防衛です。
飛翔してくる弾道ミサイルを迎撃するシステムです。
このシステムは多層防衛です。
北朝鮮の核やミサイル開発も、日米が対応しなければならない新しい脅威として深刻に認識されるようになりました。
だからこそ現在、日米同盟に基づく日米防衛協力やミサイル防衛が進められているのです。
多層防衛というのは、弾道ミサイルが発射されて上昇するブースト段階、大気圏外を飛翔するミッドコース段階、そして再び大気圏内に突入する最後のターミナル段階の3段階で、飛翔してくる弾道ミサイルを撃破するというシステムです。


49、一方、米国のほうは、北朝鮮の弾道ミサイルが同盟国および配備された米軍をねらっているという脅威があるので、日本およびその周辺にイージス艦を配備しようとしています。
すでに5隻が展開しています。
5隻体制になるということは、常に1隻以上が日本海で作戦が可能になり、大体、日本をカバーできるのです。
また、パトリオットのPAC-3は2006年12月末に、沖縄の嘉手納弾薬倉地区にすでに配備済です。
ですから現状は沖縄周辺しか守れないわけです。
本土の米軍基地に配備しようとなるとかなり難しいので、在沖縄米軍だけ守ろうということで、とりあえず沖縄にだけ置いたのだと思います。


50、この宣言は条約・協定ではないのですが、米ロ関係の今後の枠組みを示したものであり、ミサイル防衛を含む安全保障、不拡散問題、テロとの戦い、核エネルギー問題、経済面での協力から成ります。
このうち焦点は、ミサイル防衛NATO拡大を含む安全保障問題にあったことは明らかですが、ミサイル防衛問題については結局、米ロ双方の意見が対立し決着がつかなかったのです。
ロシア側は、米国による東欧へのミサイル防衛システム配備は米ロ間の戦略バランスを崩すものとして反対し、イランのミサイルは米国、西欧に届かず、米国の配備理由は成り立たないと主張し、配備するのであればロシアや欧州も参加できるよう、アゼルバイジャンのガバラ・レーダー基地の共同使用を提案しましたが、米国は受け入れず、予定通りミサイル防衛システムの配備計画を進めているところです。

 

51、ところで、米国はアジアでも、北朝鮮のミサイル脅威という理由で、日本海イージス艦を展開していますが、実際は中国が本命ではないかという問題があり、難しい問題をはらんでいるのです。
というのは、中国の本土から米国に向け発射した場合、日本海イージス艦を配備してもミッドコース迎撃には無理があり、有効に対応できません。
ベーリング海に配備するならまだしも、中国から北極海を通って飛翔していくからです。


52、このように安全保障政策の3つの柱が、冷戦後のこの17年、内容と質が非常に変質してきたわけですが、とりわけ、その大きな変質をもたらした契機となったのが、湾岸戦争でした。
湾岸戦争は、1990年8月2日にイラククウェートに約5万の兵力で侵攻したことを契機に、翌91年1月17日、米国を中心とした多国籍軍イラク空爆したことから始まりました。
開戦から38日間の空爆と陸上作戦、計43日間の戦闘を経て2月初旬に停戦となりました。
この地域紛争では、38ヵ国からなる多国籍軍約75万の兵力が湾岸に集結しました。
国連安保理決議678に基づき、イラククウェート侵攻を阻止し、クウェートを解放するという作戦目的で、歴史上初めて多国籍軍というものが組まれて湾岸戦争が行われたわけです。
我が国は、これに実質的に協力をしようとして、国際平和協力法案を成立させようとしたのですが、公明党などの反対があって通過せず廃案になります。
結果として、130億ドルという膨大な財政支援を行って、日本は湾岸戦争を乗りきりますが、戦争後にクウェートが公表した湾岸戦争に協力した国のリストには、日本の名前はありませんでした。
当時日本は、中東湾岸にその原油を75%依存していました。
中東湾岸の安定を維持するために75万の多国籍軍兵力が集結したにもかかわらず、「我が国は、お金でこの湾岸戦争への協力をすませた」という内外の批判を受けたわけです。


53、海外にいる邦人が自国の軍隊で守られていないという、これほど寂しい話はありません。
海外に約65万人の邦人がいますが、「どんなことがあっても自衛隊だけは来てくれない」と皆思っています。
日本ができることは、政府専用機のような飛行機をほかの国に頼んで、その民間機に乗せてもらって脱出するだけです。
在外邦人を救出に向かったことはありません。


54、ペルーの人質事件の際も、ペルーの海兵隊に頼むのではなく、日本の自衛隊を出動させようという議論がありましたが、結局出て行きませんでした。
自国民の安全を守るために最後に軍隊が出て行くというのは、どこの国でも当然実行していることです。
それを真剣に考える必要があります。


55、まず、新たな法的枠組みによって集団的自衛権行使が可能になった場合、今までの防衛戦略でよいのかという問題があります。
例えば、米国海軍・海兵隊は、敵あるいは敵性対象国の沿海付近に空母、大型揚陸艦、ヘリ搭載艦などを展開し、そこにシーベーシングを構築して、その海上基地から一挙に敵の内陸部に深く侵攻するという戦略を進めています。
日本がそうした米軍と一緒になって活動する必要があり、いずれそうした日米協力に必要な装備や訓練、さらには会場基地構想の具体化が求められます。
そうなると、防衛力も質的に変化させざるを得なくなると思います。
例えば、大型の多目的艦艇に加え、内陸部を攻撃する航空機を搭載できる船舶が必要になります。
できれば空母が理想ですが、これはすぐには保有できないとすれば、まずは大きな政治問題へと発展しないような、ヘリ搭載可能な攻撃ヘリや中東・湾岸地域に1回の給油で飛行できる戦術輸送機も必要となります。
さらに、陸上自衛隊が米海兵隊に代わって着上陸作戦を実行するためには、往来にない装備・訓練や部隊編成も今後の課題です。


56、現在は1千マイルのシーレーン防衛が防衛力の整備目標で、これはフィリピンのバシー海峡までが範囲です。
それをさらにマラッカ海峡を超えて湾岸地域まで延びたシーレーンを自らの手で、しかも中国海軍などの脅威を排除しながら守るということになった場合は、現在の海上防衛力ではまったく足りません。
しかし、我が国のシーレーン防衛はそうあるべきです。
今、日本は主要艦艇を約60隻、潜水艦を18隻保有していますが、とてもこれだけでは対応できません。
海上防衛力および制空権の維持に必要な航空防衛力をもっと近代化する必要があります。
もちろん陸上自衛隊も、領域外において他国の軍隊に守ってもらわないといけないという情けない状態ではなく、日本が領域外で他国の軍隊と同様に武力の行使に当たる活動をできるための態勢作りが必要です。


57、日本もこれにならって機動性のある部隊を編成したのが、朝霞に拠点を置く中央即応集団です。
これは、海外に陸上自衛隊を派遣するための受け皿の部隊であり、同時に指揮統制部隊です。
PKOや国際緊急部隊、災害派遣などに派遣される部隊を全部そこで抱え、要人の保護もする、さらには対テロ作戦とか、不審船対処といった特殊任務も行うという部隊を設けたわけです。


58、この中央即応集団の部隊編成は、外征軍が持っている性格と呼応しているのです。
つまり米国であれ、英国であれ、海外に部隊を展開する際、統合任務部隊を編成しますが、我が国の自衛隊は本来、外に出ていく部隊ではなく、日本の領土を守る部隊です。
ですから、部隊そのものがまだ戦闘集団としての役割を果たしているというのが現状です。
この狭間を埋める役割を行おうとしているのが、中央即応集団であると思います。
ところが、この狭い国土で航空自衛隊は3つの方面隊、海上自衛隊は5つの地方総監部に、陸上自衛隊は5つの方面総監部にそれぞれ分かれ、管轄区がまったく違うのです。
陸の方面隊と海上自衛隊の総監部、そして航空自衛隊の方面隊という3つの部隊は全然統一されていません。


59、しかし、軍人とは国家と国民のために、生命を犠牲にして任務をまっとうすることを責務とする戦闘員です。
戦死者ゼロは良いことかもしれませんが、それは誇ってよい問題かといわれれば納得がいかない面があります。
戦死を期待するわけではありませんが、このまま自衛隊の活動が質量とも広がれば、いずれはそういうことが起こる時期が来ます。
おそらく、それが自衛隊始まって以来の大きな試練になると思います。
そのときにうろたえることのないように、少なくともやっておくべきことは、戦死者の慰霊碑をどこに作り、国家としていかに祀るか、勲章をどうするか、家族への遺族年金をどうするか、などについて手順を踏んで整理しておくことです。
戦死者を靖国神社に祀るかどうかの家族の意向の確認も必要でしょう。
軍人遺族年金のような特別の年金制度も必要になると思います。
日本人は当然のこととして起こることにも、それが起こるまで触れないという悪い癖があります。


60、国民の持っている関心は、それでどれくらいの犠牲があるのか、それによって我々はどういう利益があるのか、ということでしょう。
それをやらずに、集団的自衛権問題の範囲ばかり云々する議論はおかしい、ということです。
自衛官も、「国民が納得したら憲法改正すべきだけれど、そのときに我々が死ぬ危険性があることを国民にちゃんと説明してください。
そうしたら喜んで海外に出て行きます」と言います。
ただそれを隠して、今まで60年間戦死者ゼロだったから、これからも「死なないはずだ」と言えるでしょうか。
そういうことではないはずです。


61、あとの第3・第4類型はイラク特別措置法の審議に見られるような問題です。
それとの関連でいうと、単に集団的自衛権というよりも、もっと広い意味での「武力の行使との一体化」という問題を議論しないと、集団的自衛権問題だけではこの問題は解決しません。
しかも、そのときにそれをやることが日本にとっていかなる意味を持っているか、なぜやらないといけないのか、やることによって被るリスクと、やることによって得られるメリットを、どのようにバランスを取って考えるのが正しいのかという、そこを考えておく必要があります。
自衛隊としても、そうした法的解釈が明確化して、整備ができても、すぐに即応はできないのです。
その任務の内容によって、装備や部隊の編成を全部変える必要があります。
そもそも集団的自衛権を、どうしてああいう解釈にしたのか、その理由が不可解だと思われるのであれば、時の総理がそうした有権解釈を変えることができるのか、という問題が起こってきます。
総理が有権解釈を変えるということができるなら、その次に別の総理が出てきてまたひっくり返す、ということができるのかという問題もあります。
そうすると総理が替わるたびに有権解釈を変える、そういうことが果たして良いのかという問題になります。
「有権解釈を総理が変えるというのはおかしい」、というのであれば法律をきちっと作ろうという話になります。
法律は立法府が作ります。
総理が自分で法律を作るわけではありません。


62、憲法改正の最重要なポイントは、憲法前文と第9条にあることは明々白々です。
それ以外に、天皇制について、あるいは環境権を書くべきだといわれてはいますが、それはマイナーなもので、憲法改正の焦点は前文と憲法9条です。
前文では、現行憲法では、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と謳っていますが、多くの人々は、ここがおかしいと指摘しています。
憲法9条(戦争の放棄、軍事及び交戦権の否認)については、第一項と第二項があります。
第一項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」というものです。
第一項については不戦条約の趣旨を生かした、いわゆる平和主義、戦争放棄を貫いた条文なので、これを改正する必要はない、という意見が8割を占めています。
ですから憲法9条第一項についての改正は、おそらくないと思います。
問題は、第二項です。
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない」の全文を削除して、さて何を入れるか、というのが問題の焦点になるでしょう。
今のところいろいろな意見があります。
例えば、読売新聞は憲法改正試案を作っています。


63、一つは、自衛権云々ということが書いてありませんが、自衛権、個別的自衛権であれ集団的自衛権であれ、当然、国家としてこれを行使できるという内容になります。
そうでなければ国を守れませんから。
国を守るために自衛軍を持つということは、当然自衛権を持つということを意味します。
あるいはそれを行使できるということになります。
第二は、法律を別途定めるということですが、その法律として何が必要かというと、日本の領域の中における安全保障の基本的な法律の枠組みとして、安全保障基本法があります。
それから日本の領域の外で活動する場合の基本法として、国際平和協力基本法が必要になります。
その二つの基本法は、憲法に基づく法律なので国民投票などは不要です。


64、課題の一つは、公海上における米軍の艦艇に日本が後方支援をする場合です。
米国艦艇に対する攻撃があって、日本が横で活動しているときに米国艦艇を助けたら「それは集団的自衛権行使だ」とされています。
しかしそんなことがあるでしょうか。
自分のところに弾が飛んでくるかもしれない状況ですから、個別自衛権と見なして対応できるのではないかと思います。
つまり、今できないと言っているけれども、実はできることがあるのではないか、ということです。
それを見極めようということです。
もう一つは、国連安保理決議があって各国軍が皆、これに基づいて活動する場合です。
これは自衛権の行使ではありません。
国連憲章のいう自衛権というのは、何か紛争が起きて武力攻撃を受けた場合に、国連安保理決議に基づいて必要な措置が行われるまでの間、その当該国は自衛権を行使できることになっています。
その後、国連安保理決議が通って、湾岸戦争のように各国が軍隊を派遣した場合は自衛権を行使しているのではなくて、集団安全保障という形で活動していることになります。


65、今の日本を見ると、平和が至上である、という一国平和主義・非武装中立主義が広がっており、これはいわば、ある種のアナーキーズムであり、社会主義共産主義的考え方の延長です。
そのベースには、日教組による戦後の義務教育があります。
「戦争はいけない」、「イラクで戦争している米国は悪だ」という論理であり、たとえ「イラク戦争をしているアメリカを支援しなければ、テロが世界にも広がって、日本にも来るのでは」と言っても「いや、それでも戦争はダメです」という反応です。
戦争も軍事力も全否定ですが、こんな人に限って自由や権利を主張するだけで何もしない人なのです。
ところが、自分の自由や権利が侵害されると見るや、国は何もしないと言って、騒ぎだてる人です。


66、一国平和主義や非武装中立では、国家や社会は本当の意味で平和を維持できない、という現実を知る必要があります。
非武装中立とは、例えば暴力団がいて悪さをしても、「暴力はいけない。
警察官は拳銃を持つべきでない」と言っているのと同じです。
暴力団が拳銃を持って威嚇してきても、「それでも警察官が拳銃を使って暴力団を撃ち殺すべきでない」というのと同じです。
つまり、今の日本に蔓延しているのは、誤った平和主義です。
その中で自衛隊がよく育ってきました。
しかし、それは単に周辺地域の危険に対応するために、ここまで育ってきたということです。


68、日本が行う国際協力・国際貢献、日米同盟上の貢献、日本自体のシーレーン防衛上、この海上自衛隊の活動は不可欠の貢献であるに違いありません。
このように国益に直結する法案さえ政争の具になる理由はやはり、国益がきちんと定義され、国民に理解されていないからだと思わざる得ません。


69、例えば、イラクで治安維持任務はできないために、イラクでは治安維持をオランダ軍や英軍・豪州軍に任せ、自衛隊は治安維持の任務に当たれませんでした。
諸外国からすれば、摩訶不思議と映るでしょう。
また、攻撃されるまでは危険が迫っても1発も発砲できないという軍隊として、今までやってきました。
PKOでも、カンボジアから今まで自衛隊は1発も弾を撃っていません。
それをもって良しとするのか。
しかし、矛盾は解決しておかなければ、いつか、もっと大きな問題を生む危険があります。
特に武器に関しては、個人の生命・財産を守るためなら携行は合法ですが、部隊指揮官の命令によって武器を使用すると、武力の行使に当たります。
一体、日本は、自国を守るための防衛力をどのように他国のための貢献に使うのか、こうした問いかけに対する答えが、まだ十分に整理できていません。

 


70、そういう状況にありながら、一方で、我が国の周辺を見ますと、中国は海軍および空軍の近代化が極めて著しい状況にあります。
現在の中国空軍の能力でも、大体日本の西半分をすべて攻撃できますが、あと2、3年で日本全土をいつでも攻撃できる能力を持つでしょう。
しかも、量的にも日本の保有する攻撃機・作戦機の倍以上の第四世代の戦闘機がそろうことになります。
潜水艦も日本は18隻ですが、中国は今年の段階で70隻を超えています。
このまま近代化が進みますと、中国経済の発展もあって、国防費は毎年15%から20%ずつ増え続ける見通しです。
そこで、今年は初めて中国の国防費が日本の防衛費を絶対額で抜きました。


71、日本のインテリジェンス体制は、基本的に大きな問題が3つあります。
一つは、日本には情報機関が複数あるものの、それによって収集分析される情報が国家として十分に統一的に運用されずに、政府の中枢すなわち総理と縦に個別に直結しているということです。
例えば、かつての防衛庁に”二部別室”という部署がありましたが、それが”調査部別室”さらに現在の”情報本部”に吸収される形になりました。
今や、約1500人以上の要因を抱える非常に大きな組織になっているわけです。
しかし、この情報本部はあくまで統合幕僚長の指揮下にある組織であり、防衛大臣に必要な情報を提供する目的で運用されています。
そのために、情報が直ちに総理官邸に上がるという態勢にはなっていません。
あくまで防衛省の一機関として、大臣の指揮監督下にあります。
情報本部は、このように内局および陸海空それぞれの情報部門を統合して新しい組織にしたのですが、陸海空にもそれぞれ別途の情報機関が併存する形になっていました。
すなわち、各幕僚長は独自の情報部門を持っていないため、自分が遂行する任務に必要な情報を得るため別途、調査部を持っているのです。
ただ、防衛省全体としてのインテリジェンスは、情報本部が一応主管しています。
外務省にも”国際統合情報官組織”という組織があって、統合情報官がいます。
局長に相当し、対外情報を担当しています。
公安調査庁も1500人以上の要員を抱える独立した機関で、主として検事が長官を務めています。
また内閣情報調査室は、内閣にある150人ほどの機関で、官房長官に直結しています。
ここのトップは国家情報官といい、警察庁から出向しています。
このように防衛省、外務省、公安調査庁、内閣が情報機関を持っていますが、警察も独自の情報機関を持っています。
このほか海上保安庁などさまざまな国家機関が独自の情報を持っているわけです。
ではその情報はどこに直結しているのかといいますと、原則として横の連絡はありません。
もっとも機密とされる情報は総理官邸に上がり、直接、総理や与党の三役に報告されます。
国家のインテリジェンスの最大の問題はまずそこにあるわけです。
また情報というのは上からの要請が大切です。
下から上に上げるばかりではありません。
「この件に関して調べよ」という指令に基づいて動く流れが必要です。
ところが我が国ではこうした活動は比較的希薄です。
こうした「上から下へ」という流れができて初めて、インテリジェンスが生かされ機能するのではないでしょうか。
他の国であれば、国家としての単一の情報機関があります。
米国はCIA、および国防総省傘下のDIAがあります。
ただ、この二つの情報機関が9.11テロでは情報収集機能を十分に発揮することができなかったという反省から、国家情報長官という閣僚級のポストを設けました。
ネグロポンテ氏が初代の長官に就任し、大統領に毎日情報ブリーフィングをするという態勢ができたわけです。
イギリスの場合はまた全然違います。
MI6とMI5があり、MI6は対外情報をカバーし、MI5は米国のCIAに相当します。
「ナショナル・インテリジェンス・カウンセル」という国家情報会議が情報の中身を審査して、首相に上げるシステムになっています。
結局のところ、こうした諸問題を解決する手段は、国家としての統一された単一の情報機関を設立する以外にはないと思われますが、それがこの国では至難の業になります。
どこの情報機関も今までの仕事を手放したくないし、組織を統合したり、壊されたりするのは拒否しますから、これくらい難しい課題はないと思います。
おそらく国家的事業を成し遂げる勇断がなければ実現しません。
それができても、そこに配置される人をどうするのか、どこから持ってくるのか、どのようにして人事管理し、教育し、その後の人事的面倒を見るのかということになると、とても簡単ではないということに気がつきます。
しかし、今のような情報活動を続けていては、国家緊急時にこの国の情報活動が破綻することは目に見えています。
これを救うことは、政治家の重大な責任であると思います。
このモデルケースがイギリスのシステムです。
イギリスの場合は、MI6が対外情報を掌握しています。
各国に駐在する英国大使館に、対外情報庁の職員が勤務していて、英国の外務省とはまったく関係なくその国の情報を収集しています。
それをロンドンの首相官邸に上げています。
さらに、イギリスでは、国家情報会議という委員会があって、各省の持っている情報をその委員会ですべて審査し、必要なものだけを選んで首相に直接提供するシステムができています。

 


72、まず情報収集の手段については、日本は例えば偵察衛星もなく、同盟国・アメリカに依存して情報を提供してもらっています。
それでは国の情報は成り立たないということで、内閣が主管する情報収集衛星を上げることになりました。
しかし、これが十分に評価・分析できるようになっていません。
生の情報があっても、それを分析するためにはデータベースが必要なのです。
過去のいろいろなデータが集積されたものがあって、そこにリンクできて初めて、生の写真衛星がどういう意味を持つかが分かるわけです。
それなくして写真を見ても、それが「何か」も分かりません。
アメリカの情報の凄さは、そのデータベースにあります。
データベースがCIAのコンピューターに入っていて、たとえば真っ黒な写真に白い四角い小さな戦車の映像を取り込んだとします。
そこにパソコンのカーソルを当てれば、どういう形式の戦車かが一瞬にして分かるようになっています。
また、真っ黒な潜水艦が浮いていて、それを写真で撮ってカーソルを当てると、何級の潜水艦であるか、時速何ノットで走っているというのが一瞬にして分かります。
そういう能力は、今までのデータベースが積み上げたものがないとできません。
それは例えば防衛省が持っていても、内閣の機関にそれを渡さないと意味がありません。
そこで、防衛省としては、衛星で撮った写真を、「あなた方では処理できないのだから、こちらに渡しなさい」と要求したいところです。
こうして防衛省で分析するためには、その他の省庁が集めた情報を全部欲しい、しかしそれをやると、各省庁は独自の情報収集を全部渡さなければならないので、これは決してやりません。
ということは、衛星を上げているけれど機能しないということです。
さらに付け加えますと、海上自衛隊員によるイージス艦情報のリークのために、米国は同盟国日本の情報管理に疑心を持ち始めています。
このこともあったためか、あるいは、それ以外の障害もあったと思いますが、日本が新しく購入しようとしたF-22という最新鋭戦闘機の情報を米国は供与しないと言っています。


73、しかし、国会議員およびスタッフに守秘義務はありません。
ですから、国会議員に提供した情報は、その場で新聞記者に渡されても処罰の対象にならないし、それを未然に防ぐ手段もありません。
従って、日本の場合、他国と秘密協定や秘密条約が結べません。
すべての協定や条約は国会の枇准を必要としますから、この種の協定はできないわけです。
公開であるがゆえに、日本は最も情報が漏れやすいのです。
その結果、国益を著しく失うことになりかねません。
日本では米国議会のような非公式の情報特別委員会は作れません。
国会議事録もすべてが公開されるために秘密公聴会などできないのです。
こんなことで本当の政策が議論できるでしょうか。
これはインテリジェンスを行う際の最大の問題となります。


74、日本の情報は依然としてアメリカに依存している部分が大きいことは否めません。
例えば北朝鮮から弾道ミサイルが飛んできた場合は、早期警戒衛星を日本はまだ持っていません。
そこでアメリカから情報をもらいます。
発射された弾道ミサイルは、ブースト・フェイズといって上昇して大気圏を出るまで数分間あります。
その上昇している間にその早期警戒衛星がこれを探知し、アメリカ・コロラドスプリングスの宇宙センターにデータを自動的に送って、コンピューターで着弾点や弾頭の形跡を分析します。
それを直ちに日本へ、数分の間に教えてくれるようになっています。
電話ではなく、自動的に送るシステムがすでにできあがっています。
防衛省のあるセクションに、それが送られるようになっています。
それを、官邸に持ち込んでそれを総理に説明し、必要な
指示を受けるとう流れです。


75、第三の問題は、日本のインテリジェンスは、情報入手の方法が非常に限られているということです。
このために、情報の入手を、同盟国を含むいくつかの国、特に米国に大きく依存せざるを得ません。
さらに、独自の諜報機関を持たないため、海外からの情報は日本の国内で入手できるもののほかは、在外の大使館を通じてしか入ってきません。

 

76、各省庁の場合、現在は多くがコンピューターで決済と手続きを行っています。
米国国務省の場合は、LANというコンピューター・システムにより、決済は持ち回りではなく全部コンピューターで行っています。
ですからLANがグローバルに全部同じシステムで採用されています。
ところが、日本の各省では局によってコンピューターが違うことがありました。
これは役所がある特定の会社の機器を全部買うということになるため、数社にまたがって機器を導入するためでした。


77、ところが、正確な情報と十分な情報量、さらに敏速な情報は必ずしも一致しません。
情報量が多いということは、いい加減な情報が含まれているということです。
ですから、この三つの要件、すなわち正確で敏速で十分な量という情報を提供するということは、そこに矛盾をはらんでいるわけです。
また、情報を扱うには、それを専門的に評価・分析する技術が非常に重要で、これが欠けると意味をなしません。


78、核については、日本の安全保障政策、防衛政策の中で、最も遅れた政策分野です。
そうなった主な理由は二つあります。
一つは日本が周辺諸国から核の脅威・威嚇を受けるということは現実政治の中で大いにあり得ますが、それを日米安保体制に基づくアメリカの核の傘に依存してきたので、日本は自らの手で核政策を考えるという発想が出てこず、思考停止の状態が続いたためです。
二つ目は、日米安保条約の有無にかかわらず、日本には広島・長崎の被爆体験から、国内に強い核アレルギーがあることに加え、非核三原則は言うにおよばず、NPT体制やIAEAの査察など累次の国際公約をきちんと順守するためにも、議論することさえ避けてきたという事情があるからです。
日本は、すでに核保有国に囲まれており、現状では国家の安全を米国の核の傘に依存しているとはいえ、今後、日本がどのような核政策を進めるかは、国家の存亡にかかわる問題です。
その核政策について自ら、徹底的に研究し、その結果として、日本は自ら核のオプションを取らないという政策をとるのであればそれでいいですが、核の脅威を受けつつ、一切、核政策について検討もしないというのでは、国家の政策を担う者の怠慢以外の何物でもありません。
そのためか、日本の内閣や防衛省、外務省には核政策を議論する部局がありません。


79、このように核武装論は、安全保障や防衛のあり方を論じる際には、どうしても避けることができないのに、今まで避けてきた問題です。
核武装憲法上許されないからだけではなく、そもそも触れたくないから避けてきただけのことです。
ところで繰り返し強調しているように、北朝鮮が核保有国になっていることは自明の理です。
それが極めてはっきりと日本人の前に示される時期が、まもなく来ると思います。
六ヵ国協議の参加国すべては北朝鮮の核保有を暗黙に認知して、これをどのようにして放棄させ、核のない朝鮮半島を実現するか、という議論を進めていることもはっきりとしています。
でも現実問題として、北朝鮮の核保有から最も深刻な脅威を受けているのは日本であることもすでに指摘したとおりです。
それでは、日本はこの問題を六ヵ国協議に任せるだけでよいのでしょうか。
国家の安全保障を多国間協議の結果に委ねるのは最も愚かな選択です。
どんなに感性の鈍い政治家でも、こんな判断をする人は政治指導者の資格はありません。


80、日本の場合、相手のミサイル発射基地をピンポイントで叩くためには、航空機で叩くか、艦艇を接近させて叩くしかありません。
航空機の場合は、日本は周辺国に到達するF-15戦闘機を持っていますが、空対地ミサイルはありません。
「空対地ミサイルは、相手国を攻撃する兵器だから、防御兵器ではない」ということで持たされていないのです。
航空機用投下爆弾は持っていますが、精密度が高くはなく、しかも敵方の上空まで行かなければなりません。
そうするとパイロットは戻って来られない可能性があります。
従って、空対地ミサイルを装備して、パイロットに必要な訓練をする必要があります。
この訓練には1年以上の歳月を要する場合もあります。
日本の艦艇が装備しているミサイルも艦対艦ミサイルといって、相手の船にはミサイルが撃てるようにはなっています。
しかし、艦対地ミサイルといった、艦艇から地上目標に精密攻撃するミサイルは持たされていません。
相手の目標近くに艦艇が近寄るのは危険ですが、遠方から艦対地ミサイルを撃つことさえもできないのです。
そういう地上を攻撃するミサイルは持たされていません。
航空機が相手方に行く場合は空中輸送機もいるので、空中輸送機と空対地ミサイルそして艦艇の場合は艦対地ミサイルが必要です。
さらに精密誘導兵器を備えておく必要があります。
今の自衛隊は「ないない尽くし」なのです。
さらに前で触れたように、情報が大切です。
自らの手で相手国の目標をピンポイントで早期警戒および探知するのに必要な衛星を、自分で持たなければ攻撃もできません。
核兵器に対して核で対応するという前に、通常兵器でさえ十分ではないのです。
それをきちんと日本が持つことは、非常に大きな抑止力になります。
そうするための法的にも政治的にも整備が不可欠です。


81、それでは日本の核武装はいかなる場合にも永久にあり得ないのでしょうか。
そうは言えないと思います。
考え得るケースはわずかですが、以下のような条件がそろうときです。
すなわち、日本が重大、かつ深刻な核の攻撃や威嚇を受け、国民の圧倒的多数が国家国民の存亡をかけて、いかなる犠牲を払っても核武装すべきであると判断した場合で、米国としても、日本を取り巻く情勢から見て、日本に核兵器を持たせたほうが米国の利益になると判断した場合です。
この場合は、日本が独自に核兵器開発するのではなく、米国の核システム、例えば、核搭載原子力潜水艦をリースする方法で、日本の核抑止に使用する場合です。


82、日本はエネルギーの多くを原子力に依存しています。
ところが、日本が核兵器を持つとしても核原料が入りません。
原子力開発が全部停止します。
日本には55基の原発があって、日本のエネルギーを将来は40%まで原子力開発に依存しようとしているときに、原子力開発が全部停まると、電気が供給できなくなります。
そのエネルギーをどうやって賄うのでしょうか。
そういうエネルギーの面からも、今日本が核のオプションをとるというのは難しいわけです。
つまり核を持つという選択肢は、国家の重大な生存にかかわるような場合のときにしか考えられません。
ですから、現時点で合理的に考えると日本は核を持つべきではない、ということになります。
従って、まずは通常兵器をきちっと近代化し、ミサイル防衛を整備するべきでしょう。


83、海上自衛隊の一部には、できればマラッカ海峡まで自前の防衛力で守れるようにしたい、という意向があります。
なぜなら、今後、南シナ海を通って入ってくる海上輸送路が、中国海軍によって脅威を受ける危険性が高いと見ているからです。
南シナ海で中国から脅威を受けた場合、今の海上自衛隊の能力では日本の商船を守りきれません。
米海軍が来てくれないと守れないのです。
しかし、米海軍は南シナ海に最大の関心がない。
そこに大きなギャップがあります。
中国海軍の近代化は目を見張るものがあります。
その中国の艦船が東シナ海南シナ海に出てくるときに、日本の単独防衛能力がせいぜいバシー海峡まで、というのでは、日本の海上輸送路が脅かされる蓋然性は常につきまといます。
従って、日本の防衛当局者は海上防衛力を増やしたいのです。
しかし、今の防衛費と防衛構想では、海上防衛力を急速に増強できません。
それどころか、艦艇はむしろ減らされる傾向にあります。
この中期防衛力整備計画で3隻減らすことになっています。
残された道は、海上防衛力を質的に高める方法しかないということで、今、イージス艦を毎年1隻ずつ増やしています。
これにより、量は減りますが質でカバーしようとしています。
ところがもう一つ厄介なのは、北朝鮮の弾道ミサイルに対応するために、日本海イージス艦を配置する必要が出てきました。
その結果、イージス艦を増やしても、海上輸送路に充当できる艦艇を増強できないため、艦艇の運用には苦慮しなければならない面が出ています。


84、さらに、日本として一定の技術を維持するために、常に複数の国から導入したほうがいいということで、少しずつですが他国から導入しています。
例えば、対空機関砲などはスイス製です。
艦艇のいくつかは日本独自のものですし、新しい輸送機も、日本が独自に開発しようとしています。
こうした独自の兵器体系をわずかでも持つことが、日本の地勢条件に必要なのです。
例えば米国製戦車は重量があります。
そのため米国製戦車は、重量制限のある日本の道路では走れません。
日本は自国の国土で戦闘するという大前提で、敵上陸部隊を水際で叩くという態勢ですから米国製は適当とは思えません。


85、国力というのは、政治力、外交力、防衛力、経済力、技術力、産業力と国民の知恵・文化や歴史・民意や社会システム、戦略的位置、環境などのトータルの力でできあがったものです。
特に、固有の文化や歴史的な積み上げ、人間の知恵や思想、団結・結束といった無形の力は国力の大きな基盤要因です。
本当に重要なのは、国の防衛力(軍事力)、外交力、それと経済力、この3つが国力の基本ということになります。
日本外交の基軸は、日米同盟関係にあります。
それがきちんと維持されれば、日本は東アジアでロシアや中国との外交関係を維持して脅威を排除し、国際社会において、米国と価値観を共有する主要国として他国の信頼を確保することができます。
アジアでは日本が米国をアジアに関心を持ち続けるよう引きとどめる役割を果たすとともに、日米同盟というビンのふたの中に入るということで、他国に安心感を与えるという要素もありました。
安全保障上は日本が最小限の防衛力ですませ、自国の資産を経済発展に充当して国を豊かにさせるという目論見もありました。
それは正しい選択であったともいえますが、その結果として失ったものもまた、大きなものがありました。
領域外で軍事的な役割を一切、行わないという一国平和主義に慣れてしまったということもあります。
冷戦後に世界が変化しているのに、日本だけが日米同盟に依存して、戦後の憲法上の枠組みを大事に守り続け、安保ただ乗りだと批判を受けてきたということもあります。
ドイツでさえ、戦後、憲法を改正して世界中にドイツ連邦軍が出ていっています。
そして、アフガニスタンでは、20数名の戦死者を出しています。
しかし、日本は戦後、戦死者ゼロの自衛隊活動がまだ続いています。


86、世界の中で最も地域社会の平和と安定が必要であるという国が日本です。
日本は、単独では生きていけず、エネルギーや資源が輸入できなければ、経済活動も貿易も十分にはできません。
世界の各地域が安定していることは日本の国益に直結しているわけです。
にもかかわらず、国際貢献としてインド洋で燃料補給をしようとすると、非難が噴出します。
はっきり言って、燃料補給活動で犠牲者は出ていません。
しかも各国から感謝されています。
それなのに、この状態です。
つまり、日本の大半の人は、今や単独平和主義つまり、「自分の国だけがよければよい」という考え方ではないかと思われます。
それなりに犠牲を払って初めて、国が豊かになる立場と状況が生まれるにもかかわらず、まだ必要なコストを払うことに尻込みしています。
今後、努力すべきことは、恒久法を作り、日本の防衛力を使って国際貢献・国際協力を行うための基準と任務を明確にして、それをバックに外交の幅や深さを広げることです。
しかし、日本の外交官には、日本の防衛貢献、つまり防衛力を使って行う国際貢献・国際協力を外交のためにフルに活用するという意識や論理が希薄です。


87、つまり、あらためて我が国の防衛を俯瞰してみると、一つのことに気付きます。
それは「この国はどういう国になり、どういう国を目指しているのか。
そのためにどういうコストとリスクを負担する覚悟があるのか」ということについて、突き詰めた戦略や国家像や国益観がないのです。
これがなければ、今後の国家の航路も定まりません。
国家を守る防衛力のあり方も見えません。
我々はまず、そこから出発すべきでしょう。
そこが定まれば、国のありようを目指して、どういう防衛と外交が必要なのかが、おのずと導き出されるのではないでしょうか。


88、しかし、もっと大切なことは国家や社会に対する配慮の気持ちであり、厳しい対応の心です。
社会や国家が信頼されて初めて個人が存在する、という単純な考え方をすべての人が持つことが期待されるのです。
個人的利益よりも社会の節度を重んじる気持ちが重要です。


89、最後に、日本の安全保障を論じる際に、最もむなしい気分になることは戦後日本の中に誤ったリベラリズムが存在し、これが正論を妨げていることです。
つまり、自分について言えば、この戦後リベラリズムとの戦いのために生きているようなものです。
時には生き甲斐を感じることがありますが、ほとんどはむなしい努力の積み重ねです。
この戦後リベラリズムは、冷戦期の社会主義共産主義が冷戦後に形を変えているだけであり、その実態は非武装中立アナーキズムです。
国家を体制と見てこれを否定することにより、自己が正しいという錯覚に陥る進歩的文化人を装ってる共産主義者です。
テレビのコメンテーターを見るとよく分かりますが、人民が正しく国家を誹謗することが正義であり、国家は人民の権利と自由を圧迫するためにあるという概念に立って、論理を展開する場合があります。
そうすると、米軍基地は社会の敵、米国は人民の敵、軍隊は自由と国民の敵、テロに対しても軍事力を使用するのは不正義ということになり、これでは国家の安全保障や抑止理論はまったく否定されるだけの存在ということになります。