母の死について。

母の死についてブログに記すのは初めての事です。

母は、強盗に殺害された。

包丁で身体をメッタ切りされて、最後は首を絞められて死んだ。

新聞にも載ったので、マスコミが家に殺到してきた。

だから、思想家の西部邁さんの「マスメディアを撃て」を読んだ時、西部さんが敵をとってくれたと思った。

僕は学校で、有名人になってしまった。

「フライデー」だけは1週間も、家のすぐ近くに待機していた。

僕にインタヴューしたくて。

僕は学校を1週間、休んだ。

マスコミが怖かった・・・。

そして「フライデー」の記者に訊かれる。

”どんな気持ちですか?”と。

”分かりません…”と答え、写真を撮られた。


僕は犯人を死刑にしたかった。

だけど、犯人はたったの8年で刑務所から出てきた。

最初は母の敵をとるつもりだった。

だけど再考し、…そんな事をしたら、天国にいる母が悲しむと思い、思いとどまった。

そのあたりの心情は、小説「ふたたび大地をゆく」と「モノクローム」に書いています。


棺桶に入っていた母を見た。

眠っているようには見えなかった。

確実に死んでいると感じた。

僕は、棺桶に、自分の写真を入れた。

母、独りで天国に逝くのは不安だろうから…。


火葬場でのシーンが今でも強く心の中に残っている…。

僕は立ち尽くした。 涙はでなかった。


その後、僕は、母の元へ逝きたくて、自殺未遂を2度起こしています。

1度目はリストカット

2度目は近くの森林公園で首吊り。

首吊りは、あとちょっとのところで成功したのに・・・。

悔いが残る。

その後、森林公園には監視カメラが設置されてしまった。


今でも、鬱の日は”死の誘惑”がやってくる・・・。

正直に告白すると、…僕はもう、いつ死んでもいい。

でもね…自分は短命だと思っている(様々な理由で)。


小説を書く人の自殺率は極めて高い。

それは、絶対的に自分と向き合わないといけないから。

芥川龍之介川端康成は自殺している。

太宰治は心中した。

三島由紀夫は自決した。

夏目漱石は小説を書くようになってから胃潰瘍に悩まされた。

もちろん、セミプロとプロの重さは果てしなく別物だ。

今年はね、自分の心と向き合うのを避けていて、…コラボ小説を書いています。

これなら、心は消耗しないし疲弊もしない。


僕はプロじゃなくて良かったと思う。

プロだったら、プレッシャーが凄いと思います。

そして、小説を書けなくなった時、絶望し「死」を選ぶ。

僕は前述したように鬱の日だけ「死の欲望」に駆られる。

小説を書けなくなっても「死」を選ぶほど深くはない。

ただ、セミプロでも、小説を書けなくなる期間というのがあって、その間は自分にイラつくし、才能の無さを感じる。

過去に4年間で、たったの3作しか書けなかった期間があった。

うん。辛かった・・・。

読者の皆様に申し訳なかった。

小説というものは、書けない時は書けない。

でも、プロは違う。

連載があるからだ。

「書けない!」が通用しないのがプロ。

どれだけ精神的に消耗し疲弊するか・・・。

そして本当に書けなくなった時「死」を選ぶ。

哲学者のニーチェと画家のゴッホは狂ってしまった・・・。

小説家だけの道程ではないのだ。


早く天国にいる母の元へ逝きたい。

前述したように、僕は「短命」だと感じている(様々な理由で)。

それでいいんだ、…僕は。

悔いなど何も無い。

やりたい事は全てした。

だけど僕は、もう自殺未遂は起こさない。

おそらく「病死」になるだろうと感じている。


母のように夜空に煌めく星になりたい・・・。